父・尾崎豊の享年超え、27歳でCDデビュー 尾崎裕哉
1992年に26歳で他界した伝説の歌手、尾崎豊。彼の息子の尾崎裕哉が4曲入りの1stミニアルバムを発売する。
彼の半生には紆余曲折(うよきょくせつ)があった。2歳で父親を亡くした後、5歳で母親と共に米国・ボストンへと渡った。この頃には既に、「ミュージシャンになりたい」と思っていたそうだ。15歳で帰国後、作詞作曲をするようになり、バンドを組むなど音楽活動を開始。父親が18歳でデビューしたことから、当時はそれまでにデビューしたいという思いがあったという。母親の勧めもあって大学、大学院へと進学しながら楽曲制作を続けた。
ただ納得のいく楽曲が作れないという思いは強く、2012年の夏にボストンの音楽学校へ短期留学を行う。初めて体系的な作詞作曲術を学ぶなかで、「自己流だったために、楽曲が完成できないことも多かった悩みから脱却できた」と振り返る。また先生やクラスメートに自身の曲を評価されることが、シンガーソングライターとしての大きな自信へとつながったという。
帰国後は、父親の周年イベントや、『音楽の日』(TBS系)などのテレビ番組に出演して歌うたびに、父親とそっくりの切ない歌声と抜群の歌唱力が話題に。そして2016年9月、27歳にして『始まりの街』で配信デビューを果たした。
3月にCDデビュー作となる今作をリリース。タイトルには、「自分の気持ちを解放する」という意味を込めた。父親の存在から、「社会」や「自由」などの本質的なテーマを歌うことを周囲からは求められがちだというが、「それだけではなく、家族や友人といった自分のすぐそばにある日常についても歌っていきたい」と肩の力は抜けている。
デビュー曲でもある『始まりの街』は、女手一つで育ててくれた母親への感謝の気持ちを歌ったミドルバラード。バンドサウンドに挑戦した『27』では、26歳という父親の享年を超えた今、過去を思い返しつつ、これからは父親が見ていない景色の中を歩いていく決意を歌っている。「『ため息ばかりついていたのは/僕が僕であるために背負うことが多すぎた』と、歌詞に父の楽曲名(『僕が僕であるために』)を引用できるのも僕だけの特権なのかな」と笑う。
また、アコースティックギターを中心に構成する『サムデイ・スマイル』では、ラップのパートを入れ、歌詞は同世代のラッパーSALUに依頼した。「シンガーソングライターとはいえ、曲作りをすべて1人でする必要はないと思っています。尊敬する英国のシンガーソングライター、エド・シーランも作詞作曲を共同で行うこともありますし。完成度の高い曲を届けることを一番に考えています」。
父親、そして曲作りに対して柔軟かつ誠実な姿勢で向き合う尾崎裕哉。そんな彼の楽曲は多くの人の心をつかんでいきそうだ。
(「日経エンタテインメント!」4月号の記事を再構成。敬称略、文・中桐基善 写真・藤本和史)
[日経MJ2017年4月14日付]
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