「アフリカの真珠」ウガンダ、希望のダンス
旅する写真家のひとり言(3) 渋谷敦志
世界各地を飛び歩く写真家の渋谷敦志氏。ハードな取材現場の周辺で、ふと目に留まった風景や人々、心に浮かんだ思いなどを写真とともに伝えていただきます。3回目の旅先は、観光旅行にもおすすめのアフリカ赤道直下の国「ウガンダ」です。
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高校生の時に写真家になると決めたときから、いつかアフリカで仕事をしたいという目標をわりと明確に持っていた。小学生のときにアフリカの飢餓を伝えるチャリティー番組を見たのがきっかけだった。すでに20回以上アフリカ訪れているが、援助の対象地という見方が今も心の内にある。その「何様的な色眼鏡」を取っ払いたい一心でアフリカにぶつかり稽古に通っていると言えなくもない。
快適な気候、豊かな自然
そんな僕でも「アフリカに行くとしたら、どの国がおすすめか?」という質問を受けることがある。54カ国からあえて1カ国選んで、今のところウガンダをおすすめしている。ウガンダを8度も訪れ、ひいき目もあるが、訪れた人誰もが感じるのが気候の快適さだろう。アフリカに行ったことのない人は、概してアフリカは暑いというイメージを持っているが、ウガンダは赤道直下にありながら標高が1100メートルと高く、平均気温は25度前後で年中過ごしやすい。
次に自然の豊かさ。アフリカ最大の湖ビクトリア湖、地中海まで流れるナイル川の源流、ゴリラやカバなど大型のワイルドライフにいつでも会える国立公園など、それほど広くない国土に見所が詰まっている。かつてイギリスのチャーチル首相がウガンダを「アフリカの真珠」と言ったが、イギリス人でなくても羨む過ごしやすい国なのだ。
ちなみに世界的な旅のガイドブック「Lonely Planet」が毎年行っている「訪れたい国ベスト10」で、2012年にウガンダはなんと1位にランクされた。以前は日本からアフリカに行くチケットは安くはなかったが、今は中東系航空会社のおかげで学生でも求めやすい価格になっている。乗客の大半がフランスやイタリアなど欧州方面へ向かうのだが、欧州より近い「アフリカの真珠」もぜひ訪ねてみてほしい。
絶対的貧困を生きる子どもたち
そのウガンダを2010年から毎年訪れている。今ではアフリカで最も訪問回数の多い国となった。「1日1ドルで暮らす人々」をテーマに、社会の底辺で絶対的貧困と形容される現実を生きる子どもたちを取材している。
出発点は、日本からの支援で設立され、教育に携わる非政府組織(NGO)「あしながウガンダ」が、小学校に通えない貧しい子どもたちに提供している学びの場「テラコヤ」だった。首都カンパラ近郊のナンサナという町にあるその施設で、エイズで親を失った遺児たちと出会った。ウガンダにはエイズ遺児が100万人以上いる。両親を失った子は親族に引き取られ、生活は困窮し、栄養失調になったり、学校に通えなくなったりする子が少なくない。
社会的に弱者になった人たちを十分に保護する力と仕組みが政府にはまだないので、国内外のNGOが社会福祉面で大きな役割を担う。子どもの貧困対策に関わる人からは「貧困から抜け出すには教育が大事だ」とよく聞くけれど、テラコヤの子どもたちのように、そもそも貧しすぎて学校に通うことすらかなわない子どもたちはどうなるんだろう。苦境に黙って耐えている子どもたちにカメラを向けながら、答えの出ない問いを考えていた。
取材を始めて2年あまり過ぎた頃、テラコヤで休み時間に楽しそうにダンスを踊る子どもたちを見た担任の教師が、あるアイデアを思いついた。いつも支援してくれる人に感謝を伝えようと、子どもたちによる伝統のダンスを披露しようと考えたのだ。ダンスの先生の指導を受け、人前で踊る経験も積んだ子どもたちに小さな変化が生まれた。
「ナンサナの丘の上のステージにドラムの音が鳴りひびく。子どもたちは服をぬぎすて、はだしでおどる。大きな夕日がスポットライト。ステップをふむ、とびはねる、腰をふる。汗がレンズに飛んでくる。『生きてるんだ!ぼくたちは生きてるんだ!』 いのちの声がおどっている」(拙著「希望のダンス」〔学研〕より)
つい2、3年前までお遊戯会くらいのレベルだった子どもたちのダンスが見違えた。躍動する子どもたちの舞いにシャッターを切りながら、あふれ出るエネルギーを写真に焼き付けた。子どもたちが本来的に持つ生きる力を引き出し、明日よりよく生きたい、そのために学びたいという気持ちに変える、まさに希望のダンスだと感じ、その成長の様子を描いた。
「もっと学びたい」少女の願い
出版後も本に登場する子どもたちを追いかけている。その一人、サラの話をしたい。2010年に「テラコヤ」を初めて訪れたとき、クラスの中でひときわ小さい女の子が目に止まった。ナマクラ・サラ。当時7歳だった彼女はマラリアのせいで高熱を出し、汗を流しながら、必死に鉛筆の持ち方を練習していた。その姿が気になって、下校時に家について行ったのだ。
1時間ほど歩くと、道端にポリタンクを持った子どもが立っていた。弟だという。学校に行かず、家事を手伝っているという。2人は両親をエイズで失った後、祖母に引き取られた。蚊帳にござ、食器が転がる借間。電気も水道もない。祖母は「食料がなくなるのが怖い」とつぶやいた。弟がまきで火を起こし、サラがお茶を沸かす。それが夕食だった。「砂糖はないけど」と出してくれた夕食を手にし、言葉を失ったぼくは、将来の夢は何?なんて質問を簡単に口にはできないと感じた。それ以来、毎年、サラを撮影し続けている。
「あのころはいつもお腹がすいていて眠れなかった」。11歳になったサラは、英語で自分の思いを言葉にするようになった。弟と祖母は家賃が払えずに部屋を引き払い、村に帰ったが、サラだけが近所に住んでいた叔母の家に残った。「勉強を続けてほしい」という祖母の願いに応え、サラはこの後、小学校に編入を果たす。
小学生になったサラに何が一番つらいかと聞くと、朝食なしで学校まで1時間半歩くことだという。逆に何が一番楽しみかと聞くと、学校で出るランチだという。帰宅したら、水くみ、まき拾い、炊事洗濯。小学生になっても、厳しい生活はさほど変わっていない。
それでも、眠れない夜は少なくなり、何より勉強したいと目を輝かせて言う。「勉強してジャーナリストになりたい。生活が苦しかったこと、お世話になった人のこと、忘れないために文章で書きたい。いろんな国に行きたい。だから、もっと学びたい」。いつもおなかを空かせていた小さな女の子が、今では学ぶことに飢えている。家事がひと段落した後、宿題を始める。ロウソクの明かりがノートを照らす。それは自分の未来を照らす明かりだと、サラは気付いたのかもしれない。
ウガンダを含め高い経済成長率を維持するアフリカ諸国から「援助ではなく投資を!」という声が聞こえてくる。余力が出てきた今こそ、学びたいという意欲に自ら投資してほしいと思う。「学校に行きたい」という願いが夢である現実がまだまだあるのだ。望めばかなう夢になるまで、サラとのつながりを大事にしながら、明かりを渇望する子どもたちの存在を忘れないでいたいと思う。
写真家。1975年大阪府生まれ。立命館大学在学中に1年間、ブラジル・サンパウロの法律事務所で働きながら写真を本格的に撮り始める。2002年、London College of Printing(現London College of Communication, University of the Arts London)卒業。著書に『回帰するブラジル』(瀬戸内人)など
・個人サイト http://www.shibuyaatsushi.com/
前回の「スーダンの『恋人たちの聖地』 奇岩・タカ山」では、アフリカ取材の今と、1999年にさかのぼるアフリカとの出会いを語ってもらいました。
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