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それでも親子

料理研究家ウー・ウェンさん そっと見守ってくれた父

2017/4/12

1963年北京生まれ。大学卒業後、90年に来日。料理研究家として東京と北京を拠点に活動、中国の家庭料理や文化を紹介している。「からだを整える お手当て料理」(地球丸)を1月に刊行。

 著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は料理研究家のウー・ウェンさんだ。

 ――生まれも育ちも北京ですね。子どものころ、お父さんはどんな存在でしたか。

 「年子の兄と『お父さんは置物みたいだね』とよく言っていました。口数は少ないけれど存在感がある。何かするわけではないけれど、家にいないと重さがなくなるような感じで。怒ったことはないけれど、怒らせるととてもこわいだろうな、と思いました」

 「印象的なのは、小学生の時の出来事です。当時、中国は文化大革命の時代で、4、5年ほど父と離れて暮らしました。あるとき私が病気にかかりました。誰も何も知らせていないのに、父は100キロメートルほど離れた町から、自転車で会いにきてくれたのです」

 「メールどころか、電話すらない時代です。『来ました』とだけ言って、静かににこっとして、やさしくて。やっぱり親ってすごいなあと。実際は見ていませんが、父が自転車をこぐ光景が頭に浮かんで、一生忘れられません」

 ――自身の子育ては、お父さんの影響を受けましたか。

 「子どもが最も親を必要とするのはシンプルなこと。23歳の息子と21歳の娘がいますが、2人にああしなさい、こうしなさいとは一度も言いませんでした。私の親の態度と全く同じです。無関心に見えるかもしれませんが、親しかできないことをしていると思っています」

 「具体的には健康づくりです。ごはんを作り、掃除や洗濯をして。子どもが元気に学校に行って、友達と過ごす。日々の生活を充実させるのが一番と考えています」

 「中国人の私と日本人の夫の間に生まれた子どもたちは、日本で日本人として生活しています。でも、やはり普通の日本人とは少し違うのではないでしょうか。日本の文化やしきたりは私が教えられることではありません。子どもたちの力で、日本を受け入れて成長していくのが大事だと思って、支えてきました」

 ――北京にいるお父さんと今、どう関わっていますか。

 「父と母が私の仕事で一番喜んだのが、14年前に北京にサロンを開いたこと。拠点ができて、私が定期的に戻るからでしょう。我が子の幸せを願ってはいても、私が日本で結婚して両親は相当寂しかっただろうと思います」

 「北京を離れて27年。85歳の父とはできる限り一緒に過ごしたいと思っています。北京に行くと、実家近くのホテルまで父の車いすを押していきます。『好きなだけケーキを頼んでいいよ』と言うと、父はショーケースを指さして、たくさん注文するのです」

 「父の健康の秘訣は楽しい時間をたくさん過ごすことだと考えています。西洋のケーキをおいしいと感じているのかは分からないけれど、父に新しいものを見せて、普段と少し違う楽しみを味わってほしい。仕事がなければ、毎日でも父を訪ねたいです」

[日本経済新聞夕刊2017年4月11日付]

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