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作家・下重暁子さん 本当は両親がものすごく好き

2017/4/5

1936年栃木県生まれ。早稲田大学卒業後、NHKでアナウサーとして活躍した。その後作家に転じ「家族という病」などを執筆。今年1月「若者よ、猛省しなさい」を出版。

 著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は作家の下重暁子さんだ。

 ――お父さんは軍人だったそうですね。

 「父は士官学校を出たエリートの職業軍人でした。幼い頃、私が覚えている父の姿は、毎朝、厩務員が引いてきた馬に乗って出かけるところです。膝まである長靴を履き、マントを翻す様子はほれぼれする格好良さでした」

 「父は絵描き志望でした。軍人の家に生まれて仕方なく絵の道を諦めたのです。書斎には描きかけの油絵やたくさんの画集がありました。ルノワールの模写なんて本当に上手で、才能はあったと思います。なぜ絵描きにならなかったのかとはがゆく思います」

 ――成長するにつれ、お父さんへの気持ちも変化した?

 「戦時中、父は軍の指導部にいました。敗戦時、私は小学校3年生。毎日、疎開先の芝生で軍の機密書類を焼いていた父の後ろ姿が目に焼き付いています。声を掛けようにも掛けられませんでした。戦後、公職追放になった父は慣れない事業に手を出しては失敗しました。憧れの対象だったのに、すっかり情けなくなり、そんな父が許せなかった。話すとケンカになるし、ご飯も一緒に食べませんでした。絵描きになるという夢を貫かなかったことと、戦後の変化は許せません」

 ――お母さんとの仲は。

 「母は度胸がよく、判断力も優れていました。母には2人の兄弟がいて、それぞれ学者と医者になっていますが、母のことを『一番頭が良かった』と言ったほどです。なのに『暁子命』で、自分のために生きようとしなかった。中学時代にはそのことで説教したこともあります。悲しそうな顔をしてましたけど」

 ――お母さんの期待が重荷だったのですね。

 「私が就職した後、仕事の人がうちに来ると、夕食まで出すのです。『暁子のため』と。それが嫌で嫌で。愛情の押しつけがしんどかった。父が亡くなった後、母を一人にするのは忍びなかったですが、距離が必要だと別々に暮らすようになりました」

 ――親子関係に悩む人は今も多いです。

 「親というのは目の上のタンコブで、ぶつかって当然なのです。親子の葛藤がないなんてありえません。私にとって両親は反面教師でした。精神的にも経済的にも自立し、自由に生きるという決意ができたのは両親のおかげです。乗り越えるべき親がいたという点では、とても理想的な家庭でした」

 「両親に恨みはありません。絵を見ることや本を読むことなど、家庭の環境によって感性を養うことができました。年に2回、必ずお墓参りに行きます。生きている間、優しいことができなかったから。父を海外の美術館に連れていってあげたかったと思いますよ。両親のことを本にも書いているし、本当はものすごく好きなんだと思います」

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