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私の履歴書復刻版

「カネの切れ目を縁の切れ目にするな」先輩の教え 元アサヒビール社長 樋口広太郎(16)

2017/3/20

 「スーパードライ」の発売でアサヒビールを業界トップに押し上げた名物経営者、樋口広太郎氏(ひぐち・ひろたろう、1926-2012)の「私の履歴書復刻版」。京大を卒業した樋口氏は住友銀行に入行します。梅田支店を経て東京支店へ。立派な上司や他行の先輩との出会いがバンカー樋口氏を育てていきます。

住銀勤務 大学助手兼職ばれる 東京転勤の辞令に「しめた」

 1949年(昭和24年)4月、私は京都大学経済学部を卒業して、住友銀行に入行しました。銀行勤めはこれで2度目になります。

 京大入学前に6カ月だけ勤めていた野村銀行は、終戦後のドサクサにもかかわらず、行員はみんな礼儀正しく親切で、銀行は別天地だと思ったほどです。そんな経験があったことも、再び銀行に就職するうえでいくらか影響したと思います。

 私は当初、本店営業部配属という内示を受けていたのですが、実際に辞令を見ると、配属先が大阪・梅田支店に変わっていました。人事部に理由を聞いたら、「本店営業部でもいいのだが、あそこは人数も多い。梅田は組合運動が活発だ。君は学生運動をやっていた経験があるのだから、実態を調べて、職員ともよく話し合ってこい」と言われました。

若手行員時代、好きな山にはよく出かけた

 梅田支店は日本で最も忙しい店の一つでした。住友の行風は元気があって気に入りました。しかし、やっている仕事については、これでいいのだろうかと疑問を抱くようになりました。夜、仕事が終わるとチラシを配りに支店を出ます。阪急電車の駅の前で、預金を勧誘するために乗降客にチラシを渡すのです。たまたま通りかかった友達から、「お前、こんなことをやっているのか、辞めた方がいいぞ」と言われ、情けなくなったことを覚えています。再び大学の先生になりたいという思いが頭をもたげてきました。

 そこで、彦根高商時代に習った山下勝治先生が神戸大学の教授になっておられたので、相談に行きました。「それじゃあ、働いてみるか」と、先生のつてで、夜間の学部の助手を無給でしばらくすることになりました。支店の仕事を夕方5時に終えると、阪急電車に乗り、六甲の山の上にある大学に走っていきました。

 望み通り、助教授の口を二つ紹介してもらいましたが、給料は住友銀行の5分の1です。これではとても生活が成り立ちません。踏み切れないでいるうちに、神戸大学で助手をしていることが人事部にばれてしまいました。公然とやっていたのですから、ばれるのは当たり前でした。大学に遅れないように、算盤が合わなくても、「済まんな」と言って途中で抜け出していました。女子行員は「勉強に行くのでしょう。行ってらっしゃい」と言ってくれましたが、中には怒る人もいます。

 私を呼び出した人事部長は、後に私の3代前にアサヒビールの社長になられた高橋吉隆さんでした。謹厳実直な学者のような方で、にこりともせずに「君は他でアルバイトをしているのですか」と切り出しました。「やっていません」と答えると、「神戸大学に行っているでしょう」とずばりと言われ、あっと思いました。「無給です」と言うと、「無給であろうと国立大学の助手を兼ねるのはいけません」

 「この場で、どちらかに決めなさい」と高橋さんに言い渡されました。今日中に返事をしなければ、そのまま退職だと言うのです。銀行を辞めるつもりはありませんでした。食えなくなりますし、親にも迷惑をかけます。しばらく考えたふりをして、「銀行に残してください」と返事しました。翌日、私に新しい辞令が出ました。「東京支店勤務を命ず」。内心「しめた」と喜びました。広い東京で仕事ができる。

 東京支店の営業部預金課に赴任したのは1950年9月、24歳の時でした。当時の東京支店には、素晴らしい方々が大勢いました。後に頭取になられた浅井孝二さんが支店長で、次長が浅井さんの次に頭取になられた伊部恭之助さんでした。このお二人は人格者で、いま考えても若い時によく立派な方たちにお仕えできたものだと、我ながら運が良かったと思います。

 銀行マンのあり方については、いろいろな人から教わりました。住友銀行の先輩だけに限りません。特に印象に残っているのは、第一銀行にいた京大の2年先輩から聞いた話です。君が銀行に入ったのなら、おれの考えを言おうということで、聞いたものです。「シェークスピアの話にもあるように、銀行は金貸しだから嫌がられると言われるが、それは違う。いったん取引させていただいたお客さん、自分や銀行を信頼してくれたお客さんには、不渡りを絶対に出させるな。不渡りをお客さんに出させることは、自分の不名誉だと思え」

 これは至言だと思います。本当に身にしみましたね。私も、いったん銀行員としてお付き合いして自分を信頼してくれた人には不渡りを出させないことを、一生守ろうと心に決めました。銀行では、支店長や審査担当もやりましたが、私の手で不渡りを出したことはありません。調査できるものは徹底的に調査する。困難にあったことは二度、三度とありますが、ありとあらゆることを考えて、お客さんのプラスになるようにしてあげたら、うまくいきました。このために、上司とけんかをしたこともあります。「これは君、切るしかないよ」と言われて、「ちょっと待ってください」と時間をもらい、そのお客さんと取引してくれる新しいお客さんを探してくる。そうすると事態はやはり好転するものなのです。

 「カネの切れ目を縁の切れ目にするな」。それを第一銀行の先輩に教えられたのです。私は銀行時代を振り返り、お客さんに不渡りを出させなかったことを、いまでも心ひそかに誇りに思っています。

 この連載は、2001年1月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」および新聞連載に加筆して出版された本「樋口廣太郎 わが経営と人生 ―私の履歴書―」を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。2013年、日経Bizアカデミーで公開した記事を再構成しました。

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