作家・平野啓一郎さん 1歳で父が突然死、創作に影響
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は作家の平野啓一郎さんだ。
――幼少の頃、お父さんを亡くされたそうですね。
「私が1歳の時、36歳で急逝しました。心臓の病気でした。休日の昼、自宅でいびきをかいて寝ていたら、そのまま心臓が止まったそうです。父のことは何も覚えていません。父のゴルフのスイング姿を撮った8ミリフィルムが残っていて、それが動いている父の唯一の映像。手軽に写真が撮れるスマートフォンなどない時代だったので、写真もあまりありませんでした」
「母や親戚によって語られる父の思い出が、私にとっての父親像です。具体的ではなく、抽象的なものなのですが。愛知県蒲郡市で父は実家が営む機織り会社に勤めていたこと、母とは大学時代に知り合ったこと、夫婦共働きだったので、生まれたばかりの私をお風呂に入れたりおしめを替えたりしたこと、などです。育児は夫婦分担が当然だったようです」
――若くしてお父さんが亡くなったことの影響はありましたか。
「人間には二つの種類があると思います。父のように突然死ぬことがある人と、そうでない人です。私のような体験をした人は結構周りにいて、みな同じようなことを語ってくれるのですが、私は『父の享年を超えられないのでは』といつも考えていました。だから私自身、36歳が近づいた頃は不安でした。自分が親より年上になることを、うまく想像できなかったのです」
――2011年、36歳になりました。
「自分が父の享年になる時には、今の時代を生き、そして死ぬということを正面から取り上げた小説を書こうと決めていました。12年に発表した『空白を満たしなさい』という作品がそれです。1歳で36歳の父を亡くした男性の物語です。死者が次々によみがえる社会を描き、死を様々な側面から語る内容です。作家として書かなければいけないと思いました」
「図らずも東日本大震災の年であり、初めての子どもに恵まれた年でもありました。父の年齢を超え、父と同様に親という生き方が加わりました。現在、2人の子がいて長女は5歳、長男は3歳。妻も働いているので育児は手が空いている方がこなします」
――お父さんより年上になって5年が過ぎました。
「心の奥底には父のように心臓が突然止まってしまうかもしれないという気持ちがあります。だから、創作活動などやりたいことをやりきるように毎日充実した生活を送るようにしています」
「今でも父への思いは尽きません。私は赤ん坊の時、父の周りをハイハイしていたと思っていたのですが、立っていたということを最近知りました。わずか1年あまりの父と子の触れ合いはどのようなものだったのか、もっと知りたいですね」
[日本経済新聞夕刊2017年3月14日付]
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