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父母と並ぶ大学生時代の高田明氏(左)

父母と並ぶ大学生時代の高田明氏(左)

通信販売大手ジャパネットたかた。前社長の高田明氏はテレビ通販王国を一代で築き、お茶の間の人気者ともなりました。朝から晩までテレビカメラの前に立ち続け、「伝える」ということを追究してきた高田氏。半生をつづった連載の最終回は、その活躍を支えてきた家族について語ってもらいました。

◇   ◇   ◇

 これまで私の通販人生の歩みを振り返ってきました。最終回は私を公私両面で支えてきてくれた家族についてお話ししましょう。

まず両親や兄弟に対しては感謝しています。僕が今のジャパネットの前身の会社を37歳で立ち上げるきっかけをつくってくれたからです。郷里の長崎県平戸市でカメラ店を経営していた両親や兄弟がいた。そこで一緒に仕事をさせてもらって仕事を覚え、その延長線上でやってきたわけですから、私のルーツはそこだったと思っています。

家族のおかげで私はカメラ店の道に入っていきましたが、人生ってなんでもそうですね。事業を承継している2代目でも、3代目でも、5代目でも先祖が引いてくれたレールからその世界に入って新しいことを考え、事業を拡張するなり方向性を変えていくわけだから、何をするにも原点は忘れてはなりません。

カメラ好きの父、商家出身の母

独立した当時の高田明氏(長崎県佐世保市の早岐店で)

独立した当時の高田明氏(長崎県佐世保市の早岐店で)

父は2年前に91歳で逝きましたが、92歳の母はいまも健在です。私の今日があるのは母が産んでくれたからこそです。写真好きの父親と夫婦で写真屋を開き、それが後に私がカメラ販売に携わるきっかけになったわけですが、店の商売を支えていたのは常に母親でした。平戸の古い商家出身の母は、根っから商売人の血が流れていたのでしょうね。

近所のお年寄りが店に立ち寄ったら、さっと椅子を出して世間話をする。その老人が何も買わなくても別に気にすることもなく、にこにこ話を聞いている。私がジャパネットの社員にマメに声をかけるのも、母親のそんな姿を見て育ったからでしょう。夜になると父の写真仲間が集まり、夜遅くまで酒を酌み交わすことがよくありました。そんな時も母親は笑顔で宴席の準備でかいがいしく立ち回り、昼間の仕事の疲れなど一切見せませんでした。

そんな世話好きなところが皆から好かれ、私の高校や大学時代の旧友たちも今でも「おふくろさんに会いたい」と懐かしむほどです。誰とでもすぐうち解けて話せる人ですが、それを象徴するような話がありました。映画「あなたへ」(2012年公開)の撮影で俳優の高倉健さんが平戸にきました。撮影現場を見に行った母の近くにたまたま健さんがやってきて、おふくろは長々と立ち話をしたばかりか、肩を組んで写真まで撮ってしまいました。その写真は今でも実家に飾ってあります。

私がMC(総合司会)として最後にスタジオ出演をした時も長崎県佐世保市のジャパネット本社まで来てくれて、「ご苦労さん」と言って花束をくれました。いくつになっても子供は子供なのですね。テレビの画面で見るだけで母は私の体調がわかるようです。「きついんじゃないか。体は大丈夫か?」と電話をよこす時は、その勘はだいたい当たっていますね。この世に生を与えてくれたことに本当に感謝しています。いくつになっても積極的で元気でいてほしいと思っています。

妻は「同期の桜」

妻は同期の桜ですよ。一緒に三十数年間やってきて、いろいろアイデアとかは僕が決定しても、僕を支えて同じレベルで頑張ってくれた。大変な貢献者です。

とにかくパワフルな女性です。以前、お話しした観光写真の営業の手伝いで妻が朝、現像した写真を販売しに嬉野温泉(佐賀県嬉野市)へ向かったことがありました。途中で事故にあって妻が運転していた車は大破。連絡を受けて病院に慌てて駆けつけました。

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