南シナ海、領有権争いが助長する「最悪級の漁場崩壊」
南シナ海は、経済的にも軍事的にも生態学的にも極めて重要な海だ。
この海を介してやり取りされる国際貿易額は、年間5兆3000億ドル(約600兆円)ほど。また世界屈指の生物多様性を誇る豊かなこの海は、沿岸に住む人々が食料や仕事を得るうえでも欠かせない。
だがこの海では今、領有権をめぐり緊張関係が続いている。領有権を争っているのは、インドネシア、台湾、中国、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシアという7つの国と地域。中国は南シナ海のほぼ全域の領有権を主張している。歴史的に自国のものだったとして、国際法上は他国のものとされる領域も含めた水域を囲い込んだ。一方、フィリピンを含むほかの沿岸国は、国連海洋法条約を根拠に異議を唱えている。
軍事衝突が勃発することになれば、東西の大国、すなわち中国と、フィリピンの長年の同盟国である米国が乗り出してくるだろう。だからこそ、この争いが世界的に注目されている。
魚の争奪戦が激化、悪質な密漁も
領有権争いと密接にからみつつ、今、深刻さを増しているのが南シナ海の乱獲問題だ。南シナ海は世界的にも重要な漁場の一つであり、370万人以上の雇用のほか、年間何千億円という金を生み出している。だが長年、魚の乱獲を放置してきたために、水産資源は減少の一途をたどっている。漁業を頼りに急速に発展してきた国々の食料安全保障と経済成長が脅かされているのだ。今や南シナ海の一部の水域では、水産資源の量が60年前に比べて10分の1以下になってしまった。
沿岸から魚が消えるに従い、多くの漁業者が生活のために係争中の水域に入らざるをえなくなった。中国は領有権を主張する好機とばかりに、自国の漁業者を強力に支援した。沿岸警備を強化し、漁船団を武装させたほか、燃料や高性能の船を買うための補助金も出し始めた。中国の最南端(海南島の港)から900キロほど南にある係争地、南沙(スプラトリー)諸島の周辺で操業する中国人漁業者には、特別な補助金を支給してもいる。
「(中国の)小規模な漁業者が南沙諸島までわざわざ出かけていくのは、金がもらえるからにほかなりません」と、米国のシンクタンクである戦略国際問題研究所のグレゴリー・ポーリングは話す。中国によるこの積極策が水産資源の枯渇を加速させているのだという。
中国は軍事施設を築くため、南沙諸島の岩礁上に人工島を建設してもいる。「実効支配した者がやはり強いんですよ」と、東南アジアの政治や海洋安全保障に詳しい米国防大学のザカリー・アブザは言う。「中国は人工島の建設を通じ、また他国に天然資源を与えないことによって、自らの主権を確立しようとしているのです」
最悪レベルの漁場崩壊へ
南沙諸島を管轄するフィリピンのカラヤアン町の元町長、ユーヘニオ・ビトオノン・ジュニアは自国の主張を強く支持する。中国が漁業者を利用してこの水域の実効支配を強化する様子を、彼はじかに見てきた。「この3年間、中国の漁船が入れ代わり立ち代わり出入りしています」。彼はそう語り、島から沖を眺めるといつも漁船を目にするのだと付け加えた。
一方、フィリピンの一部の漁業者は、手製の爆弾や猛毒のシアン化物を使うなど、危険かつ違法な漁法を採用するようになった。どちらの漁法もサンゴやほかの魚まで一緒に殺してしまい、乱獲で海は危機的な状況に陥りつつある。乱獲により漁獲高が減少し、魚の大きさも小さくなって、悪い循環が起こっている。
南シナ海をめぐる領有権争いが漁業者の間の競争を激化させ、結果として起こる魚の争奪戦が、領有権争いをさらに燃え立たせる。「私たちは世界最悪レベルの漁場の崩壊を目撃しているのかもしれません」と、この水域を研究する米マイアミ大学の海洋生態学者ジョン・マクマナスは言う。「比較的短期間のうちに、何百という種が絶滅するでしょう」
(文=レイチェル・ベイル ナショナル ジオグラフィック英語版編集部、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2017年3月号の記事を再構成]
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