トラベル

クローズアップ

イタリア鉄道旅 新しい顔と昔ながらの風景を楽しむ 日伊協会常務理事 二村高史

2017/2/23

■シチリア名物ライスコロッケ

 実は、私がこの連絡船に初めて乗ったのは、今から35年前の貧乏旅行でのこと。当時の夜行列車は超満員で、通路にも人が座り込んでいるほどだった。客車を降りて甲板に向かう人も見えたが、若かった私は「荷物を残して、席を離れるわけにはいかない!」という強迫観念があったので、真っ暗なコンパートメントでじっとしているしかなかった。

 数日後、シチリア帰りに再び利用したときには、もう度胸がついて貴重品だけを手にして甲板に上がることにした。考えてみれば、衆人環視の中、貧乏旅行の若者の重い荷物を盗む物好きはいないだろうし、そもそも盗んだところで海の上では逃げる場所もない。

 船上の売店に向かうと、古いイタリア映画に出てくるような大男たちが売店の周囲に群がって、なにやら卵形をした揚げ物を手にしているのが見えた。おいしそうな香りがしたので、人が空くのを待って売店の女性に尋ねてみた。

 「これは何?」

 答えはひと言。

 「アランチーノ」

 21世紀の日本なら、アランチーノ(複数形はアランチーニ)といえば、いわゆるライスコロッケだと理解できる人も多いが、当時はまだ1980年代に入ったばかりである。それまで勉強した私のつたないイタリア語では、オレンジ(アランチャ)の小さいやつとしか理解できなかった。

これが本場シチリアのアランチーノ。店によって大きさや味が違っているので、食べ比べるのもおもしろい

 「はて、形は似ているけれども、どう見てもかんきつ類には見えないぞ……まさかオレンジを丸ごと揚げたんじゃなかろうか?」

 ためらうこと数秒。少なくとも食べられるものには違いないだろうからと、1つ注文することにした。

 がぶりとかじると、チーズとトマトがからんだライスが見えてきて、熱いチーズがとろりと垂れてくる。それまでに味わったことのない食べ物だった。これが、私のアランチーノ初体験である。それ以後、安くて庶民的なアランチーノは、私にとって南イタリアでの貧乏旅行に欠かせない食べ物となった。

 そんな昔のことを思い出しながら、今回もビールとアランチーノを口にして甲板をぶらぶらしていたら、あっという間にイタリア本土に到着した。洋上を走る時間は、せいぜい30分ほど。船への積み込みと積み下ろしにかかる時間のほうが、はるかに長い。飛行機ならば、その間にシチリアからローマに着いてしまう。

 格安航空会社(LCC)が普及した今日、こんな非効率なやり方が残っているのがイタリアらしくていい。だが、かつては数多く存在したシチリア直通列車も、現在は昼行列車が2往復と夜行列車が3往復のみ。いつ廃止されてもおかしくない気がする。

 イタリア旅行で時間があったら、ぜひ体験していただきたい。

■終点のはずがさらにフランス国境近くまで延びる超ローカル線

 南イタリアの連絡船の次は、北イタリアのローカル線を紹介しよう。

 日本と同様、イタリアでも乗客の減ったローカル線は、廃止になる例が多い。時刻表に載っていても、乗客の少ない季節や時間帯はバス代行になることもあるので、油断がならない。

 そんな中で、2012年と2014年に乗ったのが、イタリアの北西端にあるバッレダオスタ州の知られざるローカル線だ。「バッレダオスタ」とは、アオスタ谷という意味。フランスとの国境にはモンブラン(イタリア語名:モンテビアンコ)、スイスとの国境にはマッターホルン(イタリア語名:チェルビーノ)がそびえる山がちな州ででる。

 州都は中央部に位置するアオスタで、州都といっても人口は3万4000人あまりの小さな町である。以前から、日本のガイドブックには「鉄道はアオスタが終点で、これより西へフランス国境方面に行くにはバスしかない」と書かれている。

 ところが、である。実はアオスタからさらに国境近くに向かうローカル線がある。1日に12往復も走っているので、ローカル線マニアからすると本数は十分だ。車窓は変化に富んでいて、かつ乗客が少ないからローカル情緒がたっぷりと味わえる。

 最初に乗った2012年6月、アオスタ駅で待っていたのは新型のミヌエットではなく、昔ながらのフィアット社製のディーゼルカーだった。エアコンなしのこの車両が、アオスタから終点のプレ・サン・ディディエまで、32キロメートルを50分ほどかけて走る。

 アオスタ駅を発車してしばらくは、まるで日本の地方を走る私鉄のように、民家の脇を通り抜けていく。たまに止まる駅の周辺には古い街並みが広がったかと思うと、深い山林に分け入ったりする。行く手に雪山が見えるころになると、広々としたU字谷の底をカーブを描きながら走っていくといった具合で、車窓を見ていて飽きることがない。

モルジェ(Morgex)駅から、終点のプレ・サン・ディディエ駅方面を眺める。駅名からもわかるように、このあたりはフランス語圏で、公用語もイタリア語とフランス語が採用されている

■思い立ったら旅に出よう

 最初の駅を3つほど過ぎると、乗客は私のほかに欧米系の鉄道ファン2人になってしまった。こんな素晴らしい車窓なのにもったいないと思うのだが、並行する道路には路線バスが30分おきに走っているので、日中の鉄道利用者はほとんどいないのだ。

 窓が開く車両であることを幸いに、3人それぞれ窓にへばりついて沿線の駅や風景を撮りまくったのがいい思い出である。ただ1つ残念だったのは、そのときに最後の1駅区間を乗り残してしまったこと。散歩したい町があったので、下車したためだ。

 しかし、どうもその1駅間が気になって、その2年後にトリノの友人を訪ねる旅のついでに、妻とともにわざわざ乗りに来た。結局、このときも、途中駅からは私たちの貸し切りになってしまった。

 終点のプレ・サン・ディディエ駅は、周囲に何もないどん詰まりのくぼ地に位置していた。小さな町の中心に行くには、坂を5分ほど登らなければならない。

 ここから、ウインタースポーツでにぎわう国境の町クールマイヨールまでは直線距離で5キロメートルほど。地図で見ていたら、なぜそこまで延長しなかったのか不思議だったが、現地に行ってよくわかった。この間にかなりの高度差があるので、鉄道を通すのは大変なのだ。これから投資をしても、それに見合うほどの観光客は見込めそうにない。

「すてきな車窓を味わえる路線なのにもったいない……」

 もっとも、妻に向かってそう言った舌の根も乾かないうちに、クールマイヨールからの帰路は、エアコン付きの快適な路線バスでアオスタまで戻ってきたのであった。

 ちなみに、クールマイヨールからフランスのシャモニーまでは、モンブラントンネルを通るミニバスで45分。夏期は7往復設定されている。フランス側のにぎやかさにくらべると、イタリア側は落ち着いた雰囲気である。

 そんなわけで、今回の記事の最後は、「ありきたりの観光旅行に飽きたら、ぜひこの路線にも乗ってみてほしい」と書いて結ぶはずであった。ところが、この記事を出す前にネットで事実確認をしてみると、なんとこの路線が2015年12月24日をもって廃止になっていたことがわかった!

 つくづく、最後の1駅を乗っておいてよかったと思う。特に目を見張るような車窓ではなかったけれど、乗り残していればずっと後悔していたに違いない。「思い立ったら旅に出よう。後々、悔やむことのないように……」というのが今回の教訓である。

終点のプレ・サン・ディディエ駅には、季節営業の小さなレストランを併設したこの建物があるだけ。駅名票の「e」の上にあるアクセント記号が、なぜか公式の名称とは逆の向きになっている
二村高史(ふたむら・たかし)
フリーライター、公益財団法人日伊協会常務理事
1956年東京生まれ。東京大学文学部卒。小学生時代から都電、国鉄、私鉄の乗り歩きに目覚める。大学卒業後はシベリア鉄道経由でヨーロッパに行きイタリア語習得に励む。塾講師、パソコン解説書執筆などを経てフリーランスのライターに。「鉄道黄金時代 1970's ディスカバージャパンメモリーズ」(日経BP社)、連載「30年の時を超える 大人のシベリア鉄道横断記」(日経ビジネスonline)などの鉄道関連の著作のほか、パソコン、IT関係の著書がある。

トラベル新着記事