アグネス・チャンさん 父の教え、孫たちにも届く
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は歌手・エッセイストのアグネス・チャンさんだ。
――お父様は芸能活動に反対だったようですね。
「私には兄1人、姉2人、弟が2人います。姉のアイリーンは私が芸能界入りしたとき既に女優。父は末娘の私まで芸能界に入ることに反対だったのです。1969年に香港で、72年に日本でデビューし、アイドルとなりましたが、父は私が学校にまともに通えず、食事も満足に取れず、ちやほやされることを危惧し続けました」
「父が歩んだ波乱の人生が影響していたのだと思います。父は国民党でしたが49年の中国建国後、国の呼びかけに応え、香港から中国に帰国します。ところが拘束されて思想改造キャンプに。苦労した後、何とか香港に戻ったのです。その後はフィリピン航空の管理職などを経て、貿易商として独立、成功しました」
――引退とカナダ留学はお父様の意向だったとか。
「父が何より大切にしたのは、学ぶことと健康であることです。『名声やお金は流れていくし奪われもするが、一度頭に刻んだ知識は奪われず、それで食べてもいける』と常々言っていました。政治不安が続いた香港や中国で刻まれた考えでしょう。私が有名になった後も、家族では父だけが、私をお金を稼ぐアグネス・チャンではなく、末娘の陳美齢として見続けてくれました。家族会議を重ねた末、父の意向に沿って引退。カナダのトロント大で心理学を学ぶため留学を決めました」
――その留学後わずか半年でお父様が急逝された。
「胆石手術がうまくいかずに。まだ56歳でした。私の止まり木であり、浮袋でもあった父。私は成人したばかりの21歳なのに、乗っていた船が沈んだようなものです。亡くなる直前、父は私と2番目の姉で研修医をしていたへレンに、母をはじめ家族の生活を託しました。なぜ4番目の私が、と思う一方、父に選ばれたという誇らしさもありました。78年で芸能界復帰し、85年に結婚するまで稼ぎはすべて家に送りました。ヘレンと二人三脚で支えたのです」
「後に私は米国スタンフォード大学に子連れ留学、94年に教育学博士号を得ました。女性の仕事と育児の両立を訴えた『アグネス論争』を報道で知ったスタンフォード大の教授から、この問題を研究してみないか勧められたのがきっかけでしたが、父の教えも私の背を押したのです」
――息子さん3人はスタンフォード大に進みましたね。
「父が長生きしていたら、私はカムバックせず、そのまま学者のドクター・チャンになって、全く別の人生を歩んでいたのではないかと考えることがあります。息子は全員スタンフォード大に進み、上の2人はシリコンバレーで起業しました。頭に刻んだ知識は世界中どこでも通用するという父の考えは、子どもたちにも届いたように思います」
[日本経済新聞夕刊2017年1月31日付]
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