矢口史靖 数々のヒット映画を生んだ100均のメモ帳
2月11日に公開される映画「サバイバルファミリー」は、突然、電気製品が一切使えなくなった日本で、ごく普通の親子4人が必死にサバイバルしていく姿を、ユーモラスかつ感動的に描いた作品です。映画の世界では、普通の停電とは違い、電池を使った製品すら使えなくなります。
監督は「ウォーターボーイズ」(2001年)、「スウィングガールズ」(2004年)などヒット作を生み出してきた矢口史靖(やぐち・しのぶ)さん。今回の映画を思いついたきっかけ、そして「映画作りに欠かせない、でもこだわっている映画監督はたぶん僕だけ」という大切なモノについて教えていただきました。
映画化するまで15年かかった「サバイバルファミリー」
「サバイバルファミリー」は、突然、世界から電気がなくなってしまったら……という話です。といっても、SF的なパニック映画ではなくて、「もし本当に起きてしまったらどうやって生き延びればいいのか?」というような、リアルシミュレーション的な映画にしたいと思って作りました。
着想したのは2001年です。ちょうどパソコンや携帯電話が普及した頃なんですが、僕はそれに出遅れまして。みんながそういうものを使えるのに、僕だけ使えない。置いてきぼりを食らっていたので、「そんなに便利になってどうすんだ。そんなもん、みんな、なくなっちゃえ!」。このほとんど逆恨みと言ってもいい発想が、この映画の出発点でした(笑)。
その少し後、2003年に、北米で大規模な停電がありました(※2003年8月14日午後4時すぎ、米ニューヨークやカナダのトロントなど北米の広範囲で停電が発生。停電はニューヨーク市で29時間に及び、影響を受けた人は5千万人超に上った)。電車が止まって帰れないから、マンハッタンの人たちがぞろぞろと歩いて帰っている光景をニュースで見たんです、普段はクルマでいっぱいのブルックリン橋を、車道まで広がりながら大勢の人たちが歩いていた。それを見た時に、「電気が止まると、これだけ大変なことが起きるんだな」と思うと同時に「これはフォトジェニックだ」とワクワクしたんです。「電気が消失する話は映画になる」と確信しました。
それでプロット(あらすじ)を書いて映画会社に提出したんですが、スケールが大きすぎて、なかなか実現しない。それが10年以上経って、ようやく日の目を見たというわけです。
現場で必ず下げている縦型バッグ。こだわっている監督は僕だけ?
今回、持ってきたのは、映画「サバイバルファミリー」を作るときにもずっと使い続けてきたモノです。電気がなくても使えます。
1つめは肩掛けの縦型バッグです。
僕は基本的に、手ぶらが好きなんです。本当は撮影現場でも、何も持ちたくない。でも監督が台本も持ってないわけにはいかないので、このカバンに台本とその日の分の絵コンテを入れて、たすき掛けにしています。
このカバンの良さは、B5サイズの台本が入るぴったりサイズ。しかも僕は、台本を縦に入れたいんです。一度、横に入れるタイプのカバンを試したことがあるのですが、まったくダメでした。横型だと固い背表紙が邪魔して体にフィットしないので、邪魔くさくてしょうがない。でも縦型だと、体の前にいようが、後ろにいようが大丈夫なんです。そこにこだわっているのは、たぶん映画監督の中で僕だけでしょうが(笑)。
このサイズで縦型であれば、ブランドにはこだわりません。このバッグももう、どこのだかわかりません。ただ、わりと現場で酷使するので、適当な安いやつを買うと、壊れちゃいます。そこそこ縫い目がちゃんとしていて、素材は革の方がいい。雨にぬれたりしても、やっぱり革モノは強いです。
先代が壊れて買い直して、これが2代目になります。現場だけでなく、普段も使っています。
必要なものだけが残っていく「100均」で買ったメモ帳
もう1つの必需品は、リング式のメモ帳です。メモ帳といっても、「100均」(100円ショップ)で買えるようなものなんですけど。
これは普段からポケットに入れて持ち歩いていて、映画のアイデアを思いついたり、忘れてはいけない用件ができた時に書きためたりしています。家に帰ったらメモしたアイデアをパソコンに入力して、終わったら破って捨てる。そして0枚になったら、メモ帳ごと捨てます。
もう10年以上、ずっとこのやり方です。なぜこれがいいかというと、僕、済んだことは全部忘れていっちゃうタイプなんですよ。これからやることに集中したいので。だから、済んだものはちぎって捨てられるのが、ちょうどいいんですよね。逆に、これからすべきことだけが、メモ帳に残るのもいい。
リング式でこのくらいのサイズであれば、メーカーなどのこだわりはないです。ただ、今のところ、100均で買える2冊セットのこのメモが、一番使いやすいですね。ポケットに入れていても、邪魔にならない大きさなので。
このメモ帳が、「サバイバルファミリー」では、これまで以上に活躍した気がします。「ハッピーフライト」(2008年)も航空業界に取材して脚本を書いたのでけっこうメモを書いたんですが、今回はいろいろな分野の専門家に話を聞いたので、かなりの量になりました。
電気が消失したら、人はどうなる?
映画を作るにあたり、まず訪ねたのは大学で物理学や科学を教えている先生でした。「地球上から、電気というものが全部消えちゃったら、どうなるのでしょうか」と聞いてみたんです。そうしたら、「人間の体の中にも電気がある。その生体電気で脳が指令を出したり、筋肉が動いていたりしているので、電気がなくなったら、人も死にます」と言われた(笑)。それでは映画にならないので、生物の中の電気は残っていることにしました。
もうひとつ、気になったのは原子力発電所です。電気が止まったら、原子の反応も勝手に止まるのか。東日本大震災の後に作ることになったからこそ、そこは気になりました。その結論は「核分裂は止まらない。どんどんメルトダウンしていく」ということでした。それを描いてしまうと観客はそっちの方が気になってしまう。そこで劇中では「原発はフリーズしているらしい」と観客に想像してもらうようにしました。
電気がなくなると、水道やガスは?
次に調べたのが電気以外のライフラインです。
電気が止まったら、ライフラインである水道はどうなるのか。そう思って、水道局に話を聞きにいきました。水は出るそうです。でも、屋上に貯水タンクがあるビルだけなんです。だとしても、停電だと思って、みんながお風呂やバケツに水をためたりすると、あっという間になくなってたぶん半日ももたないとおっしゃっていました。
ガスについても聞きにいきました。ガスは電気が止まっても基本的には止まらないそうです。ただ、最近のビルのガス管は、地中から来て、上層階まで行っているのですが、その元栓をマイコンメーターで制御している。電気がなくなったら、この栓が利かなくなる。そうするとガスは軽いので、上の階に行くほどたくさん出てしまう。低層ではほとんど出てこないのに、高層階で火をつけようとした瞬間に爆発する可能性があるわけです。その危険を避けるために、「電気がストップしたら、ガスタンクに近い元栓(ガバナ)を手動で止めにいきます」。だから電気が使えなくなると、ガスも使えなくなる。
非常時に必要なものは、体温保持、水、火の順
サバイバルの専門家にも話を聞きました。電気がなくなって、水や食料もなくなっていったら、何が必要なのか。まず食べ物じゃないかと僕なんか思っちゃうんですが、どうやら違うらしい。一番大事なのは「体温の保持」だそうです。「体温を奪われると早い段階で命に危険がおよぶので、体を包むものやシェルターがまず必要」ということでした。
それから重要になるのは、水の確保と火をおこせるか。食べ物はその次だと。どうして食べ物より火の方が先なんだろうと思ったら、飲み水のためだそうです。水を確保した時に、それが川の水だったり、安全が確保できていない水だったりした場合、鍋で沸かせば雑菌などは除去できる。もしそれをせずにおなかを壊したら、下痢をして脱水症状になる。結果的に体力の消耗を早めてしまうそうなんです。
映画で、主人公一家のお父さん(小日向文世)が、渇きに耐えかねて生活圏に近い川の水を飲みますが、あれが一番、やっちゃいけないことだそうです(笑)。
あ、食べ物は、なるべく動かないものを食べたほうがいいらしいです。虫や動物を捕るためにエネルギーをたくさん使ってしまうから、手早く捕まえられる道具も技術もないなら、雑草の方がいい。茎の先に葉っぱがあるものではなく、地面から直接葉っぱが生えているタイプの植物は、だいたい食べられるそうです。
映画の準備をしている間、こうやって聞いた知識を100均で買ったメモ帳に書き込んでは、家に帰るとパソコンに打ち込んでいきました。打ち込み終わったメモは全部破って捨てます。パソコンに入れたはずのアイデアが見つからないことがあって、そんな時はゴミ箱をあさってサルベージします(笑)。
◇ ◇ ◇
こうして100均で買ったメモ帳を手に、専門家への取材を重ね、電気がない世界を想像していった矢口監督。主人公一家がたどる脱・東京の旅も自ら体験したそうです。途中で食べるものもサバイバルを想定したものばかり。意外なサバイバルグッズも登場する「ウォーターボーイズの矢口監督が猫缶を食べた理由」もお読みください。
ある日突然、東京の電気が消失。スマホも電車も使えず、食料も尽き始めた鈴木一家は、生き延びるため祖父のいる西へ自転車をこぎ始める。
原案・脚本・監督:矢口史靖
出演:小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな、ほか
2月11日(土)全国ロードショー
1967年生まれ。大学時代から自主映画を撮り始め「雨女」でぴあフィルムフェスティバルのグランプリを受賞。93年、「裸足のピクニック」で劇場映画デビュー。以降、ほとんどの作品で自ら原案・脚本・監督を務めながら、ユーモアと感動にあふれた映画を発表し続けている。主な作品に、テレビドラマ化もされた「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」「ハッピーフライト」「ロボジー」「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」(原作・三浦しをん)など。「サバイバルファミリー」の原作小説が集英社から発売中。
(文 泊貴洋/写真 吉村永)
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