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割れずに頭守る、安全第一「Arai」強さの秘密 ヘルメットの科学(1) 北岡哲子日本文理大学特任教授

日経テクノロジーオンライン

2017/2/13

図1 筆者所有の「Arai」ヘルメット
 さまざまなスポーツの安全対策にヘルメットは欠かせない。その構造はどのようになっているのか。ヘルメットのトップメーカー、アライヘルメット(さいたま市)を取材した北岡哲子日本文理大学特任教授に「ヘルメットの科学」について5回にわたって連載してもらう。

 突然ですが、あなたにとっての癒やしは、何ですか――。

 筆者は研究者の立場で「癒やし工学」という概念を提唱し、その実現に取り組んでいる。そもそも癒やしの研究は、乗れば乗るほど癒やされる車を造りたい、との発想のもとに、ある自動車メーカーのサポートを頂いて始めたものだ。それから約8年がたち、研究活動に加えて自動車事故対策機構予防安全ワーキング委員や、「先進事故自動通報システム(AACN)」普及のための委員などを務めさせていただいている。

 筆者にとっての癒やしはクルマで、運転が大好き。東京都内の裏道はタクシードライバーより詳しい、と公言しているほどだ。そのため「二輪車も好きなハズ」と思われたのか、数年前、自動車関係者の方から二輪車用のフルフェースのヘルメットを頂いた。

 そのヘルメットの前面に、メーカー名のステッカーが貼られている。今回の取材に伺うまで、私にはなじみのない名前、それが「Arai」だった。

■アライヘルメットを訪問

 オートスポーツに限らず、野球、乗馬、自転車、雪上競技などさまざまなスポーツにヘルメットは欠かせない。

 すぐに、アライヘルメットに連絡を取り、取材に伺った。同社の社屋は、これまで筆者が訪問してきた他の高層ビルやおしゃれなオフィスとは、全く違う印象だった。とてもこだわりのあるトップが君臨している、という雰囲気を醸し出している入り口の前で思わず立ち止まったが、まず案内されたのは、たくさんのカラフルなヘルメットが並んでいるショールームだった。

 多くのヘルメットから放たれる光は美しく、温かく、不思議なことに、一瞬で圧倒された。レースで優勝した選手のヘルメットの実物やレプリカ、ライダースーツ、サインなどがあった。その部屋にいるだけで、「Arai」ブランドが国内外を問わず偉大なレーサーたちが命を預けてきたヘルメットであること、多くの信頼を勝ち得てきたことが分かる。

図2 アライヘルメットのショールーム(右の写真も同じ)

 決して大企業とはいえない日本の一企業が努力を続け、世界に挑み、ものづくりによって業界をけん引してきた事実と、開発改良にかける情熱の大きさが伝わってきた。

■日本と米国、両方の安全規格をクリア

 Araiは、国内外でどのように評価されているのか。モータースポーツに詳しい読者に、Araiを知らない方は皆無だと思うが、知らない読者のために概要をお伝えする。

 同社は2008年に年間売上高100億円を突破したヘルメットメーカーで、その品質評価は世界一との定評がある。日本での安全性規格「JIS/PSC」と、米国の「SNELL」規格が定める耐衝撃落下試験基準の両方をクリアしているからだ。「これらの厳しい規格を両方クリアしているヘルメットは、他にはわずかしかない」(同社)そうだ。

 顧客の満足度は、12年間連続で世界一だった。米国の世界的な市場調査会社であるJDパワーが実施した、モーターサイクル用ヘルメットに対する顧客満足度調査で、調査開始から連続12年間1位を取り続けた。

 これが12年で終わったのは、この調査自体が終わったからで、1位の座を他社に明け渡したからではない。英国最大の二輪専門誌、Motorcycle News(MCN)からは2005年10月に「Dave Taylor Lifetime Achievement Award」という名誉ある賞を授与された。

 英国人トップジャーナリストのPhil West氏によると、Araiは1980年ごろに世界に君臨していたBell(米Bell Sports)やAGV(Amisano Gino Valenza、イタリアAGV)を抜いて、人気ブランドへと急成長した。他社のヘルメットとは、Renault(ルノー)とRolls-Royce(ロールスロイス)ほどの歴然とした差があった、と記している。「英国においてAraiは、技術的に最先端を走り、最も人気のあるヘルメットであり続けている。その魅力の一つには、無償のメンテナンスなどアフターサービスの充実もある」としている。

 日本国内の実績はどうか。その昔は、アライ、SHOEI、マルシンの3社がヘルメットの御三家と呼ばれていたそうだ。時代とともにそれも変わり、以前と同じ業態を持ち、独自の資本でそのまま存続できているのはアライだけ。国内シェアは確実な数字がないものの、1位、2位を競う立場にいる。

 レースでの実績を見ると、2016年開幕のF1のスターティンググリッドではヘルメットを4社が供給しており、パイロット22人中9人がAraiを着用した。かつて不動の1位だったBellは8人、Stilo(イタリアStilo)は3人、Schuberth(ドイツSchuberth Helmet)は2人だった。国内外のヒノキ舞台でトップを走っているヘルメットこそがAraiである、といっても過言ではないだろう。

■廉価版でも安全性能は落とさない

 このように、一地方にある中小規模の企業の製品が、国際的にここまで認知されているのはなぜか。同社によれば、「安全性・公平性」と、それを支える「強さ」にあるという。

 「安全性」はともかく、「公平性」とはどういう意味か。アライヘルメットの製品は、約2万円台の安価なものから、プロレーサーが使う高価なものまで、価格帯は幅広い。ところが、価格によってヘルメットの安全性能に差を設けていない。平等・公平であることがAraiの“肝”だという。

 ヘルメット(乗車用)の安全規格には「SNELL規格」とJISがある。アライヘルメットは安価な製品でも必ず両方に適合させていて、どちらか一つにしておくといった差がない。「お金の差で命に差ができるのはおかしい」、というのがバイク乗りである新井理夫社長のポリシーだ。

 公平性は、「スペシャルを作らないこと」をモットーにしていることに表れている。これは誰のヘルメット、と最初に決めて造り出すのではなく、すべて同じ作業を経てできた数多くの製品のうち、たまたま最終的な工程で塗料を吹き付ける名前が有名ライダーであるのにすぎない、といったことだ。どの製品を取っても同じ品質を保てるようにするためのこだわりだ。

 私見だが、アライヘルメットという会社のバックボーンは、社長自らがバイク乗りであることに尽きると思う。ライダーにはリスク対応能力が不可欠であり、そのアシストとして必需品であるヘルメットがどうあるべきか、誰よりも切実に感じるのだ。

 アライにはそんな社長を慕うバイク乗りの社員が多く、使命感と情熱を同じ温度で共有できるというアドバンテージを生み、その結果が商品の品質に反映されるという、理想的なループがあるようだ。

■軽さよりも安全性を優先

 ひと昔前は、ヘルメットは割れてもいいという考え方が主流だった。本体(帽体)が割れることで衝撃を吸収するのが役割だから、というわけだ。

 特に、F1ドライバーのアイルトン・セナ(Ayrton Senna da Silva)選手が死亡事故に遭う1994年のF1サンマリノ・グランプリ以前は、軽くしてかぶりやすくしてほしい、という海外ドライバーやライダーからの軽量化要求が激しかったという。

 事実、1970~80年代の欧州ではポリカーボネート(PC)素材の重さ1000グラム程度のヘルメットが売れていた。軽い代わりに、当然保護性能は低くなっていた。

 しかし転倒時には、頭が路面や突起物などに何度もぶつかるのが普通。一度の衝撃で簡単に割れてしまったら、それ以降の衝撃には対処できない。だからアライヘルメットは、軽いことが絶対的価値ではない、帽体は可能なかぎり頑丈であるべきというポリシーを譲らなかった。そしてアライの主張通り、現代のヘルメットは簡単には割れないようにするのが常識になった。

 アライの繊維強化樹脂(FRP)製ヘルメットの重さは、通常で1550~1600グラム。炭素繊維強化樹脂(CFRP)を採用して軽量化を図ったヘルメットでも200グラムは他のメーカーより重い分、頑丈に造ってある。

 さらに、ヘルメットの形を考慮することで、1カ所にかかる衝撃をできるだけ分散するようにし、一度の衝撃で破壊しないように設計している。衝撃の分散に理想的な形は球状だが、ヘルメットには外を見るための窓が必要だし、人の頭の形に合わせる必要があるため、完全な球体にはできない。そこで、卵に近い形にしている。

 もっとも、衝撃吸収性能の向上には限界がある。厳しいSNELL規格に合格しているといっても、試験での衝突速度の設定は28km/hにすぎない。実際の二輪車はこの3倍以上の速度で走行しているし、衝撃は速度の2乗に比例する。安全基準を余裕でクリアしたとしても、現実の事故において絶対の安全性を保証できるものではないことは頭にとどめておくべきだろう。

■“丸さ”で衝撃に対処

 命を守るためには、直接的な変形や破壊などで吸収しきれない衝撃にも対処しなければならない。そこで生まれたのが“かわす”発想だ。ヘルメットが滑らかな形状であれば、滑ったり転がったりすることで、帽体の多くの面で衝撃を吸収できる、それを“かわす”性能という。最適な形は丸くて突起状の部分がない卵型となる(図3)。

 もし角張った形状であれば、路面や障害物に衝突したときに引っかかって大きな衝撃を受けたり、ライダーの首をひねったりと、危険度は非常に増す。

図3 滑らかな形状で衝撃を“かわす”。衝撃の吸収に寄与する面積を実質的に増やす

 以前、英国にR75という規定があった。「曲率半径75ミリメートル以上の連続する凸曲面で構成せよ」という規定で、日本でも以前存在していた。2010年に諸事情のために消滅したが、同社は現在でも重要であるとして、社内規格として存続させている。

 ただ、アライヘルメットは物理的理論や数字にこだわっているわけではない。新井社長や社員がバイク乗りとしての感覚で、仮に自分が事故に遭っても助かりそうなヘルメットとは何かを追究していった結果、たどり着いたのがたまたま卵型やR75だったというわけだ。 ライダーであれば誰でも一目でAraiと分かる、トレードマークともいえるずんぐりむっくりのフォルム。米国に初めて渡ったとき、「地味で重くて高い」とバカにされたこの形こそが、アライヘルメットの努力の結晶であり、同社を世界一に導いた理由だった。

 同社のユーザーは安全性だけで選んでいるわけではなく、ヘルメットのフィット感やかぶり心地、内装の素材の工夫、通気性、重心バランスなども高い評価を得ている。現在でもヘルメットには軽さが重要と考える人もいるが、軽いことより安全性を重視すると同時に、多くの人の頭にいかにフィットするかが重要と考えてきたという。

 次回は、アライ社がこのようなヘルメットを生み出すに至った経緯を、日本の社会的背景の変化も含めてお伝えする。

(次回に続く)

(日本文理大学特任教授 北岡哲子)

[日経テクノロジーオンライン2016年11月8日の記事を再構成]

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