山崎万里子 28歳のときに自分の強みを真剣に考えた
ユナイテッドアローズ初の女性執行役員に聞く(前編)
就職、転職、独立、そして、結婚、出産、育児……女性の人生はいくつものライフイベントによって彩られ、同時に多くの迷いも生まれるもの。社会の第一線で活躍する女性から、人生の転機とその決断のポイント、充実したライフ&ワークのために大切にしている価値観をお聞きします。今回登場いただくのは、ユナイテッドアローズで女性初の執行役員として活躍する山崎万里子さんです。役員になってから出産したハイパーワーキングママとしても注目されています。(聞き手は羽生祥子日経DUAL編集長)
生まれて初めてアルバイトした会社にそのまま入社
――山崎さんは新卒からずっとユナイテッドアローズ一筋なんですよね。
もっというと、私、生まれて初めてアルバイトしたのがこの会社なんです。大学2年生の時にユナイテッドアローズのお店でアルバイトを始めて以来、本当にここでしか働いたことがないんです。
――えー。もともとお好きだったんですか。
原点は1990年。私が17歳の時だから、もう26年前になりますね。生まれ育った福岡に初めてユナイテッドアローズができたんです。当時はまだセレクトショップというのもほとんどない頃で、お店に入った途端、「うわぁ、かっこいいなぁ!」って純粋に憧れました。
そして大学入学と同時に上京して、お店に通ううちにレジ横の「アルバイト募集」の告知を見て応募したのがきっかけでした。「時給780円、週3日程度」とかだったかな(笑)。でも、当時はここに就職もしようとまではまったく思っていなくて、単純に「好きなお店で働きたい」という気持ちだけでした。アルバイトとして入ったのが19歳だったのですが、「10代の子が来たよ」とささやかれたのを覚えています(笑)。
大学を卒業するころは会社が新卒採用を始めて2期目で、「応募してみない?」と促されるままに何の対策もせずに応募して今に至ります。社員になったのが96年なので20年になりますね。
優秀な後輩に、「このままじゃ、私、すぐに抜かれる」
――社歴20年。ご自身で振り返ってどう感じますか。まだキャリアの入り口にたったばかりの方からすると20年って果てしなく長く、「一つの会社でキャリアを積み上げる」というものがどういうものなのかもピンと来ない人も多いと思うんです。
今の時点で職務経歴書をまとめると、まるで計画的にキャリアを積んできたように見えるかもしれませんが、私自身の感覚として、はじめから20年続けていこうとはまったく思ってなかったんです。
――意外ですね。
転職経験がないので職務経歴書を書いたこともなかったですし、3年前に本を出すことになった時に初めて自分のキャリアを一つ一つ振り返って、あらためてその長さを実感しました。入社した当時には「アパレル企業でこういうキャリアアップをするぞ」とか「この会社にずっといるぞ」という決意も執着心もまったくなし。単純に「好きなブランドの人になりたい」というだけで入って、20代前半はただ与えられた仕事を懸命にこなし、キャリアプランについて考え始めたのは30歳になる手前、28歳くらいでした。
――28歳という節目でキャリア教育を行う企業は多いですよね。
そうですね。28というナンバーに意味があるというより、働き始めて5年経った頃って後輩も増えてくるじゃないですか。その後輩たちの姿にインスパイアされたというのが大きかったですね。当時、会社は上場して新卒入社も300人とか入ってくるような巨大企業へと成長していたんです。フラッと入った私とは違って、ものすごいビジョンを持って入社試験を突破してきた優秀な若い子が続々と入ってきた。
私が所属していた販売促進部にも社内公募で自ら手を挙げるような熱意ある子がたくさん入ってきました。周りを見渡して、「このままじゃ、私、すぐに抜かれる」と。初めて抱く危機感でしたね。それまではとにかく仕事が大好きで時間を気にせず没頭していて「ワイワイ楽しく、モーレツに残業する」という日々でしたが、自分のキャリアについて立ち止まって考える時期が訪れたんです。
――販売促進部では具体的にはどんな仕事をなさっていたんですか。
店舗に置くカタログや広告をシーズンごとに作るのがメインの仕事でした。各ブランドに対するニーズを聞いて、それに見合うものをつくるという広告代理店のような仕事でした。撮影、デザイナーとの打ち合わせと華やかでクリエイティブな"ザ・ファッション業界"の毎日で楽しくてしょうがなかったです。その世界を目指して来る子たちというのはものすごく意識高いじゃないですか。「この先半年くらいで私、ダメになる」と身震いしたのがきっかけで、キャリア志向にシフトしました。
自分だけにできる強みは何かと真剣に考えた
――その時、何かビッグビジョンを描いたんですか。
いえ、ビジョンが先行したというより、これまでと同じ仕事をしていては彼ら彼女らに抜かれると私はただの凡人になる、という危機感に押されるような感じでしたね。彼らに負けないための策はどこにあるかと競争戦略を考えました。「彼らができなくて私ができることって何なの?」と選択肢を消去法で絞っていって、自分だけにできる強みは何かと真剣に考えたんです。
そこで見えてきた答えとしては、私はものごとを設計したり、段取りを組んだり、進捗や予算の管理をすることが好きだなと。周りはどちらかというと制作の現場が好きなタイプが多かったので「この道なら勝てるな」と思いました。以後は、「現場は後輩に任せて、スケジュールや予算の管理に徹します」と申し出て、今まで誰も言い出さなかった役割を自分でつくっていきました。他にやりたがる人がいなかったので、どんどん仕事が回ってきて、気づいたら部内の宣伝費の管理を全部一人でやっていました。
――ポジションを自分でつくっていったということですね。
そうですね。
――それも30歳前のお若い時に。
人よりもうまいこと、よくできることを拾っていくと、たまたま管理業務だったんです。それぞれの現場をこなすことよりも、「部全体の概況をまとめる」とか「前月に実施した宣伝活動の効果を検証する」といった仕事が得意なんだ、と自分で気づいたことは大きかったですね。「得意」とはっきり言えるほどではなくても「人よりうまくできる」。好きではないんだけど「苦痛ではない」。周りの子たちはどうもそれが苦痛そうだと。それなら私がそれを一手にやっちゃうほうが組織としてもきっといい。優秀な後輩たちと同じ路線で競争するより、私にとってもいい選択じゃないかなと思いました。
――その根底には、ブランドへの愛情があってのことですよね。
もちろん。やってみると、管理業務は本当に向いていたみたいで、気づいたら部全体の業務をすべて把握していました。役員会に出す資料をつくるとか、部長みたいな仕事をしていたと思います。
――20代で部長!
あくまで上司に代わって資料を作っている人という立場ですよ。当時の上司はもっと会社全体の経営を見る創業役員レベルなので、どちらかというと事務業務は苦手な方が多かったことも、私の役割をありがたいと思ってもらえた理由の一つかもしれませんね。
――すごいですね。ご自分の得意分野は働いていく中でわかってきたんですか。
撮影の現場に行くとクリエイティブ面の指揮をとるディレクターの横に、全体の進捗管理をするプロデューサーがいますよね。そういう方々の仕事を見ていて「私、こっちのほうが向いているな」と思ったんです。実際に一緒に仕事をしながら真似ていった感じですね。私が好きなファッションの世界をプロデューサーとして支えていく生き方も面白いかもしれないな、と将来のキャリア像を描くようになりました。
――そんな山崎さんからすると、世間で言われている「女性が管理職になりたがらない」という状況はさっぱり理解できないという感じでしょうか?
私の場合は、人の管理というよりプロジェクト管理から入ったので、「管理職を目指す」という出発点ではなかったですね。タスクをいかにうまく回し進めるかという役割を選んで突き詰めていくと面白くなって、どんどん見る範囲も広がって、気づいたら人も見るようになっていたという流れです。(後編に続く)
1973年福岡県生まれ。学習院大学経済学部在学中にアルバイトとしてユナイテッドアローズで働く。卒業後、同社に入社し、販売促進、広告宣伝に携わり、2010年に同社女性初の執行役員に就任。16年10月より執行役員 UNITED ARROWS本部 副本部長 兼 事業戦略部 部長。15年に出産し、育児と会社役員を両立させている。
(ライター 宮本恵理子)
[日経DUAL 2016年12月27日付記事を再構成]
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