坂本龍馬ゆかり瀬戸の港町 鞆の浦の「湯船」
広島県福山市 鞆の浦を訪ねる
冬の木漏れ日のなか、のどかな時間が流れる瀬戸内海の古港、鞆(とも)の浦(広島県福山市)。かつては室町幕府最後の将軍が織田信長に追われて隠遁(いんとん)し、幕末には海難事故を巡り坂本龍馬が紀州藩と争った因縁の港町だ。近年は宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」など、数々の映画やドラマの舞台となった。実は瀬戸を一望できる温泉もあり、「湯船」も堪能できる。鞆の浦を訪ねた。
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鞆の港、大漁旗がはためく
「今日の狙いはイカじゃ。鯛(たい)は岸からは釣れんで」。JR福山駅から路線バスで30分。「鞆の浦」のバス停をおりると、地元の40歳代ほどの男性が堤防で釣りに興じていた。
鞆の浦の名物といえば、鯛飯が知られる。しかし、鯛はやすやすとは釣れないらしい。10分ほどぶらぶら歩くと鞆港が眼前に広がる。自然の良港で、円形の入り江がそのまま港になっている。数十隻の漁船が停泊しているが、なかには大漁旗がはためく漁船も。しかし、今の鞆の浦は漁師町というよりも、観光地として存在感を高めている。中世の港の姿がこれほど残っている町はないからだ。
江戸時代の灯台が
鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中間に位置し、古代から「潮待ちの港」として知られる。
鞆の浦歴史民俗資料館の通堂博彰館長は、「鞆の浦が評価されているのは、江戸時代の港湾施設である『常夜燈(じょうやとう)』」のほか、『雁木(がんぎ)』『波止場』『焚場(たきば)』『船番所』の全てが全国で唯一残されているからだ」という。地上約10メートルの高さの常夜燈とは現在の灯台で、鞆の浦の象徴的な建物だ。
「鞆港」のバス停から、その常夜燈を目指して歩いた。商家が立ち並ぶが、家屋はいずれも古い。地元の60歳代ほどの女性は「江戸や明治のときからの家もあるんじゃ」と話す。
水際にすれすれに立っている家屋も多く、思わず津波が来たらどうなるのだろうと心配になってしまう。狭い軒先をいくと、タイムスリップしたかのような感覚に陥る。古い町並みをカメラに収めながら歩くと、龍馬の隠れ部屋のあった枡屋清右衛門宅にたどり着いた。この軒下を龍馬も歩いたのだろうか。
龍馬暗殺にも関係
「龍馬が鞆の浦に滞在したのは4、5日ですが、歴史的には重要な出来事が起きた」(通堂館長)という。土佐出身の龍馬は江戸、そして長崎、京都を行き来して幕末を生きた。鞆の浦と関わったのは「いろは丸沈没事件」だ。
1867年5月、龍馬は蒸気船のいろは丸で長崎から大阪に向かう途中で、紀州藩の軍艦と衝突、鞆の浦の近くで沈没した。龍馬は鞆の浦に上陸し、紀州藩と賠償交渉をした。紀州は徳川御三家、お上の強い立場だが、粘りに粘って結局、賠償を勝ち取った。
日本最初の海難審判事故だという専門家もいる。賠償金が支払われたが、その後わずか1週間あまりで龍馬が暗殺されたため、この事件と龍馬暗殺を結びつける歴史愛好家もいる。
中世では、室町幕府15代将軍だった足利義昭が織田信長に京都から追放され、中国地方の雄、毛利氏を頼り、この鞆の浦を拠点として「反信長同盟」を画策したことでも知られる。「鞆幕府」と呼ばれた。通堂館長は「義昭が鞆の浦のどの場所に暮らしたかは今も分かりませんが、本拠としていたのは事実です」と話す。
しかし、最近の鞆の浦を有名にしたのはやはり宮崎駿監督だろう。2008年に公開された「崖の上のポニョ」の舞台は鞆の浦だといわれる。「宮崎さんは1カ月半か2カ月ぐらい滞在されていましたね。よく町のなかを歩いておられました」(通堂館長)。以来、洋画の「ウルヴァリン: SAMURAI」、テレビドラマ「流星ワゴン」など様々な映画やドラマのロケ地となった。
観光船で仙酔島に
鞆の浦の眼前に仙酔島や弁天島などの瀬戸の小島が浮かんでいる。この仙酔島は無人島ではあるが、国民宿舎もあり、夏には海水浴の客でにぎわう。筆者も小学校のころこの島に渡った記憶がある。今は龍馬のいろは丸をイメージした観光船で渡ることができる。他の観光客と、その船に乗ってみた。
1月でも穏やかな瀬戸の海。気温は7度ぐらいだが、海上では日差しが強く寒さを全く感じない。弁天島を横目で見ながら、船はゆっくり進む。この島には銀閣寺に似た文字通りの弁天堂が立っている。弁天島に立ち寄りたいという観光客は少なくないが、容易に立ち入ることは許されない。この孤島に渡る定期船はない。
わずか15分ほどで仙酔島の桟橋に着いた。5分ほど歩くと、白浜のビーチが見えてきた。そういえば、高校1年生のときも、ここに来たことがある。新しいキャンプ場はあるが、あとの風景は何も変わらない。観光客の姿がちらほら見えるが、島は静寂に包まれている。
瀬戸を見下ろす湯船
鞆の浦に船で戻るとき、右手に高層のホテルが見えた。鞆の浦を代表する老舗の「ホテル鴎風亭」だ。実は今回、鞆の浦を訪れた目的の1つはこのホテルの露天風呂に入ることだ。宿泊しなくても、緑の島々を見ながら天然温泉を満喫できる、まさに瀬戸の「湯船」だ。目の前に仙酔島、眼下に弁天島を眺められる。時間が止まったような感覚。その向こうには四国の山影すら薄ぼんやりと見える気がする。
瀬戸の湯を堪能したので、鞆の浦のバス停から帰ろうとすると、猫に出合った。福山市の隣の尾道市も猫の町として知られるが、ここにも猫の姿が目立つ。魚が多いからだろうか。カメラを向けると、まぶしそうな顔をされた。中世、近代、瀬戸の繁栄を支えた港町に夕日が差し込んでいた。
(代慶達也)
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