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都会に残る庶民の足 大阪渡し船巡り

日伊協会常務理事 二村高史

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NIKKEI STYLE

「渡し船」という言葉には、どこか旅情と哀愁を感じる。年配の船頭さんが、手こぎで小さな船を操る姿を思い浮かべる人も多いだろう。日本各地に残されていたそんな渡し船も、時代を下るに従って珍しい存在になってしまった。だが、なんと大都会の大阪市内に、今も渡し船が8カ所残っていると知れば、驚かれるだろうか。国内外の鉄道やバスなど乗り物に造詣が深い日伊協会常務理事の二村高史氏に、案内してもらった。

◇     ◇

かつては大阪市内のあちこちに渡し船があったようだが、現在残っているのは、すべて大阪湾に近い地域。10年ほど前、個人的な趣味で大阪の渡し船巡りをして以来、今回の再訪である。大都市に残る渡し船の姿をご覧いただきたい。

「日本一低い山」「ポケGO聖地」など見どころ満載――天保山渡船場

8カ所の渡船場のうち、有名観光地の近くにあるのが、この天保山(てんぽうざん)渡船場だ。安治川をはさんで、北側にはUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)、南側には天保山公園が控えている。運がよければ、天保山に大型客船が止まっているかもしれない。大型客船と渡し船のコントラストもユーモラスである。

まずは、JR桜島線の終点・桜島駅から徒歩10分ほどのところにある北側の乗り場に向かった。この渡船場では昼間は30分おきに運航されている。通常、船は南側(天保山側)に停泊しており、出航時刻が迫ると、2人の係員が近くの詰め所から出てきて、乗り場へのゲートを開ける。そして、約400メートルの航路を2~3分かけて進む。北側(桜島側)の乗り場に到着して、乗客の乗り下りが済んだら、すぐに折り返すという運航だ。

大阪の渡船場8カ所いずれも船内に座席はなく、立ったまま乗る。もっとも、歩行者の利用はあまりなく、ほとんどが地元の人による自転車での利用だ。自転車で渡船場にやってきて、自転車から降り、自転車を手で押して乗船。渡航中は自転車の脇に立ち、手で自転車を支える。対岸に到着したら、またそこから自転車に乗っていく。

桜島側で待っていると、おそらく貸自転車なのだろう、欧米人観光客らしき男女が4~5人、自転車を押しながら、ワーオと声を上げ、満面の笑みで下りてきた。

南側の乗り場は天保山公園の北東端にある。天保山は人工的につくられた山だが、地元の要望によって国土地理院に"山"と認定されたそうで、公園内には「日本一低い山 4.53m」という看板が立っていた!

その"山頂"から、さらに高いところへと階段を上がると、スマートフォンを見ながらうろうろしている人が大勢いて、ちょっと不気味だった。あとで知ったところによると、天保山公園はポケモンGOの聖地なのだそうだ。

鉄道ファンに名高い「汐見橋線」でアクセス――落合上渡船場・落合下渡船場

天保山渡船場とは対照的に、地元の人の生活に密着しているのが、落合上渡船場と落合下渡船場である。どちらも、大正区と西成区の間を流れる木津川を渡るもので、木津川の渡し船はこの2カ所を含めて4カ所が残されている。

落合上渡船場は、南海電鉄汐見橋線の木津川駅と津守駅のほぼ中間に位置している。実は、この汐見橋線こそ鉄道ファンに名高い、都会の中のローカル色あふれる路線なのだ。10年前は津守駅から歩いたのだが、今回は1日の乗降客が100人たらずという「都会の秘境駅」として知られる木津川駅で下車した。

この駅は、住宅地とは反対側に出口があり、駅を出ると目に飛び込んでくるのは空き地や倉庫や工場ばかり。こんな殺風景で歩道のない川沿いの道を、ひんぱんに通るトラックを避けながら南に15分ほど歩くと、落合上渡船場の東側(北津守側)乗り場に着いた。対岸の千島側乗り場までは、わずか100メートル。手を伸ばせば届くような距離である。

これならば橋を架ければいいと思う人もいるだろうが、大型船も安全に通過できるようにするには、膨大な建設費用をかけて桁下の高い橋を架けなければならない。車の需要がそれほどなければ、渡し船でいいだろうという理屈のようだ。

ちなみに、落合上渡船場のすぐ上流にある木津川水門は、水面からの距離が驚くほど高く、見たこともないような形をしていた。月に1回ほど、水門を閉じるための試運転を行うそうで、チャンスがあればぜひ見てみたいものである。

落合上渡船場で大正区に渡り、10分ほど南に歩いたところにある落合下渡船場から再び西成区に戻ってきた。この2カ所の渡し船は、日中15分おきに運航されている。

ところで、この大阪に限らず、渡し船に乗るときは片道に限るという条件を自分に課している。そもそも渡し船は対岸に渡るためのものである。いくら無料とはいえ、自分の道楽のために、ただ往復するのは申し訳ないという私なりの美学……ではなく見栄(みえ)である。

壮大なループ橋のたもと、生活者に愛される――千本松渡船場

千本松渡船場は、落合下渡船場から工業地帯を徒歩で20分ほど南下したところにある。やはり木津川を渡る船ではあるが、落合上渡船場や落合下渡船場とはかなり趣が異なる。川幅が広く、頭上には桁下33メートルの立派な千本松大橋が架かっているので、ちょっとした絶景が味わえる。

この橋は、岸辺からループを2周して高度をかせいで対岸に渡るもので、開通は1973年。橋には歩道も付いているのだが、「徒歩や自転車でここを越えるのはつらいので渡し船を残してほしい」という住民からの強い要望によって千本松渡船場が残されたと聞いた。

最初に紹介した天保山渡船場でも、この後に紹介する木津川渡船場や千歳渡船場でも、やはり並行して橋が架けられているものの、歩行者や自転車には利用しづらいことから、渡し船が残されている。

大阪の渡し船で興味深いのは、利用者のほとんどが自転車に乗っているという点である。最初は不思議に思ったのだが、理由はごく単純。実際に渡し船の乗り場まで歩いてみてわかった。乗り場まで歩いて行くのが不便だからだ。どこも周囲に鉄道の駅はなく、バスもあまり近くを通っていない。通っていても1時間に1~2本程度。さすがに歩いて乗るのは、私みたいな物好きを除けば、少数派なのだろう。

大正区側に渡った帰りには、千本松大橋を通る1時間に1本ほどのバスを利用した。橋の上からは、あべのハルカスや梅田の高層ビルはもちろん、遠く生駒山まで見渡せて、気持ちがよかった。

ここだけ赤と白の船体、市港湾局の管轄――木津川渡船場

8カ所の渡し船で、最も不便な場所にあるのが、木津川渡船場だ。南側(平林北)の乗り場までは、大阪市営地下鉄四つ橋線の北加賀屋駅から2キロメートルほど。近くまで行くバスはあるが、1時間に1本しかなく、バス停からも10分ほど歩かなければならない。また、木津川の渡し船自体も日中は45分に1本の運航なので、時間には余裕をもって行ってほしい。

待合所付近には飲み物の自動販売機があるのみで、商店はない。前回の訪問では空腹で倒れそうになったので、今回はバス停前に1軒だけあるコンビニでパンとおにぎりを買い込み、待合所でパクつきながら出航を待った。

日中の利用客は少ないものの、朝夕は10分ごとの運航だ。これは、付近の工場に通勤する人が利用するためだろう。周囲は純然たる工業地帯である。

ところで、8カ所ある渡船場のうち、7カ所は大阪市建設局が管理しているが、ここ木津川渡船場だけは大阪市港湾局の管理だ。そのことを強調しているのかどうか定かではないが、船体の色がほかの渡船場が水色と白の塗り分けなのに対して、ここだけは赤と白である。そういえば、10年前は天保山渡船場を除いてほかの渡船場でも赤と白の塗り分けだったので、単にこれが昔のままの色ということなのかもしれない。

上流に千本松大橋が開通した1973年の翌年までは、車を積める船が両岸を結んでいたとのことで、南側の乗り場にはそれらしき跡が残っていた。

泳いでも渡れそう。航路が最も短い――船町渡船場

木津川渡船場の北側(船町側)から工業地帯を15分ほど歩くと、狭い木津川運河を渡る船町渡船場の乗り場に着く。日中20分おきに運航されているが、この航路は75メートルと8カ所の渡し船でもっとも短いため、航行し出すとあっというまに対岸に着いてしまう。水泳が苦手な私でも、泳いで渡れそうだ。

乗り場に着いたのが出航直後だったので、結果的に20分近く待ったにもかかわらず、30秒ほどの短い乗船時間で、ちょっと悔しい気もした。でも、そんな時間を楽しむことこそが、渡し船巡りの醍醐味である。

乗船した南の船町側が純然たる工業地帯だったのに対し、北の鶴町側に渡ってみると住宅や商店が立ち並ぶ生活者の息づかいが感じられる街が広がっていた。近くの大正通りには、ひっきりなしに市バスが走っている。北端にJR大阪環状線がかすめて大正駅があるだけで、地下鉄も私鉄も走っていない大正区にあって、バスは欠かせない公共交通機関。この街は渡し船とバスが暮らしを支えているのだ。

ちなみに、大阪の市営バスは後ろ乗り、前下り、後払いである。東京の都バスが前乗り、後ろ降り、先払いなのと正反対。エスカレーターの右空け左空けと同様、東京と正反対なのが面白い。「均一料金なんだから、先払いでいいんじゃないのか」と思ったが、大阪の方式は意外に利点がある。お金やカードを用意していないために乗車に手間どって遅れるということがなく、下りるときに乗務員にあいさつもできる。デメリットは、うっかり財布やICカードを忘れて乗ってしまったときに困ることくらいだろう。

小学生の楽しい通学路――千歳渡船場

船町渡船場を出て大正通りを北上し、鶴町の北端近くにやってくると、天空高く優雅にそびえる千歳橋の姿が見えてくる。大正内港にこの千歳橋が架かったことで、都心に向かう車やバスは便利になったものの、橋が川面から28メートルもあるために、千本松渡船場と同じ理由で渡し船が残されている。

「バスで行く? 船で行く?」

南側(鶴町側)乗り場近くで、自転車に乗った小学生の男の子が、後からやってくる友だちに大きな声で聞いていた。この近くにはバスの車庫があり、千歳橋を渡って大正駅や難波方面に行くバスも走っている。

結局、2人は自転車に乗ったまま、船で対岸に渡っていった。渡し船で通学したなんて、大人になってもいい思い出として残るに違いない。

この航路の最大の特徴は、広々とした港内を走るために、眺めが良いこと。南側からは、梅田の高層ビル群が正面に見えて、すがすがしい気持ちになる。

千歳渡船場の北側(北恩加島側)で下りて北に歩いて着いたところ、そこは北恩加島(きたおかじま)の町。もともと大正区には沖縄から働きに移ってきた人が多く、一説によると人口の4分の1が沖縄にルーツを持つという。10年前にもこの町で沖縄そばを食べたが、その店が今回も健在だったのはうれしかった。

恩加島という地名は、沖縄出身の薄幸な女性を歌った「今帰仁天底節(なきじんあみすくぶし)」という民謡の歌詞にも出てくる。沖縄好きにとって、今風にいえば聖地巡り、昔風にいえば歌枕を訪ねる旅。こんな気分でぶらぶら楽しく歩いた。

甚兵衛さんが紅葉の名所に開いた茶店跡――甚兵衛渡船場

15分ほど歩くと、今度は尻無川を渡る甚兵衛渡船場に着く。乗り場に掲げられた案内板によると、江戸時代に甚兵衛という人が開いた茶店にちなんだ名前なのだそうだ。当時は尻無川の堤が紅葉の名所として知られたという。今ではその面影はないが、目を閉じると、鮮やかな紅葉を眺め、お茶を飲みながら船を待つ大阪人の活気が伝わってくる。

ここは8カ所の渡船場で利用者が一番多い。大阪市建設局のホームページによれば、1日1000人以上が利用するそうだ。日中は15分おきに運航しているほか、朝の通勤通学時は「随時運転」とされており、2隻の船で利用者をさばくという。

甚兵衛渡船場は、船の進み方がずいぶんユニークだ。出航してすぐはバックで進み、しばらくすると切り返して左右に急旋回をして対岸に到着する。スペースが限られているので、こんな進み方をするのだろうが、見ていても、乗っていても、なんとも飽きない。とはいえ、遊び気分で行ったり来たりするのは申し訳ないし、先述したように往復はしない主義なので、静かに渡船場を後にした。

こうして10年ぶりの大阪渡船場巡りは、天気はいまひとつだったが、それを打ち消しても余りあるほど、じっくり堪能することができた。

大阪と聞いてほかの地域に住む人がイメージするのは、食い倒れ、元気なおばちゃん、通天閣、浪速ど根性物語、お笑い、USJといったところだろうが、渡船場を巡る旅では、それとはまたひと味違う大阪の表情を見ることができる。

そして、しみじみ思った。大阪湾岸の工業地帯は、関西、いや日本の発展を支えてきた。すでに廃止になった航路を含めて、大阪の渡し船はその一翼を担ってきたのだなということを。

大阪渡船場の歴史と地理については、大阪市のウェブサイト内にある「大阪渡船場マップ」に詳しい。地図と交通機関があらかじめわかっていれば、1日で回ることも不可能ではないので、参考にされたい。ただし、かなり歩くことを覚悟して。

【大阪渡船場マップ】http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000011242.html

老婆心、いや老爺心で付け加えておくと、渡し船はあくまでも地元の生活者のための公共交通手段である。この記事を読んで乗ろうと思った方は、地元の方の邪魔にならないよう静かに利用していただければ幸いである。

なお、写真は特記したもの以外は2016年11月の撮影である。現在、船内と桟橋での撮影は揺れて危険なために禁止となっているので注意してほしい。

二村高史(ふたむら・たかし) フリーライター、公益財団法人日伊協会常務理事。1956年東京生まれ。東京大学文学部卒。小学生時代から都電、国鉄、私鉄の乗り歩きに目覚める。大学卒業後はシベリア鉄道経由でヨーロッパに行きイタリア語習得に励む。塾講師、パソコン解説書執筆などを経てフリーランスのライターに。「鉄道黄金時代 1970's ディスカバージャパンメモリーズ」(日経BP社)、連載「30年の時を超える 大人のシベリア鉄道横断記」(日経ビジネスonline)などの鉄道関連の著作のほか、パソコン、IT関係の著書がある。

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