フィンランドでくつろぐ 「森の民」の休日
東京大学准教授 五十嵐 圭日子
美しい自然や民話の舞台として知られる北欧。そこで暮らす人々の生活はどんなものだろう。東京大学准教授で、北欧最大の研究機関、フィンランド技術研究センター(VTT)で客員教授も務める五十嵐圭日子(きよひこ)氏に、北欧の魅力や、「人生を謳歌する」人々の暮らしぶりを紹介していただく。1回目は「森の民」と呼ばれるフィンランド人の週末の過ごし方から。
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ヨーロッパの玄関
「フィンランド」という国に皆さんはどのようなイメージをお持ちだろうか?
2016年の初めから、仕事で年に数カ月ほどフィンランドで暮らすようになった筆者が、渡航前に持っていたイメージはサンタクロースとムーミン。その他にもリナックスやノキアなどのIT(情報技術)関連企業が有名であるし、洋服や食器に興味のある方ならマリメッコやイッタラといったデザイン関連企業が、その独特な世界観で多くの日本人を魅了していることはご存じかもしれない。
ヨーロッパへ行くことがあれば、機内アナウンスで「現在、フィンランド上空を飛行中で、あと○○分後に飛行機は降下を開始します」と流れるのを聞くことだろう。実は日本からヨーロッパへ(北回りで)行く時は必ずフィンランドを通ることになるため、フィンランドは「ヨーロッパの玄関」なのである。
このように、そこそこ有名なプロダクツがあって、ヨーロッパへ行く時は必ず遭遇する守衛さんのような国であるフィンランドであるが、そこに住む人たちがどのような生活をしているのかは、ほとんど知られていないのではないだろうか?
「森の民」フィンランド人
フィンランドは、スウェーデンとロシアの引っ張り合いに巻き込まれてきた歴史を持つ。その名残は今でも国のあちこちに見られ、例えばロシア正教の教会(ウスペンスキー教会)は首都であるヘルシンキに今でも残っているし、道路標識やスーパーマーケットの食品には必ずフィンランド語とスウェーデン語が並んで記されている。ちなみにフィンランド語では、アルファベットの並びからそれが何なのかを推測することがほぼ不可能なので、私の場合はより英語に近いスウェーデン語の表記から推測して生活している。
そのような引っ張り合いの歴史の中で育まれたフィンランド人の性格は「シャイで無口」と言われているが、そこは「日本人」という十把ひとからげのパーソナリティーが存在しないのと同様、必ずしもそのような人達ばかりではない。もしフィンランド人に共通のパーソナリティーを見いだそうとするなら「森の民」であることくらいであろうか。
しかし、国土の面積に占める森林の割合は日本とほぼ同じ7割なので、日本人も「森の民」と呼ばれてもおかしくないはずである。なぜ特にフィンランド人だけが「森の民」なのだろうか? フィンランドで暮らすにようになって、このような数字には表れてこないフィンランド人と日本人の違いを感じている。フィンランド人は「森に住んでいる民」というより「森によって生かされている民」なのである。
■「森の民」の週末
ウイークデーは首都であるヘルシンキで仕事をし、休日を森のサマーハウスで過ごすというライフスタイルは、フィンランド人にとっては特別なことではない。「日本ではそのような生活はお金持ちにしかできないよ」と仕事仲間の一人に話すと、その生活を体験させてあげようということで私を週末に招待してくれることになった。
彼のサマーハウスは、ヘルシンキから300キロメートルほど北東へ行ったところにあるヴァルカウス(Valkaus)の郊外にある。この町は古くから製紙業で栄えており、住民も製紙会社で働く人が多いとのこと。しかし自然にあふれているということ以外は観光するところがないらしいので、日本人が観光がてら立ち寄ることはほとんどないらしい。
彼の場合、月に3回はヘルシンキ市内のアパートメントとサマーハウスを往復している。つまり都市部のアパートメントが彼にとっては別宅であり、「森の家」が自宅なのである。車で5時間以上もかかるというので「そんなに遠いんだ」と言うと「たった300キロじゃないか」という返答。金曜日の夕方近くに下りの高速道路が混むのは、同じように数百キロ離れた「森の家」に帰宅する人達の列だよと聞いて唖然(あぜん)とする。首都であるヘルシンキに住みながらほぼ毎週そのような生活をしているのである。
その「森の家」で何をしているのかと尋ねると「お前は普段、自宅で何をしているのか?」と逆に質問され返答に困ってしまった。考えてみれば何か特別なことをしに自宅に帰る人はいないわけで、彼らにとって「森の家」が自宅なのであれば、そのような質問に答えにくいのは当然のことである。
キノコとリンゴ
土曜日の朝早くにヘルシンキをたち、何時間も変わらない白樺(しらかば)林の景色を走り続け、昼すぎに「森の家」に着いた。さっそく私たちが取り組んだのは「キノコ狩り」である。私が訪れた日は9月の下旬、ちょうど前日に雨が降ったため、軸部分が黄色い「イエローフットカンタレラ(Yellow Foot Chanterelle)」と呼ばれるキノコを取るのに良いタイミングだというので、かごを持って近くの森へ出かける。
この時期は、ヘラジカのごわごわした毛をかき分けて血を吸うハエが出るから、首の辺りがもぞもぞしたら気を付けてという注意事項を聞いた後にいざ出陣。「このキノコは高く売れるからこの場所は絶対に他の人に教えたらダメだぞ」と言われながら5分ほど森の中を歩くが、そもそも近くに家も無いのにこんなところまでキノコ狩りに来る人はいないのではと尋ねると、以前にお気に入りだった場所は他の人に取られるようになってしまったらしい。フィンランドでは「森の幸」は土地の所有者でなくても収穫をすることができるので、穴場は他人に教えないのが暗黙のルールらしい。彼の言う通り、そこにはキノコが群生しており、籠いっぱい収穫できた。
森の家に戻ると今度は庭に生えているリンゴの木からリンゴを収穫する。このリンゴで晩ご飯の後のデザート用にケーキを作るらしい。森の家に戻った私の仕事は、収穫したキノコを乾燥しやすいように割くことである。途中のスーパーで購入した肉は、夏の間に庭で収穫しておいたハーブで香草焼きにするという。
日本では週末に何をするのかなどたわいない会話をしながら、彼は肉を焼き、私はキノコを割く。その仕事が一段落すると今度はリンゴの皮をむく。そうこうしているうちに肉が焼けたので、今度はオーブンにリンゴケーキを入れて、焼いている間に晩ご飯を食べる。キノコはどうするのか聞くと、数日干してスープに入れたり料理に使ったりするが、ついこの前収穫したばかりだから今回の収穫した分は私が持って帰るといいと言われる。
彼のキッチンには、夏の間に作りためたマーマレードや野いちごを使ったジャムが所狭しと並んでおり、翌日(日曜日)のブランチはハムや目玉焼きとともにそれらをパンに塗って食べた。前の晩ご飯の残りはプラスチック製の食品保存容器に移して、ヘルシンキのアパートに持って帰ってウイークデーのご飯とするらしい。そんな話をしながら昼すぎまで近くの森の中を散策して、またヘルシンキへの帰途につくのだった。
森に生かされる民
ヘルシンキから300キロ離れた森の家に5時間かけて行き、私たちがやったのは、キノコとリンゴを収穫し、晩ご飯を食べて、会話をして、寝て、作りためたジャムをお供にブランチを食べて帰る、ただそれだけであった。「なんと退屈な休日だろうか」とお嘆きの読者には申し訳ないが、自分がこれほど充実した週末をここ最近過ごしていなかったことを帰り道で思っていた。森の空気に全身が包まれて、自分の身体が喜んでいることがわかる。
次の週、次の冬のために「森の幸」を収穫し、保存できるようにしながら、その日の食事を準備し食べる生活は、まるでリスのようである。「特別な何か」をするために森に行くのではなく、純粋に自分たちが美味(おい)しいものを食べて楽しく会話をするために創造された時間、これ以上の贅沢(ぜいたく)がどこにあるのだろうか? 日本人が忘れていた森に生かされる生活を教わった週末であった。
東京大学准教授、フィンランド技術研究センター(VTT)客員教授
東京大学農学部林産学科卒、同大大学院農学生命学研究科生物材料科学専攻博士課程修了。2009年から同大学院農学生命学研究科の准教授。バイオマスを分解する酵素の研究で、米科学誌「サイエンス」を含む100を超える論文の著者であるとともに、ギネス世界記録も保持する。2016年からVTTで客員教授も務める。
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