島で働くということ 沖縄の風土とらえたシティG
シティグループ沖縄オペレーションセンターでサイトマネージャーを務める岸本稔彦さん。
島人(しまんちゅ)、島唄……。人は沖縄のことを島と呼ぶ。そんな島の魅力に絡め取られるように、沖縄に移り住み、残りの人生をここで送ろうと決意をする人が増えている。一方、沖縄で生まれ育った島人は、いったん都会で就職しても、それが定めであるかのように島に舞い戻る。働くことに関して、独自の世界観がある沖縄。そんな沖縄に新しい働き方のモデルを見いだし、自社の雇用戦略と巧みにマッチさせたのが、米国の金融機関、シティグループだ。
岸本稔彦さん(60)も島に魅せられ、島への移住を決めた1人だ。シティ入行は1981年。37年目のベテランだ。今の肩書はシティグループ沖縄オペレーションセンターのサイトマネージャー。要するに沖縄拠点の統括役だ。
シティは内外の為替業務やグループ証券の管理業務などバックオフィス機能の沖縄移管を進めている。移管に拍車を掛けたのが、2011年の東日本大震災だ。「バックオフィスが東京に集中することのリスクを、まざまざと認識した」(友田歩美シティグループ証券業務本部長)。現在、グループの後方事務の6割程度を沖縄が担っている。
沖縄生活も10年を超え、岸本さんは沖縄方言も徐々に覚えてきた。
岸本さんが沖縄に移ったのは2005年。後方事務の沖縄移管が始まるとき、自ら手を挙げた。東京では法人部門の統括など花形部署を歩んできたが、積み重ねてきたキャリアに未練はなかった。もともと沖縄が好きで、年2回は趣味のダイビングなどで訪れていた。引退したら沖縄に移住するかと漠然と考えていたが、50歳を前にしてIターンを決意した理由は、「流れる時間の速さが東京とまったく違う」(岸本さん)ためだ。
東京時代は満員電車で1時間かけて通勤し、休日出勤も当たり前の日々だった。現在の通勤は徒歩15分。仕事は夕方5時半に終わり、ほぼ毎日、泡盛のグラスを傾ける。独身なので家族に気兼ねすることなく、土日は好きなダイビングや散策、ゴルフで過ごしている。
岸本さんの統括する銀行、証券の後方事務を円滑に進めるには、金融経験者が好ましいのだが、地方で経験者を探すのは難しい。地方銀行、信用金庫などの地域金融機関は就職先として安定しており、途中退社が比較的少ないためだ。シティが沖縄に目を付けたのは、岸本さんのようなIターン志向者が多く、金融経験者を採用しやすいと考えたためだ。