横山幸雄25周年のショパン(後編)「大ポロネーズ」
デビュー25周年のピアニスト横山幸雄さん(45)がショパンの全曲演奏会から一歩を踏み出し、選び抜いた作品を深掘りし始めている。横山さんがショパンを弾きながら音楽を語るシリーズ。後編の映像では、自身がオーナーのイタリア・レストランでディナーコンサートを催すなど、ワイン通のエンターテイナーとしての側面も探っている。
絢爛(けんらん)豪華なピアノ音楽がワイングラスを震わせる。フレデリック・ショパン(1810~1849年)の「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22」。横山さんの豪放で華やかな演奏が、明るくみずみずしい「大ポロネーズ」を劇的に盛り上げる。ショパンがウィーンを経由してフランスへと旅立つ前、祖国ポーランドで作曲した青春の音楽。ポーランドの民族舞曲「ポロネーズ」はフランス語で「ポーランド風」という意味がある。
■立ち上るポーランド民族舞曲の興奮
ポーランド人の母、フランス人の父を持つショパンが若い頃から傾倒したのが「ポロネーズ」だ。横山さんの演奏からは、土臭さも漂うほどのポーランドの民族音楽の興奮が立ち上る。1月21日にサントリーホール(東京・港)で催す「デビュー25周年記念 横山幸雄ピアノ・リサイタル」でもこの曲を演奏する。
東京で最もおしゃれな街といわれる南青山の閑静な住宅地に、横山さんがオーナーのイタリア・レストラン「リストランテ ペガソ」がある。店の周辺を歩くと和菓子店やクリーニング店、コンビニもあり、意外に庶民的な雰囲気の街だ。この店の2階に据えられたスタインウェイの茶色のピアノで横山さんは「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」を弾き始めた。今回のシリーズ映像の「前編」で取り上げた「バラード第1番ト短調 作品23」と同様、ロマン・ポランスキー監督の映画「戦場のピアニスト」に登場する曲で、ホロコーストを生き延びたユダヤ人の主人公が第2次世界大戦後のポーランドで晴れやかに弾く。映画ではオーケストラ伴奏の原典版で演奏されるが、横山さんが弾いたのはピアノ独奏版。いずれもショパンの作品の中では演奏機会が多くない。
ショパンのピアノ曲の傑作は何か。その定義も分からないままにプロのピアニストに軽い気持ちで尋ねてみることがある。ポピュラーな名曲なら「ポロネーズ第6番作品53《英雄》」「練習曲作品10の12《革命》」「24の前奏曲作品28第15番《雨だれ》」などおなじみの名前が挙がるだろう。しかし傑作は名曲や人気曲ともまた違う。横山さんが前編で弾いた「バラード第1番」を文句なしにショパンの傑作の一つとして挙げる人は多い。ショパンの「バラード」は全4作品あり、いずれも傑作との呼び声は高い。これと並ぶのは「スケルツォ」で、やはり4作品ある。「バラード」「スケルツォ」を合わせた計8作品をショパンの最高傑作に挙げるピアニストは非常に多い。
■フランスとポーランドの風土を体現
「バラード」「スケルツォ」に共通するのはいずれも演奏時間が7~11分と、小品が多いショパンの中では比較的長めの曲であることだ。交響曲の1楽章に匹敵する大きな構造を持っている。「バラード第1番」「スケルツォ第2番」などは情熱的で悲劇的な短調の旋律と、叙情的で甘美な長調の旋律が織りなすピアノ1台による交響詩のようだ。拡大されたソナタ形式による建築物のような構成で、ドラマチックな効果を上げるに十分だ。ベートーヴェンやブラームスの交響曲、リストの交響詩に通じるものがある。バイロンの詩やドラクロワの絵画のようなロマン性を持つともいわれる。リストはベートーヴェンの9つの交響曲をすべてピアノ独奏曲に編曲したが、ショパンの「バラード」「スケルツォ」はピアノならではの持ち味を生かしてそれらの楽章以上の交響的効果を上げている。
「バラード&スケルツォ」の組み合わせによる名盤はきら星のように存在する。レコードからCDへと移行する中で、8作品で計70~80分と交響曲2作分、ちょうどCDの容量に収まる演奏時間であることも、カップリングの多さに影響しているようだ。ルービンシュタイン、フランソワ、アシュケナージ、アントルモン、ポリーニなど、世界的ピアニストによる優れた録音は枚挙にいとまが無い。筆者の一人が一押しするCDはフィリップ・アントルモン氏による1970年録音盤。一般に筆頭に挙げる人は少ないと思われるアントルモン氏の録音だが、フランス人らしい洗練された音の美しさ、研ぎ澄まされた繊細な響きから生まれるロマン性、北フランスの田園風景を思わせる叙情性はショパンの世界にふさわしい。
2015年ショパン国際ピアノコンクールの審査員を務めたアントルモン氏は、1位優勝した韓国のチョ・ソンジン氏に一人だけ極端に低い「1点」をつけたことで物議を醸した。アジア人の演奏家だから辛い採点をしたのではないかとの臆測も呼んだ。しかしアントルモン氏の弾く「バラード」や「スケルツォ」を聴くと、やはりショパンの演奏では欧州、特にゆかりのフランスやポーランドの風土を生活実感として十分に知り、それを体現できるピアニストが求められる気もする。マヨルカ島への逃避行、ノアンでの同棲(せい)生活など、ショパンと作家ジョルジュ・サンドとの恋愛関係への理解も不可欠だろう。上手に正確に弾くだけでなく、恋愛と社交、ポーランドへの強い愛国心など、ショパンの波乱の生涯に寄り添えるだけの演奏家の人生経験と個性、独自の作品解釈も、聴き手を感動させるのに欠かせないと思われる。
■ショパンの曲を自作のように感じる
この点で横山さんも波乱といえる半生を送ってきているのではないか。あるいは破格と言うべきか。東京芸術大学音楽学部付属音楽高等学校に在学中の16歳で渡仏。パリ国立高等音楽院に仏政府給費留学生として入学した。これについて横山さんは「僕は16歳でパリに遊びに行っただけ」と話す。同音楽院を卒業した1990年、ショパン国際ピアノコンクールに出場し、当時最年少の19歳で3位に入賞した。しかしインタビューでは彼一流のユーモアのつもりか、コンクールの話よりも、渡仏を機に「ワインと出合った」ことを強調していた。フランス在住の時期を振り返り、「年齢も国籍も考え方も習慣もばらばらの人たちに囲まれて、親元からも日本からも解き放たれて、これは楽しいでしょう、普通どう考えても」と言って笑う。
ワイン通の横山さんのレストラン「ペガソ」には様々なボトルがずらっと並ぶ。この店で彼は自らのピアノ演奏によるランチ・コンサートとディナー・コンサートを催している。富裕な市民や亡命貴族、芸術家らが集った19世紀パリのサロン。そうしたサロンの社交界でショパンは自作のピアノ曲を演奏し、人気を博していったといわれる。横山さんのレストランでのコンサートはまさにそんなサロンの音楽を疑似体験できる場なのだろう。ピアニストに余裕と遊びがなければできない芸当であり、ショパンに近づく道でもある。
「昔はショパンの曲を弾いていたという感じなんだけど、今はこれ、ショパンが作ったんじゃなくて、僕自分で作ったんじゃないかなというような」と、そんな感覚を横山さんは持つという。「僕は自分でも作曲するが、ショパンの曲の方がもとから自分の中にあったものみたいな感じになっている」。フランス留学やワインのたしなみ、ショパン全曲演奏会、レストランでの自演コンサートなどを通じて、いよいよショパンに成り切ってきたのか。単に正確に上手に弾くピアニストとは一線を画し、実生活をも注ぎ込んでショパンの探究と作品の深掘りを進めている。
最後に「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」に話が戻る。この曲は一般に人気曲とも名曲ともいわれてこなかったと思われる。「最高傑作」と言う人もまずいないのではないか。ロマン派に特有の深い「内面性」があまりなく、音楽的にも軽いとの指摘がある。しかしピアニストの人生経験と個性がそこに注ぎ込まれれば、作曲家の創造性と相まって作品の魅力は増す。横山さんの演奏からは「ポーランド節」への郷愁が感じられる。彼が中学時代からポーランド出身のピアノ教師に学んでいたことをうかがわせる。「せっかくポーランドの先生だし、ショパンのスペシャリストだし、ショパンを弾いてみようと思った」。この恩師との出会いが25年のプロのキャリアにつながる始まりだ。デビュー25周年記念リサイタルでも、彼は「大ポロネーズ」を華麗に弾くだろう。
(映像報道部 シニア・エディター池上輝彦、槍田真希子)
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