随筆家が醸す至極の信州ワイン 世界の首脳をもてなす
ライター 猪瀬聖
長野県東御(とうみ)市。かつては養蚕で栄えた山間地に、ワイナリーのオーナーを夢見る中高年が都会から続々と押し寄せ、一大ワイン産地を形成しようとしている。強力な磁石の役割を果たしているのが、エッセイストで画家の玉村豊男さん(71)が建てたヴィラデストワイナリー。フラッグシップの「ヴィニュロンズ・リザーヴ・シャルドネ」は、2016年5月に日本で開かれた主要7カ国(G7)首脳会議(伊勢志摩サミット)の晩さん会で各国首脳をもてなした至極の信州ワインだ。
■北アルプスを背に広がるブドウ畑
ヴィラデストを訪れたのは12月中旬。畑のブドウの木は一枚残さず葉を落とし、すっかり冬の装いを見せていた。正式名称「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」の名が示す通り、ワイナリーの隣には、春から夏にかけて色とりどりの花が咲き乱れる庭園が広がり、遠くには雄大な北アルプスのパノラマが広がる。
醸造施設の入った建物の2階には、ショップとレストランがあり、ワインを買ったり、食事と一緒に楽しんだりできる。料理の食材は自家農園を含めた地元産の新鮮な野菜や肉が中心。もちろん、ワインとの相性は抜群だ。交通の便がよくないにもかかわらず、毎年3万~4万人の観光客が訪れる。玉村さんもよくカフェで接客するという。
ヴィラデストを訪れるのは観光客だけではない。田舎暮らしを考えている人や、第二の人生はワイナリーのオーナーという人たちも、玉村さんに相談しにやってくる。そういう人たちは大抵、他の客がいなくなる瞬間をとらえて近づいて来るので、「すぐにわかる」と玉村さんは笑う。
東大卒のエッセイスト 療養からワイン造りへ
玉村さんはもともと、東京大学仏文科を出てエッセイストとして活動。長野県軽井沢町に住んでいた時に原因不明の吐血をし、その時の輸血が原因で肝炎にかかった。療養生活を余儀なくされたのを機に、人生の後半は農業をして暮らそうと、夫婦で東御市に移住。今から25年前、45歳の時だった。
ワイン好きだった玉村さんは、新居の近くの土地を開墾してブドウ畑をつくり、赤ワイン品種のメルローと白ワイン品種のシャルドネの苗木を500本植栽。収穫したブドウは隣の小諸市にある大手ワイナリーに持ち込んで醸造してもらい、できたワインは自分で飲んだ。だが、初めはブドウの木が若すぎたこともあり、まったくおいしくなかったという。「毎日くたくたになりながら開墾し、ようやくブドウを育てたのに、まずいワインしかできずにどうしようかと思った」と笑いながら話す。
やがて、玉村さんや、多くの日本人の人生を変えることになる出来事が起きる。玉村さんと縁のあった大手酒造会社が、近くにワイナリーを建てる計画を打ち上げたのだ。それなら自分も力になりたいと、農家から土地を買ったり借りたりして畑を拡張。日本ワインの父と言われた醸造コンサルタントの麻井宇介(本名・浅井信吾)氏を招いて、栽培醸造技術者の育成も始めた。
借金してワイナリー建設
ところが、諸々の理由で計画はとん挫した。後に残ったのは、自家用には広すぎるブドウ畑と、育てた新米の醸造家。玉村さんは、ここでやめるのはもったいないと考え、自分でワイナリーをつくることを決意した。「実は、麻井さんの指導を受けてから、ワインの味が急速に良くなっていた。これはいけると思った」という。
問題はお金だった。ワイン造りをするには、破砕機や醸造タンク、熟成樽(たる)などを一式そろえなければならない。もちろん建物も必要だ。反対する妻や周囲を説得し、1億6000万円の借金をして、何とかワイナリーを建設。2003年に醸造免許を取得し、醸造を始めた。
玉村さんの舌に狂いはなかった。醸造したワインは当初から高い評価を受け、08年の洞爺湖サミットでは、早くも05年に収穫、醸造したヴィニュロンズ・リザーヴ・シャルドネがワーキングランチのワインに採用。その後も、国際コンクールで次々と賞をとるなど、押しも押されもせぬ日本を代表するワイナリーへと成長した。
高評価の理由は、麻井氏からマンツーマンの指導を受けた醸造責任者、小西超さんのおかげと玉村さんは強調する。気候がブドウの栽培に適していることも幸いした。ブドウ畑のある場所は標高850メートルの高地。日照時間が長く、昼夜の寒暖差が大きい。ブドウがよく熟し、酸も十分。出来上がったワインは果実味があり、酸味もしっかりしたエレガントな仕上がりとなっている。
金融、IT関係者らも移住
ヴィラデストのワインが評判になると、東御市でワイン造りをしたいという人が現れた。10年、近くに2軒のワイナリーがオープン。オーナーはいずれも移住者だ。
11年3月の東日本大震災以降、「移住したい」「ワイナリーをやりたい」と相談に来る人が急に増えたと玉村さんは言う。「相談者は40歳代が一番多いが、それくらいの歳になると人生の先行きが見えてくる。そこで、自分の人生をもう一度見つめ直し、本当にやりたいことをやりたいと考える人が、震災以降、増えたのは間違いない」。
相談者の中には、金融やIT(情報技術)関係者も多いという。「ワイン造りの仕事には、ものづくりの実感がある。しかも、ワインは土地や造り手によって味わいが変わるから、自己表現もできる。好きなワインで自分を表現し、それを誰かに評価してもらう喜び。金融やITの仕事ではなかなか味わえないのではないか」
人生の後輩たちの受け皿として、15年、ヴィラデストの近くに「千曲川ワインアカデミー」を開校した。授業は週2日。栽培醸造技術から、資金調達の方法、ワイン市場の最新の動向まで、ワイナリー経営に必要な知識を1年間かけてびっしり学ぶ。畑に出ての実習もある。15年は24人、16年は27人が受講した。女性も数人ずついる。
授業は2日とも平日なので、都会でサラリーマンをしながらの通学は難しい。ほとんどが会社を辞めてくるという。受講生や卒業生の中にはすでにブドウ栽培を始めた人も多い。玉村さんによると、受講生・卒業生を含め東御市内でブドウ畑を持っている人は30人以上、隣接する小諸市内で10人前後にのぼり、数はどんどん増えている。アカデミーの開校と同時に、地域ファンドや政府などの支援を得て地域の基盤ワイナリーとなる「アルカンヴィーニュ」も設立した。自前の醸造施設をまだ持てないブドウ生産者を支援するためだ。
千曲川にワインバレーを
玉村さんの夢はさらに膨らむ。具体的に動き出しているのは、千曲川流域を一大ワイン産地にする「千曲川ワインバレー構想」だ。今年、地域の5つのワイナリーと1つのチーズ工房を結ぶ循環バスの試験運行を始めた。長野県も玉村さんの構想に乗り、さらに広域の「信州ワインバレー構想」を打ち出している。
「この周辺は、ワインだけでなく、チーズも生ハムも、本場のヨーロッパに負けないものができる。小さなワイナリーがいくつもあって、チーズやハムをつくったりする人もいれば、そこで暮らす人にとっても訪れる人にとっても楽しいじゃないですか。そうした農業をベースとしたライフスタイルがこの地域に広がり、それが地域振興にもつながれば、最高ですよ」。玉村さんは、柔和な表情を浮かべながら、そう話してくれた。
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