エンタメ!

あの人が語る 思い出の味

タフな胃袋、演奏支える 吉野直子さん 食の履歴書

2016/12/30

 ハープという楽器は、どこか上品で繊細なイメージが似合う。見た目や話し方はそのイメージ通りだが、実は相当にタフな人だ。人間として丈夫。食にまつわる話を聞いているうちにそんな印象に変わった。健康であるという強さが、世界各地での演奏活動を支えているのだろう。

 「好き嫌いはありません。海外でも日本でも食べ物で困ったことはないですね」。銀行に勤めていた父親の勤務地だったロンドンで生まれ、すぐに日本に。自宅では母親の手料理が中心だった。幼稚園が終わる頃にロサンゼルスに転勤になるが、家での夕食は基本的にご飯と味噌汁におかず、野菜という食卓だった。

ハープ奏者。1967年ロンドン生まれ、49歳。85年、17歳でイスラエル国際ハープコンクールで優勝。昨年デビュー30周年を迎え、来年1月に東京でリサイタル、ソロアルバムを発売。矢後衛撮影

 ロサンゼルスでは近所の公立小学校に通った。「最初はお弁当を持たされて、みんなと違っていて嫌だなと思った記憶がある」というが、両親は食事に関してはおおらかだった。「カフェテリアでも食べたし、アイスクリームも、10セント入れると機械から出てくるガムも大好き。いろんなものを食べられるのが楽しくて仕方なかった」

■放し飼い的な両親

 食に対する姿勢が自然体なのだ。「喉が渇いたら水を飲むように『食べたい』『おいしい』と体が感じるものは問題ないと思っている。避けるような食べものは何もない」。そんな食習慣を続けられるのは、アレルギーも偏食もなく何でも受け入れる丈夫で健康な体に恵まれたからだろう。

 「食べ物で体調を崩したというマイナスの思い出はほとんどない」。半世紀近く生きてきてそんなふうに言える人はそうはいないのではないか。大きな病気もなく、移動で眠れずに体調を崩すこともないという。「おおらかで放し飼い的な食生活だったことが結果的に健康な体にしてくれたのかもしれない」と両親に感謝している。

 母親もハープ奏者だったため小さい頃から楽器が身近にあり自宅は音楽で包まれていた。ロサンゼルスで母親のレッスンについていき、自分も習うようになった。高校3年生の時に国際コンクールで優勝してプロになり、国際基督教大学時代には演奏活動を始める。「人前で演奏する時は、力を出せるように母に『お肉食べたい』とお願いした」

 ハープは「繊細でお姫様が奏でる楽器というイメージがあるかもしれませんが、意外とハードな楽器なんです」。重さは40キロ弱。ペダルが7つあり両手両足を使う。ペダルはピアノの黒鍵にあたり、半音上げたり下げたりするために頻繁に踏まなければならない。楽器を傾けて右肩に乗せるのが基本形だ。実際に構えさせてもらったが、優雅に爪弾くという感じではない。

 両手両足を使う楽器といえばドラムが思い浮かぶ。実は高校時代にはバンドを組んでドラムをやっていたこともある。「ドラムには凄く憧れて、友達とマドンナやシンディ・ローパーなどのコピーをやっていた」という。

 ハープはフルートとの相性がとてもいい。2013年に亡くなったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席フルート奏者、ウォルフガング・シュルツさんとは特に親交が深かった。「ウィーンに長く滞在するときは、シュルツさんの自宅近くに住まわせてもらい、たびたび食事をご一緒しました」

 思い出の料理がある。一般的に「ガンスル」(がちょう)と呼ばれるオーストリアの伝統的な鳥肉料理だ。地元の人たちと一緒に食べる料理は格別だった。「シュルツ家では家族の一員にしてもらった。その経験も含めて楽しい食の思い出になった」。食事は食卓の雰囲気や誰と食べるかということも味を左右する。

■お米が恋しい時も

 地元の住宅街にある何気ないレストランでは鹿肉などのジビエ料理も楽しんだ。ほかにもクヌーデル(ポテトの団子)など「変に凝っていなくて素材そのものの味が楽しめる料理が多く、地元のワインにもよく合う」。

 ウィーンフィルは夏にはモーツァルトの生誕地であるザルツブルクで音楽祭に参加するため、ザルツブルクに別荘を持っている楽団員も多い。「湖の近くにあるシュルツさんの小さなかわいいお宅に泊まると、いろんな人が遊びにくる。地元の人たちとおしゃべりしながら囲む食事は本当においしかったし、いい時間だったなと思う」と振り返る。

 アジア好きの夫の影響もあり、最近はインドやベトナムなどアジアの国を訪ねることが増えた。国内でも沖縄や小豆島、奄美大島などの島々を訪ね、その土地の食べ物にチャレンジする。「裏道にあるおいしそうな店を探し、クセがあるのがおいしいんだ、とわかるのも楽しい」

■おおらかに世界中の料理楽しむ

 世界中でいろいろなものを食べてきた。ただ、「現地で食べるものはおいしいけど、それが続くとお米が恋しくなるようになってきた」という。自由でおおらかな食に対する嗜好も、母親が作った和食の味に原点回帰しているのかもしれない。

■疲れ癒やすベトナム料理

仕事でもプライベートでもアジアを訪ねることが増えたという吉野さん。中でもベトナム料理が大好き。

 仕事でもプライベートでもアジアを訪ねることが増えたという吉野さん。中でもベトナム料理が大好き。店員全員がベトナム人の本格派だが、気楽に入れるお気に入りの店が東京都大田区蒲田の「THI THI=ティ ティ」(電話03・3731・1549)だ。

 おすすめは「揚げ春巻き」(6本で972円)。ベトナム料理というと生春巻きが有名だが、豚肉と春雨、エビやイカをライスペーパーで巻いた春巻きを香ばしく揚げるとまた格別の味わいになる。ビールによく合う。ティ・タン・ニャン店長は「野菜とハーブが女性には人気」という。

 本名徹次さんが指揮するベトナム国立交響楽団との共演が料理との出合い。「フランスの影響もあってお野菜をたっぷり使い、お米料理もあるので日本人には合う」と吉野さん。辛すぎず、体に優しい味わいが演奏後の疲れを癒やす。

■最後の晩餐

 炊きたての新米にうなぎのたれをかけた「うなだれ丼」を食べたい。ロサンゼルスに住んでいた頃、ディズニーランドに家族で行った帰りに必ず寄ったのがうなぎ屋さん。もちろんうなぎも好きだけど、たれが染み込んだご飯がたまらなくおいしかった。あれを超える味には出合えないと思います。

(大久保潤)

〔日経プラスワン2016年12月24日付〕

エンタメ!新着記事