会場震わす歌、ほとばしる熱量 ウォリス・バード
音楽評論家・佐藤英輔
アイルランドのシンガー・ソングライター、ウォリス・バードが来日した。右利き用のアコースティックギターを上下ひっくり返して構え、左手で激しくかき鳴らし、思うままに歌う。ステージにいるのは彼女1人だが、小柄な体からほとばしる熱量は尋常ではない。自分を表現したいという強い意志を持つ規格外の音楽家と出会った……。そんな喜びに浸れるライブだった。
幼いころからギターに親しんだバードは高校卒業後、首都ダブリンにある音楽学校に通った。やがて母国を出てドイツのマンハイム、ロンドン、ベルリンと拠点を移しながら自分の表現を模索し、2016年の新作「ホーム」を含めて5枚のアルバムを発表している。初期の作品はアイランドやコロムビアなど大手のレーベルから出していたが、やがてメジャーを離れて「バード・レコーズ」と名付けた自身のレーベルを作った。独立独歩を信条とする彼女らしい生き方だ。
東京・吉祥寺の繁華街にあるビルの地下。ステージに登場したバードは、まず新作「ホーム」に収録したアカペラの表題曲を、ここでも無伴奏で朗々と歌い始めた。それだけで場内の空気が大いに震える。彼女の発する「気」のようなものが、聴き手に押し寄せてくるのである。
目に見えない何かをつかもうとするかのような歌。この雰囲気は、まさにアイリッシュミュージックだ。バードが音楽の豊かな伝統を持つアイルランドの出身であることを再認識させられる。コスモポリタン的なスタンスで活動しているが、彼女の根っこにはやはりアイルランドという国があり、立脚点はぶれていない。
2曲目以降はギターを手に取り、次々と弾き語りしていく。生一本、裸のパフォーマンスとでも呼ぼうか。私には隠すものが何もない、私は自分の中にあるものや言いたいことをすべてぶちまける……といった気概がキラキラした無垢(むく)な輝きとともに聴き手に迫ってくる。
曲によってバードはギターの音にエフェクターをかけて複数のギターで演奏しているような効果を出したり、足踏み音を増幅させてビートを強調したりもする。左利きの彼女は、右利き用のギターを弦の張り方はそのままで逆さに持って演奏する。最も細い1弦が上、太い6弦が下になる。実はこのスタイルはジミ・ヘンドリックスと同じなのだが、この特殊な奏法が尋常ならぬ音の沸き上がりや訴求力を生み出す一助になっているのは間違いない。
バードはピアノも弾く。決して広くないステージにグランドピアノを用意し、弾き語りで2曲を披露した。ギターの弾き語りの激しさから一転、ピアノ曲では幽玄な雰囲気を醸し出した。
エンジニアとして同行したエイダンがステージに上り、コーラスをつけたりクラリネットで演奏に参加したりする場面もあった。自身もシンガー・ソングライターとして活動している彼の確かなエンジニアリングは、バードのライブには欠かせないものになっているようだ。基本的にバードは自身の曲を実直に伝える伝統的なシンガー・ソングライター・タイプだが、音響にも留意する現代的な志向も持っている。自分は今を生きる存在でありたいという気持ちの表れであろう。
バードはまるで呼吸をするように、自然体でステージを進めていった。演奏する楽曲もそのときの気分で選んでいたようだ。東京公演は2夜連続で行われたのだが、翌日の曲順はこの夜とかなり異なっていたという。自分と観客を隔てるものは何もないと言わんばかりに、バードは親しげに観客に語りかけ、和やかなムードを醸成していった。CDでは味わえないライブの醍醐味に満ちた一夜だった。12月10日、吉祥寺・スターパインズカフェ。
(音楽評論家 佐藤 英輔)
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