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アマゾンに生きた老日本人移民 森の回廊をたどる

素顔のブラジルを歩く(下) 写真家 渋谷敦志

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NIKKEI STYLE

写真家の渋谷敦志氏に「素顔のブラジル」を案内していただく連載。最終回となる3回目は、アマゾンへの旅です。いつ果てるとも知れないジャングルは「緑の地獄」と恐れられる半面、命のもととなる酸素を無限に生み出す「地球の肺」とも呼ばれます。学生時代に見たある写真展と、一人の日本人移民との出会いが、渋谷氏とアマゾンを強く結び付けました。

◆       ◆        ◆

今から20年も前のことだが、1年間、ブラジルのサンパウロで研修生として法律事務所で働いていたぼくは、滞在の最後に30日間の休暇をもらい、長い旅に出た。移動手段はバス、最終目的地はアマゾン川、ちょうど南回帰線から赤道を目指す格好だ。リオ、ブラジリア、バイーア、ペルナンブーコ、ピアウイ、マラニャン、パラー。移動距離を改めてグーグルマップで計算してみると、8000キロメートルに及んだ。直線距離で東京からパキスタンあたりまで届く。

いやはや、ブラジルの面積は日本の23倍というが、それがいかほどかを体感したいという人がいたら、バスの旅をお勧めしたい。車両は大きく、シートはゆったり、クッションもいい。サービスエリアも充実していて、思いのほか快適だ。時間の感覚が麻痺(まひ)するくらい途方もない距離を陸路で移動できるなんて、ブラジルならではなのだから。

研修生時代の話に戻るが、日本に帰国する前に、ぼくにはどうしても立ち寄りたい場所があった。それはアマゾンの奥地にあるセラ・ペラーダという金鉱だ。そのことを知ったのは、初めてブラジルに渡る前年の1995年に大阪で見た写真展だった。世界的なブラジル人写真家セバスチャン・サルガドの写真展「WORKERS」のことだ。

露天掘り金鉱写真の衝撃

そこで見たセラ・ペラーダのうごめく労働者を写した一群の作品に度肝を抜かれた。「こんな世界が現代に本当にあるのか」。万里の長城やピラミッドの建造現場はきっとこんな混沌だったのではと思わせるすさまじい光景だった。ブラジル世界との強烈な出合いであり、人生を変えた写真的原体験だった。このとき、サルガドの写真はぼくの中の何かをぶっ壊し、何かを生み出した。生きる根源に関わる何かだという予感はあったが、その正体を確かめるためにも、あの光景を自分の目で見てみたい。そんな思いがぼくをアマゾンへの旅に駆り立てていたのだ。

ブラジル北東部にあるマラニャン州のサンルイスに向かった。サンルイスと鉱山の間には、鉄鉱石を運搬するための鉄道が走っていて、しかも週に2便だけ旅客車両が運行するという情報を得たからだ。首尾よく鉄道に乗ってジャングルを抜け、パラウアペバスという町にたどり着いた。もうアマゾンのど真ん中だ。さらに、そこからヒッチハイクして、ガリンポ(金採掘所)に行きたいと言って、連れて行かれたのが、ヴァーレ・ド・リオ・ドッセという、現在はヴァーレという鉄鉱石やマンガンを生産する開発会社が管理するカラジャスと呼ばれる鉱山地帯だった。

「ガリンペイロ(金掘り人)を撮るために日本から来た」と、やや大げさに(でも嘘ではない)ゲートで説明すると、特別に中を案内してくれることになった。確かにそこには巨大なガリンポがあったのだが、露天掘りの大きな金鉱はため池へと姿を変えていた。追い求めていたサルガドの写真世界はもうそこにはなかった。

その夢のあとのような光景を眺めていると、意外にも気持ちの高ぶりを覚えた。「自分はまだ世界の一角しか知らない。その先に未知の世界が広がっている」。そう思うとワクワクして仕方がなかったのだ。その余韻が、カメラ片手に20年以上にわたって世界と向き合い続けるだけの十分な力をぼくに授けたと今も信じている。

日本からの移民がつくった町

それから5年後。ぼくは再びアマゾンに帰ってきた。研修生時代に時間切れで行きそびれていた町、トメアスを訪れるためだ。アマゾン川の河口にある都市ベレンから南へ約240キロ、バスで約5時間のところにトメアスはある。そこは日本からの移民がつくった町として知られていた。

最初にアマゾンへの移民が入ったのは1929年、昭和4年のこと。米国で日本人移民への排斥が強まり、ブラジルへの移民が増加する中、サンパウロやパラナの南部だけでなく、当時「緑の地獄」と恐れられていたアマゾン地方の開拓でも、日本人移民の力が求められ、最初の入植地が現在のトメアスとなったのであるが、そこで出会った坂口陞(のぼる)さんという一人の移民のことを連載の終わりに書こうと思う。

戦後、トメアスはコショウ(ピメンタ・ド・ヘイノ)の栽培で好景気にわいた。第2次世界大戦の影響で東南アジアでのコショウ生産量が落ち込み、高値で取引されるようになったのを受け、トメアスの日本移民たちは森林をどんどん伐採し、コショウを植えたのだ。黒いダイヤとまで呼ばれたコショウのおかげで、移民たちの"ピメンタ御殿"がいくつも建った。

自然とは「自ずと然るべきもの」

だが、好景気は長く続かなかった。1960年代後半、病害の広がりや水害で一転、大打撃を被った。坂口さんの農場で栽培していたコショウも全滅した。切羽詰まった状況に追い込まれていたとき、森林農業「アグロフォレストリー」の道筋を開いたのが坂口さんだった。といっても、本人は「紀州の百姓の悪知恵を、苦し紛れに働かせただけ」と謙遜したのであったが。

坂口さんと出会ったのは2002年。その気さくな人柄と、自然との向き合い方を教えてくれる言葉の数々が今もことあるごとに思い出される。

1933年に和歌山県田辺で生まれた坂口さんの家業は林業だった。紀伊半島の山間部は平地が少なく、米があまり収穫できない。このため番茶に米を入れ、水増しして食べる習慣があったという。それが紀州番茶となり、「おかゆさん」と呼ばれて食されるようになった。この「おかゆさん」で終戦直後の食糧難を乗り切ったという坂口さんは、「トメアス茶がゆ」でぼくをもてなし、夜はビールを飲みつつ故郷での体験から森林農業が誕生した経緯を語ってくれた。

コショウの単一栽培では生き残れないと悟った坂口さんは、アマゾンでみんなが長くのんびりと食べて暮らしていける道を模索するようになった。日本の農家は一般に土づくりを重視するが、アマゾンではその発想ではうまくいかない。圧倒的な自然の力に対して人間の力は到底及ばず、自然とは自(おの)ずと然(しか)るべきものだと考えるようになった。

土が木をつくるのではなく、木が土をつくる

「いっそ伐採せずに、森の力を借りてみてはどうだろうか。ちょうどアマゾンの先住民のように」

アマゾンの摂理に立ち返り、坂口さんは裸にしてしまった森を元に戻すところから始めようと、手当たり次第に木を植えた。マホガニーにカカオ、バナナ、コショウ、アサイーなどなど多種を混ぜて栽培した。木が日陰をつくり、落ち葉が積もって、虫が増える、そんな循環がよみがえってきた。のちにアグロフォレストリーと呼ばれる実験は自宅周辺のラボラトリオ(研究室)でこうして始まった。

「ブラジルでは土が木をつくるのではなく、木が土をつくるんだ。ぼくは1970年代からそう言い続けてきた。それが今になってアグロフォレストリーやら持続可能な開発だとか評価されるが、あの当時、アマゾンの自然環境を守ろうなんておこがましい考えはなかった。アマゾンに守られているのは自分たちの方だから」

坂口さんの言葉に耳を傾けながら、うっそうと茂るラボラトリオを2人で歩いた。マンゴスチン、クプアスなどアマゾン特有の果樹がカカオやバナナと混在して育つ。豊穣(ほうじょう)の森の多彩な実りを手に取り、味わわせてくれた。そして樹高が一番のブラジルナッツの木をいとおしそうに見上げて、坂口さんが言った。

「ぼくと同じ年齢のこの木は、じっと立ってて200トン。こっちは1年に1トン食べ、69年生きて54キロ。人間はいかに無駄飯、無駄くそたれてるかわかる。アマゾンに生かされながら」

カカオなどの樹木作物の栽培と、材木を必要な分だけ切って出荷する自伐型林業の両立は先駆的だった。「緑の地獄」と恐れられたアマゾンを切り開くために地球の反対側からやってきた日本人が、「地球の肺」を治癒するように森をつくろうとしている、そんなロマンのある話をもっと聞きたかったが、残念ながら坂口さんは2007年に逝去されて、かなわぬ夢となった。

それでも、坂口さんと出会えたことでアマゾンに魅せられ、今も旅を続けている。名もなき支流を遡り、点在する小さな村やコミュニティーを訪ねるのが何より楽しい。川の畔(ほとり)に暮らす子どもたちはまるで自然の一部のようで、レンズを向けるとぼくの中に眠る野生の記憶が呼び覚まされるような心持ちになる。

ラストフロンティア、ブラジル

さらに森の回廊へ。細気管支のように枝分かれした川を小舟で分け入ると、自分という存在が自然に溶け、地球のバイタルに触れることができる。豊穣の森に息づく生命のおおもとにシンクロするこの感覚は、ぼくを魂のレベルで慰撫(いぶ)してくれる。そんなアマゾンを地球のラストフロンティアだとぼくは思っている。

1908年に781人を乗せた笠戸丸がブラジルに到着して100年あまりが過ぎた。日本からだけではない。ポルトガルやアフリカ、イタリアやドイツなど、世界中から多くの移民が集い、交わり、ブラジルが形づくられていった。完成形はなく、これからも変化を重ね続け、新しい秩序を創り出していくことを宿命づけられた「ブラジル」というプロジェクトは、まだ始まったばかり。願わくば自分も「ブラジル」に参画することで、未来に向かっていく情熱を受け継ぐ末裔(まつえい)であり続けたい。最初にその情熱を授かった遠い記憶に触れるため、これからもくりかえしその地に回帰するだろう。

渋谷敦志(しぶや・あつし) 写真家。1975年大阪府生まれ。立命館大学在学中に1年間、ブラジル・サンパウロの法律事務所で働きながら写真を本格的に撮り始める。2002年、London College of Printing(現London College of Communication, University of the Arts London)卒業。著書に『回帰するブラジル』(瀬戸内人)、『希望のダンス――エイズで親をなくしたウガンダの子どもたち』(学研教育出版)、共著に『ファインダー越しの3.11』(原書房)がある。
・個人サイト http://www.shibuyaatsushi.com/
・ネット書店 https://shibuyaatsushi.stores.jp

(上)「情熱の『街角サンバ』に酔う リオデジャネイロ 」と、(中)「サンバには、ほんの少し悲しみを 古都サルバドール」もあわせてお読みください。

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