夢を叶える40代へ ぬるま湯の大企業を退職
管理職を辞め、夢は起業の3児の母・カヨさん(前)
20年余り勤めた会社を退職した、ジャーナリストのなかのかおりです。今回は、管理職を務めた大企業を辞め、小さな会社に転職した女性の物語を紹介します。約10年の在職中に、3回の出産をしながら管理職としても活躍したのに、なぜ退職したのでしょうか。目標は起業という、3児の母の物語を紹介します。
働きながらの子育てでも大変とは感じなかった
東京都内に住むカヨさん(仮名、40歳)は、大学卒業後に入った会社で4年ほど営業の仕事をして退職。その後、学生のころに身に付けた中国語を生かし、上海で3年半、働きました。帰国してからは、中国人が経営する会社に勤めました。9年間、社長の秘書と広報の仕事をして、2016年3月に退職しました。
在職中に長女・次女・長男と3回の出産を経験しました。初めは契約社員でしたが、正社員になって1年もしないうちに長女の産休に入りました。2度目の出産後は、管理職に昇進。子育て中でも、働きを評価してくれるトップでした。管理職になっても、10時から17時の時間短縮勤務が認められました。
カヨさんは仕事が大好き。初めての育休中、産後うつのようになってしまいました。この会社で働くようになったきっかけは、契約社員として、社長に頼まれて手がけたイベントを成功させたこと。正社員になってからも、社長に信頼されていました。思う存分、仕事してきたカヨさんには、ベビーと1対1で家にいるという状況がプレッシャーでした。自分のキャリアも心配で、育休から復帰したら毎日が楽しかったそうです。
社長の秘書として、窓口になって中国の団体とやり取り。上司にも任されていて、社長と自分とで相談して決めることができました。広報の仕事にもかかわるようになり、社長のメディア取材をアレンジしていました。
復帰して長女が水ぼうそうにかかったときは、クリニックの病後児保育と、カヨさんの母を活用して乗り切りました。「ばあば」は少し距離のある静岡県に住んでいますが、フットワークが軽く、頼むとすぐに駆け付けてくれます。海外出張のときも、子どもの世話は、ばあばに頼みました。そのほか、仕事が忙しい日は、ファミリーサポートの方の自宅や友達に預けました。必要なときに預け先を探して、困ることもありませんでした。
次女は、生後3カ月から保育園に通いました。会社の大きな記念イベントを手掛けていたため、出産の1週間前まで仕事をしていました。秘書として社長に話しやすい立場だったので、社員から相談されることも。昼食会やお土産についてのアイデアも、カヨさんのアイデアが通りました。
2人の子どもたちは、病気もあまりせず、サポートもあったので、働きながらの子育ては大変と感じませんでした。
大きい企業ではのんびり、そこそこに仕事をすればいい?
3人目が欲しくて、2013年に待望の男の子を授かりました。自宅に他人を入れるのは好きではなかったカヨさん。さすがに子ども2人に新生児となると夫婦だけでは厳しいと思い、産後すぐの時期はベビーシッターを頼みました。その後は、長男が小さいうちからファミリーサポートの方の自宅で時々、預かってもらいました。
長男は、計画的な出産でした。夏に産むと、お姉ちゃんたちの通っている保育園の0歳クラスに4月から入れる。1歳クラスになると、枠が少なく、競争が激しくなるからです。
3回目の育休から復帰すると、カヨさんはサポート役の仕事を中心にするよう言われました。「秘書として、指示されたことだけやればいい」という雰囲気。他にやりたい仕事があったので、退職を意識し始めました。
カヨさんは、以前から、年代ごとに自分のあるべき姿を描いていました。
30代は子育て。
40代は、実家で地域おこしのために仕事をする。そのために45歳までにNPOか会社を立ち上げたい。
50代は、子どもたちも大きくなるので、海外に住みたい。
いつも、「お金のために、仕事しているんじゃない。やりたいことをやりたい」と考えてきました。子どもたちにも、「ママが生き生きと働いているところを見せたい」という気持ちがあります。
「大きい会社で、子育て中の女性が言いたいことを言って、リードしていくのは難しい」と、管理職を務めて分かりました。「例外はあると思いますが、古い体質の大企業は、主体的にこういうことがやりたいというママには向いていません」とカヨさんは言います。都合がつかず出張を断ると、社内にいて補助的な仕事をするしかなくなる。頻繁に出張をしなくても、インターネットが発達した今、業務にかかわる方法はあるはずなのに。
「逆に言えば、大きい企業ではのんびり、そこそこに仕事していればいい。とにかく勤めてお給料をもらいたいというママにはいい環境です。自分も、そんなぬるま湯で、ちやほやされていたのかもしれません」とカヨさん。
40代の目標を実現させるため、退職を決意
会社内の雰囲気も変わっていきました。大好きな上司が、転職してしまいました。その上司には、「まだ女性の役員がいない。子育て中の女性があまり活躍していない」と話すと、「あなたが秘書として頑張って役員になり、若い人のロールモデルになって」と励まされていました。
さらに会社をとりまく環境が変わり、部員が減ったこともあって、進んで仕事をする雰囲気ではなくなりました。社内で女性の活躍を進めるプランを自ら提案しようと、講演会に足を運んで勉強し、具体的な5カ年計画を立ててリポートを出しました。でも、企画は通りませんでした。
気持ちに余裕がなくなって、イライラして子ども達に当たることもありました。
必要がないのに、会社にいなければならない長時間労働にも、疑問を感じていました。管理職の間も時短でしたが、集中して仕事ができました。周りからは、帰宅する17時になると、「しょうがないな」という目線を感じました。やることがないのに、何で机に向かっていなければならないんだろう。「意味のない長時間労働をやめないと、優秀な人は転職してしまいます」
一方でカヨさんの夫は、やるべき仕事が詰まった激務。平日は、夫の子育てや家事のサポートはほとんど望めませんでした。カヨさんは子ども達と夜ごはんを食べて、21時には寝る。出前を取る日や外食の日があっても、割り切っていました。それでも、土日は家族そろって出かけることができるので、バランスを取っていました。
カヨさんは、会社と自分の目指す方向が、少しずつ違ってきたことに気づきました。「会社と自分との関係は、どちらもプラスになる『WIN-WIN』でなければと思っています」とカヨさん。モチベーションも下がり、このままでは会社にとっても自分にとってもよくないと、退職を決めました。
ジャーナリスト。記者として20年勤めた会社を退職し、フリーランスに。主な取材テーマは、医療・福祉・労働・教育・カルチャーなど。39歳で初産。産前産後の体験記・お出かけ情報についてのコラムや近況は「なかのBlog」をご覧ください。Twitterは@kaoritanuki
[日経DUAL 2016年11月8日付記事を再構成]
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