「医療爆買い」切実な事情
日中とも救世主求め
医療サービスを受けるため日本を訪れる中国人が増えている。旺盛な消費になぞらえ「医療の爆買い」とも呼ばれるが、現場を歩くと日中双方の切実な事情が浮かび上がる。
ひんやりとした空気が流れる11月の新宿区歌舞伎町。ざわつく区役所の1階で、通訳を伴い滞在延長のための手続きをするAさん(44)の姿があった。「治療が長引いてね」。そう話すAさんは中国山東省で商売をしている。来日したのは骨肉腫を発症した16歳の息子の治療のためだ。
高額治療費を工面
今春、息子の異変に気づき、北京や上海の病院を回ったが納得のいく診断は得られなかった。口コミなどを頼りに慶応義塾大学病院(東京・新宿)を訪ね、日本での治療を決めた。まだ治療中だが、責任ある仕事をしてくれていると感じている。
費用負担は重い。病院に前もって預けるお金だけで5000万円。自らを中間層と呼ぶAさんにとって決して楽な金額ではない。「大切な一人っ子のために全力をつくしたい。破産も覚悟で日本に来た」。祖父母の援助もあるという。治療の過程で髪が抜けた息子と同じように自身も頭を丸め、妻と毎日看病に当たっている。
医療を目的とする訪日外国人は急増している。医療滞在ビザの発給件数は2015年は約950件で、4年前の13倍になった。ビザがなくても健診や治療は受けられるため実際はもっと多い。外国人支援の日本エマージェンシーアシスタンス(東京・文京)には、ここ数年で1万件超の問い合わせがあるという。
ほとんどが中国人で、Aさんのようにわらをもつかむ思いで来日する人もいれば、自国で健康状態を知られぬよう日本に来る要人もいる。治療費は500万~600万円程度かかることが多いという。富裕層が多いが、最近は中間層にも広がっている。
中国人が増えている背景には2つの側面がある。1つは経済成長に医療環境の向上が追いついていない中国の事情だ。多摩大学の真野俊樹教授(医療経済学)は「中国にもトップレベルの治療ができる病院はあるが全く足りていない。医師と国民の信頼関係も薄い」と話す。渡航費や宿泊費がかかっても、医師への「袖の下」などを勘案すると「日本の方が安心で得」と考える人が多いようだ。
病院の対応に変化
もう1つは日本側の変化だ。医療目的の外国人を日本に呼び込む「医療ツーリズム」を大々的に打ち出したのは09年に発足した民主党政権だった。しかし「医療の産業化」が前面に出たことで日本医師会が反発し下火に。今も政府関係の資料では「医療ツーリズム」という言葉はタブー視され、人道的な意義を前面にした「医療渡航支援」などの言葉が使われる。
「それでもこの2、3年で流れが変わってきた」。医療の国際展開を支援するメディカル・エクセレンス・ジャパン(東京・千代田)の北野選也理事は変化を感じている。
山形大学医学部は今秋、外国人受け入れの協議会を立ち上げた。「重粒子線」を使ったがん治療の最先端装置を呼び込みの目玉に据える。「患者や家族が地域に泊まり、ご飯を食べて温泉に入れば経済効果は大きい。アジアがこれから高齢化する中、チャンスはある」と同大の嘉山孝正参与は話す。地域を挙げた外国人患者の誘致は、愛知県など全国で芽が出始めている。
先んじる病院では華麗な消費が広がる。亀田総合病院(千葉県鴨川市)には昨年、健康診断を受けるため約200人の中国人が訪れた。マンツーマンの体制などの評判が口コミで広がっているという。VIP向けの待合室には、中国語で書かれた高島屋のカタログが置いてある。「頼めばハイヤーで迎えが来て、東京で買い物できる。評判ですよ」と亀田隆明理事長は話す。プライベートジェットで来日し、空き時間に1億元(約16億円)のマンションを買った人もいたという。
病院を駆り立てるのは今後の人口減少だ。「南房総でも雇用が多いうちの病院が潰れたら、この地域は一気に衰退する」。亀田理事長は危機感を隠さない。「アジアの基幹病院になることで生き残る」と青写真を描く。外国人は基本的に自由診療となり、日本人より高い治療費を全額自己負担する。これが病院財政を潤し、結果的に日本の医療を支えると期待する病院も多い。
悪質な仲介も増加
ただ、医療目的の訪日が急増する陰でひずみも生じている。ヘルスツーリズム研究所(東京・品川)の高橋伸佳所長は「悪質なブローカーが病院に外国人患者を置き去りにしたり、居住実績がないのに国民健康保険に加入させたりするケースが増えている」と話す。ニーズが高い美容整形についても、ある大手美容クリニックは「会計が不透明な店はブローカーが絡んでいてトラブルになる」と明かす。
外国人が日本の病院や地域の救世主となり、お互いに利益を享受する――。そうした理想は美しい。しかし、足元には見過ごせない現実が広がっている。
今村日医副会長「地域医療に十分配慮を」
「医療ツーリズム」の流れを日本医師会は今どのように受けとめているのだろうか。今村聡副会長に聞いた。
――医療を目的に日本を訪れる外国人が増えていることを、どう受けとめていますか。
「日本の医療が世界からそれだけ評価されているという意味では良いことだ。人を助けるという医療の理念にも沿う。ただ、医療を日本の経済成長のエンジンにしよう、という考えには疑問もある。結果的にそうなるのは良いが、それを目的に過度に市場原理を持ち込むと、日本国内の医療に負荷がかかる可能性がある」
――負荷とはどういうことですか。
「例えば日本人の患者と外国人の患者のどちらを優先するのか。病院からすると自由診療で多く治療費が取れる外国人患者の方を扱いたいと思うかもしれない。それは国民の理解は得られないだろう。医療ツーリズムが盛んなタイでは、外国人だけを受け入れる専門病院と地域の病院の質の差が非常に大きい。外国人向けの病院のほうが待遇が良いということで、地域から医師や看護師が吸い取られてしまう問題がある。日本でも同じようなことをしたときにどうなるのか。今でも医師の偏在や看護師不足の問題がある中で、どれだけ病院、特に治療の現場に外国人を受けいれる余力があるのだろうか」
――日本の人口が減っていく中で、地域医療が存続するためにも外国人の受け入れは必要なのではないでしょうか。
「頭ごなしに反対はしていない。地域住民に対する医療を十分確保した上で、外国人を受け入れる余裕があって、そのことが病院経営にメリットがあり、それが地域医療に良い形で還元できるということなら、それをけしからんというつもりはない。それぞれの病院の経営判断であり、成功モデルが出てくれば他の医療機関にとって参考になると思う。ただ、頭で考えるほど簡単なことではないと思う。言葉の壁や食生活等の違いも大きく、受け入れには手間もコストもかかる。一つ一つ丁寧に課題をクリアしながら、進めていく必要がある」
◇ ◇
日本では医療ツーリズムはまだ緒に着いたばかりだが、世界の流れはどうなっているのだろうか。多摩大学大学院の真野俊樹教授は次のように話す。「日本は公的保険が発達しているので感じにくいが、世界には医療は『買う物』と考える文化がある。アジアでは所得が上がるにつれ、より良い医療を買いたいという人が増え、医療ツーリズムはますます盛り上がっている。タイでは年間約250万人、シンガポールでは約85万人、マレーシアでは約76万人、韓国では約59万人を受け入れている」。
今後は日本の地方も取り込みに期待をかけている。ただ、一筋縄ではないという見方も多い。北海道に本社を置き、外国人の受け入れ支援を全国展開するメディカルツーリズム・ジャパン(札幌市)の坂上勝也社長は「現状は首都圏に一極集中している。交通の便を考えれば外国人が東京や大阪に行きたいと思うのは当然のこと。重粒子線を使った設備だけでは地方に来てもらうのは難しい。ハードだけでなく、ソフトの充実も必要になる。例えば、宿泊施設での通訳サポートや病院への連絡体制の充実が挙げられる。医療通訳士を地元で育成すれば、雇用創出にもなる」と指摘している。
(福山絵里子)
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