認知症の学習療法 「効く」と信じる工夫で意欲が向上
学習療法を取り入れたデイサービス 現場リポート
認知機能の維持と改善を目指すデイサービス
ふくろう舎は、2013年9月に東京都調布市で開設されたデイサービスだ。デイサービスとは、要介護者が日帰りで施設に通い、食事や入浴など日常生活上の介護や機能訓練などを受けることのできるサービスで、要支援1、要介護1から利用することができる(年齢等の条件により受けられるサービスは異なる)。健康な人を対象とした教室とは異なり、軽度認知障害(MCI)を含め、認知機能が衰えた人も多く通っている。
代表の山口雅之さんは、認知症と向き合い、立ち向かおうとしている人々の手助けをする目的で、公文教育研究会学習療法センターが提供する学習療法を取り入れたデイサービスを開設した。「学習療法を取り入れることで脳の活性化をはかり、明るく、楽しく、その人らしさを取り戻してもらえる施設をつくりたいと思いました」と話す。
以前はカメラマンだった山口さん。介護施設などを撮影する仕事で認知症の高齢者と接する機会があり、認知症の進行を抑えるような、より効果的なアプローチができないかと考えていた。そんなときに認知症の予防、認知機能の維持・改善を目的とした「学習療法」を知る。「これだ!」と思い、介護の世界へ飛び込んだという。
開設から今年で4年目。月曜日から土曜日の営業日は常に定員いっぱいまで利用者を受け入れており、8~10人が空きを待っている状態だ。
そんな、ふくろう舎のデイサービスの1日の流れは次の通りである。
健康チェック
9:30 朝の会(リアリティー・オリエンテーション)
入浴開始
10:00 学習療法
11:30 全員体操(パラレルアクション・嚥下[えんげ]体操)
12:00 昼食
13:10 工作活動などの作業療法や音楽療法、回想法、フォトセラピー
15:00 おやつ
15:30 お帰りまで機能訓練など
16:10 送迎
利用者は朝、ふくろう舎に到着すると、まず健康チェックをして朝の会(リアリティー・オリエンテーション)に参加する。朝の会ではスタッフがボードを使ってその日の年月日の確認をしたり、ニュースや最近話題になっている事柄などについて話をする。認知症になると忘れやすい短期記憶に働きかけるのだ。脳のウオーミングアップといったところである。
毎回必ず「効果」について説明するワケ
10時からは学習療法の時間。学習療法は、1人の支援者(スタッフ)が2人の学習者(利用者)を担当する。最初に、支援者は学習療法がなぜ認知機能の維持・改善に効果的なのかを説明する。学習療法を行うと、脳の前頭前野と呼ばれる部位を中心に脳全体が活性化する。それを脳の磁気共鳴画像装置(MRI)画像で示し(活性化している部位は赤く染まる)、学習療法の効果を学習者に納得してもらうのだ。
学習療法を始める前に、期待できる効果を説明しておくことで、学習者は普通なら簡単すぎると感じるテストでも、脳のトレーニングになると納得して取り組める。同じ説明を毎回行うのは、学習に対する意識を高めるためと、前回説明したことを忘れてしまっている可能性があるからだ。
学習療法で行うのは、前回の記事で紹介した認知症予防のための教室の内容と基本的に同じ。読み書き、計算のテストと「すうじ盤」の3項目だ。
読み書きは声を出して文章を読んだり、言葉の書き取りをするテスト、計算はたし算、ひき算などの問題を解くテスト。これらは知識を増やす勉強のためではなく、あくまでも認知機能の維持・改善を主眼に据えた脳のトレーニングが目的だ。そのため学習者の認知レベルに合わせて、少し考えれば解ける問題が提供される。支援者がさりげなくヒントを出すなど、コミュニケーションを取りながら行うことにより、全員が100点を取れるようにしている。
すうじ盤はゲーム感覚で行う脳のトレーニングで、数字が順番に書かれたシートの上に、同じ数字が書かれた磁石入りのチップを選んで置いていくゲームだ。こちらも脳を活性化させるために行う。最後に支援者と学習者が家であったことや最近関心のあることなどについて世間話をする。このコミュニケーションの時間を経て一連のプログラムが終了する。所要時間は約30分。1回に2組4人の利用者が学習療法のプログラムを受け、30分ごとに交代して全員が行う。
朝から帰るときまで脳のトレーニング
ふくろう舎では、学習療法の順番が来るのを待っている人や、終わった人は、別のスタッフとグループ学習を行う。学習療法の要素を取り入れた脳のトレーニングをして過ごす。ここでは、利用者がぼーっと待っている時間はない。
「ふくろう舎を選んで来てくださる利用者さんやそのご家族は、認知症を予防・改善したいという強い意識を持って来ていますので、皆さん、学習療法を筆頭に脳のトレーニングを積極的に取り組んでくださいます」と山口さんは話す。
学習療法の後は、機能訓練を目的とした体操を全員で行う。言語聴覚士(ST)が口腔(こうくう)体操を行う日もある。口腔体操は舌や口の周りの筋肉を鍛え、食べ物を飲み込む力をつけるのが目的。体をほぐしたら、昼食の時間だ。ふくろう舎では昼食時も脳のトレーニングが結びついている。
「ふくろう舎では、朝から帰るときまで、利用者の皆さんには認知機能を維持・改善するために過ごしてもらっています。昼食時も例外ではありません。ただ食事をするだけではなく、食前には調理師が料理に使われた、いわしやさんま、ブロッコリなどの食材について、それらがいかに脳の活性化につながるかといった説明をします」と山口さん。
70歳代の女性利用者が「ここは昼食も脳にいい食材をたくさん使っていて、それを説明してくれるから、家でもまねができるのよ」とうれしそうに話していた。学習療法もそうだが、自分たちが今していることが、脳にどういうふうに効果があるのかを意識しながら取り組むことで、より脳の活性化に効果があると山口さんは話す。
午後は、工作活動(書道、絵手紙、調理実習など)の作業療法や音楽療法、回想法(思い出話をすることで認知症の進行を遅らせる心理療法)、フォトセラピー(写真を使った心理療法の一つ)を日替わりで行う。このようにして脳の活性化を促す1日が終わる。
表情や口調がポジティブになる利用者も
山口さんは、「人それぞれですが、認知症になり社会との接点も限られてしまうと、表情や表現がネガティブになる傾向があります。そういう人が学習療法を行うと、その効果は脳が活性化するだけにとどまりません。支援者と対面でコミュニケーションを取り、100点を取れる達成感などが刺激となって、表情や口調、会話の内容などに徐々にポジティブな変化が見られます」と話す。
例えば、軽度認知症で精神的にもうつ傾向にあった女性利用者のAさんは、最初にふくろう舎に来たときは、笑顔が少なく、書道をしても震える字で小さく文字を書いていたという。しかし、ふくろう舎に通って数カ月もたつと、見違えるように明るくなり、服装にも気を使うようになったそうだ。書道の文字も大きくしっかり書くようになり、その変化に山口さんは驚いたという。
山口さんがデイサービスを実施していくに当たって心掛けているのは、「介護職は専門職、研究職である」という理念だ。専門職であるという意識を持ってもらうことで、スタッフの観察力が高まり、利用者の日常生活の変化に気づけるようになった。また利用者一人ひとりの可能性に気づき引き出す能力も高まっているという。
また、「より良い介護を提供していくためには、毎月の活動データを分析し、利用者のご家族、ケアマネジャーさんに報告し、私たちが行っている仕事をきちんと知ってもらう必要があると思っています」と山口さんは話す。
こうした努力により、ふくろう舎の利用者は、学習療法をしているときもグループ学習をしているときも、笑顔が絶えない。スタッフと、あるいは利用者同士でコミュニケーションを取りながら学習するのが楽しくて仕方がないという印象だった。
ふくろう舎は開設から4年目。認知機能の維持・改善の効果については、さらにこの先5年、10年後の報告を待ちたいが、利用者の様子から、学習療法が認知機能の維持・改善およびうつや問題行動といった周辺症状の改善に役立っていることは感じられた。
(ライター 伊藤左知子 カメラマン 室川イサオ)
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