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自分が引退するときは40歳代の後継者にトップを引き継ぎたい、という野心を持ち、実行に移したミスミグループ本社の三枝匡・取締役会議長。しかし、日本の若い世代で経営の経験を持つ人材は非常に限られている。「二倍速で育てた」「乱暴だった」と自ら述懐する三枝氏の「経営者人材」育成法を聞いた。

経営経験のない若手を鍛える

――三枝さんは、2013年に40歳代だった大野龍隆氏に社長を譲りました。

「私は自分が引退するときは40歳代の後継者にバトンを渡したい、という希望をもっていました。1つの野心でした。そのため、私は57歳でミスミを引き受けた時から、30歳代後半から40歳代前半の人を対象として、将来の後継者を育成しようと思いました。そこで、社内の数人と社外から採用した数人をその候補者に選ぶことにしました。ところが、日本の会社に勤めるその年代の人といえば、経営の経験がない人がほとんどで、かなりストレッチし、鍛える必要がありました」

世の中の二倍速で育てる

ミスミグループ本社取締役会議長の三枝匡氏

ミスミグループ本社取締役会議長の三枝匡氏

――著書「ザ・会社改造」のなかで『乱暴な人事』だったと書いていますが。

「私は世の中の会社で10年かかる人を5年で育てる、というような二倍速の人材育成を頭のなかで考えました。そのためには、少し無理な仕事をさせなければうまくいきません。ところが、ある課長に事業部長をやってごらん、と実際に仕事を与えてみると当人にとっては『身の丈の合わないジャンプ』だった、ということがよくありました」

「一定数の割合でうまくいかず、行き詰まってしまう人が出てくる。特に私が社長に就いてからの前半戦は、チャレンジさせてうまくいかなければ代わってもらわざるを得ない、ということがよく起きました。一般の社員よりも、幹部候補生のほうで転職率が高いという状況が続いたのです。面接の段階で絞り込み、さらにポテンシャルがあると見込んだ強烈に少ない母集団のなかでさえ、残る社員の確率は低かったと思います」

――その選抜をくぐり抜けて残った人たちが、今のミスミの経営陣を形成しているわけですね。

「そういうことになりますね。安易な考えで課長だった人に事業部長をやらせ、グローバルの責任まで持たせてうまくいけば、そりゃあ会社は万々歳ですよ。私も初めのうち、辞めていく幹部候補生が出始めたころは非常にがっかりしたというか、耐えたというか。しかしあるとき、私がそのことをネガティブに考えちゃいけないんだな、と気付いたのです」

「残って頑張っている人たちが、将来の会社をつくるのであり、事業をつくるのだから。残った人たちも決して楽な人生ではなかったはずです。残る人がゼロなら問題ですが、ある程度残った社員たちが幹部層をつくる、というプロセスが動き出せば、それでいいと考えるようになりました」

「若い幹部候補生を育てるには、第一に面接で安易な採用をしないこと。第二にその人の身の丈にあったジャンプの範囲ではあるけれど、相当なジャンプをしてもらうこと。これは結構ガッツがいるんですよ。うまくいくかわからないし、この人ができなければその事業部門は停滞します。できあがった人を連れてくることもできますが、私が望んだ(若い)世代を鍛えようとするとストレッチするしかありません」

『人間系』が弱かった

――リーダーは失敗に学ぶといいます。これまでにした失敗のなかで自分の大きな糧になった経験はありますか。

「いわば『人間系』ですね。私はボストンコンサルティンググループ(BCG)に所属していたこともあり、30歳代で社長に就任したときの最大の武器は『戦略』でした。しかし、経営者は戦略だけではダメです。組織を束ねたり、みんなが頑張る気持ちにさせていったりするような、人間関係の要素も必要です。30歳代前半の私は、戦略系は強かったけれど、人間系は弱かったなと思います」

「40歳代までずっと、私が自分の壁を感ずるのは人間系の課題でした。相対的な比較でしかありませんが、戦略系なら私は日本では先駆者でした。しかし、人間のドロドロした部分を包容しながら、限りなく寛容であることのさじ加減は、どちらかというと私は厳しい人間でした。そして、その部分から出てくる問題は結構たくさんありました」

「経営者としてのスキルアップに必要な要素は、人によって違うと思います。私の場合は、人間としての幅を持つ、ということが必要な要素でした。壁にあたるたびに学び、スキルをあげました。30歳代、40歳代のころ、私にとっては人間系がチャレンジでした」

「情は理に添える」

――京セラの創業者で日本航空の再生に関わった稲盛和夫氏など、人間系が得意な経営者もいます。

「リーダーのなかでもレベルが上がれば上がるほど理のほうが重要」

「リーダーのなかでもレベルが上がれば上がるほど理のほうが重要」

「稲盛さんは、確かに人間的にもかなり幅のある人だと思います。しかし、日本航空の再生を見ていると、彼の武器のなかで一番効力を発揮したのは、アメーバ経営(部門別採算制度)の導入などの会計分野だと思います。人々に対する寛容な姿勢を見せながら、実は論理をきちんと取り入れたところに成功の鍵があるのではないでしょうか」

「日本の組織は人を重視しますから、人間系の話に特にひきずられます。一般の人はそれでいいが、リーダーのなかでもレベルが上がれば上がるほど理のほうが重要なのです。ある程度の短い期間なら精神論でもインパクトを出せるかもしれないけど、長い期間なら、『理に情を添える』という姿勢でいいと思います。これは、パナソニックの創業者、松下幸之助さんの言葉です。論理性と熱き心、といいましたが、理がなければ、指揮官はうまくいきません」

二頭政治になるな

――今後、「5年後、10年後のミスミはこのような会社になってほしい」という将来像はありますか。

「会社は生き物で、その時々のマネジメントがベストを尽くしてやっていく限りはどんなに変わったっていい。結果、ダメになってもいい。前の代の人間がコントロールできることじゃない。ずっと支配したいなら、結局死ぬまで社長をやり会社をつぶす、ということです。私は『40歳代の経営者に引退するときは後を譲るんだ』と決めたのだから、そういうスタイルで会社には残りません。今の社長が好きにやればいいと思います。実際に会社はすごく変わっていっているしね」

「もちろん私は、取締役会の議長だから、重要な案件があがってきたら意見はいいます。立場上、重要な案件は最高経営責任者(CEO)から取締役会の最中や事前、事後に相談があります。だから意見はいうけど、最終的に結論を出すのはCEO。引いた以上は割り切らなければなりません。二頭政治になっちゃいますから」

――引退しそうで引退しない経営者が多くなっています。この1年、そういった話題が増えている印象があります。

「実は昔からそうだったのではないかと思います。増えた、という感じはしませんね。むしろ、そういう人を排除するメカニズムが働くようになってきたから問題視されてニュースになるんじゃないですか。ミスミ創業者の田口弘さんは非常に立派な人で、引くといったら引いて、干渉しない人でした。非常に珍しいと思います。前の社長がいつまでも干渉して、現社長が社長なのか番頭なのかわからない会社、たくさんありますよ」

三枝匡氏(さえぐさ・ただし)
1967年一橋大学経済学部卒業。米スタンフォード大学ビジネススクール経営学修士(MBA)取得。三井石油化学工業(現三井化学)、ボストンコンサルティンググループなどを経て2001年、ミスミグループ本社取締役、02年に社長CEO、08年会長CEO、14年から現職。著書に「ザ・会社改造」「V字回復の経営」などがある。

(松本千恵 代慶達也)

前回掲載「本物の「プロ経営者」になる7つの条件」では、「元祖プロ経営者」である三枝氏が考える「強い経営リーダー」について聞きました。

「リーダーのマネジメント論」は原則火曜日に掲載します。

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