映画『聖の青春』 29歳で逝った天才棋士
病と闘いながら将棋に人生をかけ、29歳の若さで1998年に亡くなった村山聖(さとし)九段。「怪童」とも称された天才棋士の生涯を描いたノンフィクション「聖の青春」が映画化され、19日全国公開される。村山聖役で主演の松山ケンイチさん、村山九段が生涯のライバルとして目標とした棋士で王座(王位・棋聖)の羽生善治さん、原作者で作家の大崎善生さんに思いを聞いた。
主演、松山ケンイチさん 自ら志願 生き方ほれ込む
かねて原作を読み、伝説の棋士・村山聖を演じたいと思い続けてきた

撮影が始まる2年ほど前、自宅の本棚を整理していたら、今回の原作本が出てきた。読み終えて村山さんからたくさんの感動をもらった。当時、僕は20代から30代になろうかという年齢。全力で向き合い、命を懸けられる作品を探していた。それが村山聖という役だった。
森義隆監督が映画化を構想していると知り、自分からアプローチした。村山さんは将棋という全く違う世界で生きてきた人でイメージも僕とは違う。それでも森さんたちが僕に賭けてみようと思ってくれたことがうれしかった。だから恥ずかしい演技は絶対にできないと思った。
体重を増やして風貌を変え、肉体と精神の両面で自らを追いつめ、村山像を作り上げた
村山さんのご両親、先崎学さんや佐藤康光さんといったプロ棋士の方々、村山さんと同じネフローゼの患者さん。いろいろな方から話を聞いた。自分とは遠い存在で分からないこともたくさんあり、撮影のスタート地点に立つまで時間がかかったし、撮影が始まってからも悩むことが多かった。
ただ村山さんを演じているうちに実感したのは「いつか人は死ぬ。限りある命であれば、それをどう使い切るのかが大事」ということ。村山さんは病に人生を左右されない。すべてに妥協せず、正直に生きた。他人に意見されたくない、という村山さんの頑固さも僕は好き。自分の人生をきっちり使い切ったような生き方がすごく格好よく、きれいだと思った。今回の映画で改めて「生きる」ということを考えていただければと思う。
今回の役を演じたことで、自身の俳優の仕事への向き合い方にも変化があったという
これまでベネチアやベルリンなど多くの国際映画祭に参加したが、今後はもっと世界の映画人と交流し、刺激を受け、何かをちゃんと持ち帰りたい。自分の限りある命を無駄にしたくないと思った。こんな作品をやってきたと過去にしがみつくのではなく、過去を捨てられる役者になりたい。新しいもの、新鮮と思えるものに興味があるし、挑戦したい。好奇心と冒険心を満たしてくれる、それが僕にとって俳優の仕事の面白さだ。
棋士、羽生善治さん 指し手も素顔も意表突く
村山九段とは好敵手だった

関西遠征で、対戦はしなかったが、間近で初めて見た彼の将棋は今でも覚えている。こんな序盤で大丈夫なのかと思ったが、勝負どころの指し手はすごいインパクトがあった。その後、実際に対戦して、改めて人が気がつかない手、意表を突く手を指す人だと実感した。
同年代の棋士がたくさんいる中で、村山君が私に、対抗心というか、特別な思いを持っているらしいとは聞いていた。実際、トーナメントやリーグ戦の重要なところでよく当たった。たいへんな相手ではあったが、自分にない発想を持っているので対戦するのが楽しみだった。彼との対局はいい内容の将棋が多く、映画の中でも実際の棋譜が使われている。彼はもっと活躍してもおかしくなかったし、それだけの実績を残している。
村山九段が病気であることは知っていたが、命にかかわるとは思っていなかった
いつもひょっこり現れてはひょっこり去るという印象があった。亡くなる年も1年間休場したら来年には出てくると思っていた。二人きりで話す機会はそんなに多くなかったが、意外だったのは、彼が高倉健さんのファンで映画「網走番外地」が好きだったこと。網走に行くと今でも村山君のことを思い出す。
勝負師としての厳しさ、険しさもあれば、純粋でかわいくて、おちゃめなところもあった。すごく多面的で演じるのは大変だったと思う。村山君も、まさか自分のことをトップクラスの俳優に演じてもらえるとは夢にも思わなかっただろう。今ごろ、照れてるんじゃないか。
映画では昭和から平成にかけての頃の将棋界の空気感が忠実に再現されているという
自分自身が出てくるので気恥ずかしいが、懐かしい感じもした。将棋の対局は言葉がない世界。映像で表現するのは難しいが、この作品は対局者の心理的な部分まで伝えようと腐心していると思った。
彼が亡くなって18年たつが、今こうして映画になるのも、彼の人生には普遍的に人の心に訴えかける力があるからだろう。村山聖という人間の生きざまを感じてほしい。
原作者、大崎善生さん 構想8年 曲折経て映像化
映画化の話が持ち上がったのは8年ほど前

将棋は映画にするには地味な題材で、曲折続きだった。ようやく現実になりそうだとなったのは2年ほど前。(村山聖役の)松山ケンイチさん、(羽生善治役の)東出昌大さん、(村山の師匠、森信雄役の)リリー・フランキーさんと誰でも知っている人たちの出演が決まり、いい映画になると思った。
森義隆監督は、棋士の写真を撮り続けた故・中野英伴さんの写真集「棋神」を参考に、棋士の表情やしぐさを徹底的に研究した。中野さんが残した数多くの紙焼き写真やフィルムも見たようだ。映画を見ていて見覚えのあるシーンが多いように感じた。中野さんの写真に感応する感性があったからこそ、この映画が撮れたのだと思う。
盤駒や棋士の手つきもきちんとまねてほしいと要望した
棋士役の出演者は駒を四六時中持ち歩き、暇さえあれば、プロの手つきに近づくため、練習したと聞く。松山さんに初めて会った時も、別の駒に重ねて滑らすように指すにはどうしたらいいのか、バカにしたような手つきはどうするのかと、手つきの質問ばかりだった。彼らが真剣に取り組んでいることがよく伝わってきた。映画の中に出てくる羽生・村山戦などの対局シーンも落ち着いて見られた。
映画では羽生・村山のライバル関係が中心に描かれるが、原作では村山さんと森信雄さんの師弟愛に重点が置かれている
森監督は男同士の絆を描くのがうまい。この映画でも羽生さんとの物語を軸にしたシンプルなドラマにすることで、感動を呼び起こす作品に仕上げている。それには、村山君と師匠の森さんとの話を最小限にする必要があり、この点は事前に監督からも相談された。実際の森さんは原作の中の森さんほどベタベタしておらず、クールなところがある。その点ではリリーさんが演じた森さんに近い。
幸い、原作はこれまで毎年のように増刷を重ねている。村山君も師匠の森さんも行動が予定調和じゃなくて、ジャズみたいに即興的。だから、いつまでも新鮮で、多くの人の心を打つのだろう。「聖の青春」を書いたことで、自分は作家になれた。森さんと村山君は私という作家を作ってくれた張本人で恩人。2人には今も感謝している。
あらすじ
1994年の大阪。路上に倒れていた村山聖(松山ケンイチ)は通りがかりの人の手助けで、関西将棋会館の対局室に向かう。幼少から腎臓の難病を患う村山は無理のきかない体で、プロ棋士として激闘を続けていた。
名人を目指す村山の前に立ちはだかるのは、希代の棋士・羽生善治(東出昌大)だった。最大のライバルで、あこがれの対象でもあった羽生と同じ東京で将棋を指したいという村山。親同然に面倒をみてきた師匠・森信雄(リリー・フランキー)は彼を送り出す。
散らかり放題のアパートに住み、酒を飲むと先輩にも論争を吹っかける村山だったが、棋士仲間は彼の純粋さに魅了される。新たな病が発覚し、命の期限が迫る中、村山は前人未到の七冠を達成した羽生との対局に挑む。監督は森義隆、出演は他に竹下景子、染谷将太、安田顕ら。
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