メイジェイさん 父がわざと置いたCD、歌手を決意
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は歌手のメイジェイさんだ。
――お父さんは日本人、お母さんはイラン出身ですね。
「母はイランのテヘラン大学の交換留学制度で日本に来ました。建築学専攻で日本の立体交差する高速道路に興味を持ったそうです。東京大学に進んで博士号をとるほど勉強好きだったというのはつい最近知りました。父と結婚後はずっと日本に住んでおり、日本語はペラペラです」
「私が生まれた時は両親は英会話学校を経営していました。家での会話は日本語でしたが、幼い頃から母が教えるクラスに参加したので英語は自然に耳から覚えました。父は勤勉な人で、60歳を超えた今でも定期的に英語のテストを受け、様々な資格取得に挑戦しています」
――歌手を目指したのはお父さんの影響だったとか。
「父は家の中でセリーヌ・ディオンやマライア・キャリーなど世界で活躍する歌姫の音楽をかけていました。母によると私は3歳の時に『歌手になりたい』と言ったそうです。自分の中でスイッチが入ったのは、小学校高学年で宇多田ヒカルさんのアルバムを初めて聴いた時です。無造作にラジカセの上に置いてあって、自分でセットして聴いてみるとすごく格好良かった。『日本にこんなにすごい人がいる! 私も歌手になる!』と決めました」
「父はとても優しかったのに、この頃、私は反抗していました。自分がどうしたいか分からずにイライラしている時に、父に先回りしてアドバイスされるのが嫌だったのです。後で知ったのですが、父はわざと見える所に宇多田さんのアルバムを置いたそうです。父が薦めたものは私が拒否すると思ったからで、完全に父の戦略勝ちです」
――14歳でオーディションに合格したものの、デビューまで4年かかりました。
「なかなか決まらず焦りました。自己表現したい思いは募るのですが、一方で日本の中学校になじめなくなるし、何かを変えなきゃ、と思うようになりました。結局、両親に相談して、高校はアメリカンスクールを受験しました。勉強はあまり好きではありませんが、歌手になるためだ、と思って猛勉強しました」
「高校は自己主張を大切にする環境で、多くの刺激を受けました。高校まで電車通学で2時間の距離。少しでも時間を短縮するために父が卒業まで毎日送迎してくれました。心のアップダウンがあった時は母にもよく励ましてもらいました。学費も高いし、高校の時は特に迷惑をかけたと思います」
「実は臆病な性格なんです。両親はこれまで何度も私の背中をそっと押してくれました。デビューが決まった時は家族で『やっとか』と胸をなで下ろしました。最近はファンの一人として、私の音楽を楽しみにしてくれていて、うれしいです」
[日本経済新聞夕刊2016年11月1日付]
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