高まる「火星熱」 人類の移住計画はここまで来た
「火星に行きたい。火星で死ぬのが夢だ」
米国の宇宙開発ベンチャー、スペースXを率いるイーロン・マスクはそう公言する。もっとも、自分が乗った宇宙船が火星に激突して死ぬのはいやだという。そんな事態を避けられそうな技術が開発され、2015年12月、テストの重要な関門を突破した。
ロケットの軟着陸に成功
同社のロケット「ファルコン9」は、11基の通信衛星を搭載して、米国フロリダ州のケープカナベラル空軍基地から打ち上げられた。発射の数分後、1段目のブースター(補助推進ロケット)が切り離された。これまで何千基もの使用済みブースターが大気圏内で燃え尽き、破片を海にばらまいてきた。だが、ファルコン9は使い捨てではない。降下時に向きを変えてエンジンを噴射し、速度を落として近くの着陸地点に向かう。その動きはまるで、打ち上げ時の映像を逆再生したように見えた。実験はついに成功したのだ。
スペースXは回収・再使用できるロケットの実用化に向けて、大きな一歩を踏み出した。この技術により、コストは100分の1に抑えられ、衛星打ち上げや国際宇宙ステーション(ISS)への物資補給ビジネスで優位に立てると、マスクはみている。だが、開発の目的はコスト削減ではない。彼はその日の晩に開かれた記者会見で、この軟着陸の成功は「火星での都市建設に向けた重要な一歩だ」と語った。
NASAの公募に1万8300人が殺到
人類が月に続いて目指すべき偉大な目的地が火星であることは、誰もが認めているようだ。米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士で、この春引退したジョン・グランスフェルドは、訓練生だった1992年に「君たちのなかの誰かが、いつか火星に行くだろう」と教官に言われたという。火星を舞台にしたSF映画『オデッセイ』が大ヒットしたこともあり、2016年にはNASAの訓練生募集に1万8300人が殺到した。採用されるのは多くて14人だ。
マスクは、単に人類初の火星着陸を果たしたいわけではない。破滅的な天災や人災で人類が絶滅するような事態に備え、新たな拠点を確立しておくというのが彼の構想だ。スペースXの本社の壁には、火星のイラストが飾ってあった。一つは乾ききった赤い惑星、つまり今の火星を描いたもの。もう一つは、人類が住めるように「テラフォーミング」と呼ばれる環境の改変をした青い火星だ。その惑星へ移民を乗せた宇宙船の大船団が向かう。彼はそんな未来を思い描いている。ただし、火星への移住者の多くは50万ドル(約5000万円)を超す運賃を支払うことになる。
スペースXは、2017年にはISSに向かうNASAの有人宇宙船をファルコン9で打ち上げる予定だ。現在、より大型のロケット「ファルコン・ヘビー」を建造中だが、火星への有人飛行ではこれよりさらに大型のロケットが必要になる。マスクは、2016年6月の段階では、2024年に有人機を打ち上げ、2025年に火星着陸を目指すと豪語していた。2016年9月初めには、ケープカナベラルで打ち上げ準備中のファルコン9が爆発する事故が起きたが、その数週間後にマスクは、火星を目指す壮大な計画の、さらなる詳細を発表した。
火星に初めて着陸した宇宙飛行士は「有名になり騒がれるだろう。だが、本当に重要なのは何万人、何十万人といった人々と、最終的には何百万トンもの物資を送り込めるようになることだ」と、マスクは言う。そのためには、再使用できるブースターが不可欠だと考えている。
火星に宇宙船を軟着陸させるのは、月面への着陸よりもはるかに難しい。火星の重力は月より大きく、大気は薄いといっても、降下中に宇宙船の表面を過熱させる程度の密度はあるからだ。これまで多くの無人機が火星着陸に失敗してきた。スペースXが開発を進める「超音速逆推進」の技術は、火星への軟着陸に現在最も有望とみられている方法だ。2015年12月の実験成功に続き、同社がその後、洋上の無人船への軟着陸にも成功したことで、火星への有人飛行の実現に向けて一気に期待が高まっている。
(文=ジョエル・アッケンバーク、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2016年11月号の記事を再構成]
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