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キャリア

仏大使夫人「どちらかが犠牲になる生き方はしない」

日経ウーマノミクス・プロジェクト

2016/10/23

 ティエリー・ダナ駐日仏大使のフロランス・ゴドフェルノー夫人は、1900年創業のパリの老舗出版社で広報部門の管理職で、16歳の息子の母でもあります。パリと東京を行き来し仕事と家庭を両立させるという多忙を極める日々を送っていますが、「夫婦のどちらかが犠牲になる生き方はしない」と語ります。偶然を糧に、周囲からの嫉妬を受け入れながらもキャリアを積み重ねている「フロランスさん流生き方」は洋の東西を問わず、グローバル化時代に働く女性の参考になること間違いありません。どのようにキャリアを形成し、仕事と家庭を両立させているのか、聞きました。(聞き手は編集委員 木村恭子)

 ――仕事のキャリアを哲学の教師から始めました。

 特別になりたかったわけではありません。父の仕事の都合でアフリカで育ち、16歳のときにバカロレア(フランスの大学入試の資格)を取得し、単身でフランス本土に行き、高等教育の準備コースに入りました。勉強は何でもよくできましたが、ずばぬけて成績が良かったのが哲学でした。特にやりたいこともなかったので、哲学のコースに進んだわけです。

 哲学を専攻してしまったら、卒業後の仕事は教えることしかなかった。お金をすごく稼ぎたいという思いはありませんでしたので、自分はそれで良かったと思っています。どちらかと言うと、自分の好きなことをやっていけばいいという考えでした。

 しかし、高校に通う16歳の息子は「私とは違うな」と思うことが多い。これから先、何をしてお金を稼ぐかを考え、やる気満々です。息子本人は幸せそうにしていますが、少なくとも1日1回はおもしろいことをして「生きていて幸せだな」という思いをしなさいとは言っています。

■父の急死を機に出版社に転職

フロランス・ゴドフェルノー 駐日フランス大使夫人。ソルボンヌ大学で哲学を専攻。卒業後は哲学教師を2年間務め、1994年にアルバン・ミッシェル社に入社。フランス人作家をはじめ、これまでに国内外100人以上の作家を担当してきた。現在は出版広報部長を務め、フランス文学・外国文学を担当。 

 ――出版社に転職したきっかけは。

 突然父が病に倒れて亡くなったことで、心機一転、新しいことを始めたい気持ちになりました。教師は学生時代の延長のようで学生気分が抜けなかった。社会人としての生活をしてみたくなったのです。

 幸運にも父方の叔母が有名な作家の縁者でした。アンドレ・マルロー(「人間の条件」などの小説で知られ、フランスの文化相も務めた作家)と一緒に仕事をするような立場にあった彼女の紹介で出版社を紹介してもらいました。従業員が3人くらいの小さな出版社だったのですが、入社して半年後にはつぶれてしまいました。

 その後、倒産した出版社の本の流通を手掛けていたアルバン・ミッシェル社に、ごく自然な形で勤めることになりました。

 ――アルバン・ミッシェル社での仕事は順調でしたか。

 最初はアタッシュ・ド・プレス(広報担当)として人文科学の本を担当しました。同僚と比較すると私の読書量はかなり多く勝っていました。ですから、本をメディアで紹介してもらうには、どのジャーナリストに連絡を取ったらいいのか、といったことをわかっていたので、徐々に仕事が増えていきました。

 外から見るとトントン拍子に見えるかもしれませんが、アルバン・ミッシェル社はとても大きな会社。そこで自分の居場所を見つけるのは、そう簡単なことではありません。落ち着くようになったのは、2年くらいたってからです。

■花形の仕事を担当、嫉妬も

 ――落ち着けるようになったきっかけは。

 出版社では花形の小説を担当するよう白羽の矢が立ちました。ちょうど26歳の時でした。とても優秀なアタッシュ・ド・プレスが後任として私を指名してくれたのです。他にもっと経験豊かな人がいたので、当然のことながら社内でかなり背を向けられました。

 私は仕事の目標に大きな文学賞を受賞することを掲げました。アルバン・ミッシェル社は、長くゴンクール賞(フランスの芥川賞に相当する有名な文学賞)をはじめ大きな文学賞をとっていなかったのです。

 私はピエール・ベルジェ氏(フランスの有名服飾デザイナー、イヴ・サンローラン氏のパートナーの実業家)と個人的に親しかったこともあって、フランスを代表する有名な作家といろいろと交流がありました。さらに、知らない作家も知っていると多少ははったりをかましていたような気もしますね。

 私が小説を担当するようになって日も浅いころの1994年にディディエ・ヴァン・コーヴラール氏が『Un aller simple』(邦題『片道切符』)でゴンクール賞を受賞しました。社としては30年ぶりです。これでようやく自分のアタッシュ・ド・プレスとしての社内での地位が確立できたように思います。

■産後2カ月で仕事に復帰

出版社に入ったきっかけは叔母の推薦という偶然だったが、いまのキャリアは経験を積んだ成果だ

 ――結婚や出産と仕事の両立はどうしましたか。

 31歳のときに最初の夫との間に息子が産まれました。状況によっては1年くらいの産休をとる女性もいますが、私の場合は産休をとって2か月くらいしたら仕事に戻ってこいといわれましたので、すぐに復帰しました。

 38歳のときに、広報部の部長になったのと同時に宣伝も担当するようになりました。ようやくその頃から自分で独立した形で仕事を進められるようになった感じがします。

 私が担当してからゴンクール賞を4回、フェミナ賞といった大きな文学賞もいろいろと受賞しています。出版社に入ったきっかけは叔母の推薦という偶然でしたが、いまのキャリアは経験を積んだ成果といえます。

■モットー大事に信頼関係構築

 ――目標達成のために工夫した点は。

 いろいろとあります。まずは、年間の出版プログラムのなかで、どの作品がどの賞に適しているかといった目星をつけ、広報戦略を立てますが、審査員と信頼関係を作ることが重要だと思っています。

 私は「人に対して忠実たれ」そして「人に対して常に嘘をつくことなかれ」ということを大事にしながら人間関係を構築してきました。

 あとは、多くの作品を読み込むこと。自分のところで出版しているものだけでなく他社が出している作品もしっかりと読んでおく必要があります。自分たちがどのレベルの場所にあるかを見極めなくてはいけません。

 非常に繊細で根気のいる作業で、相手とチェスをしているような感じです。

■夫が転勤、自身はテレワークを提案

実際にフランスと東京を行き来しながら仕事をこなすことは簡単なことではない

 ――2014年6月にご主人が駐日大使に任命され「大使夫人」としての仕事も加わりました。出版社の仕事を続けるのは大変ではないですか。

 80歳の社のオーナーと73歳の直属の上司は、私が社で働き始めた25歳の時から成長を見守ってきてくれています。ただ、同時に実績を上げていくことで苛立ちのようなものを覚えていたのだと思います。

 夫が駐日大使に任命された時に「いよいよ君も辞めることになるんだね」「いつ辞めるんだ」と、ちょっと喜んでいた感じでした。ただ、49歳の副社長は私に残ってほしいとの意向だったので、私のほうからテレワーク(IT=情報技術を使っての在宅勤務)を提案し、受け入れてもらいました。

 幸いにも、担当の作家の中には私としか仕事をしたくないといってくれる人もいます。作家との関係は出版業界では何よりも重要なことです。ただ、実際にフランスと東京を行き来しながら仕事をこなすことは簡単なことではありません。

 ――どんなスケジュールで対応していますか。

 毎月1週間は東京にいるようにしています。東京に行く日は、パリで午後7時に仕事を終えると、いったん家に帰って子どもと過ごし、そのまま空港に駆け込み飛行機に乗ります。また、東京からパリに戻るときは、朝5時に飛行機がパリに到着したら、そのまま仕事に向かいます。かなり疲れていますが疲れた顔をすると何を言われるかわからないので、きちっとしているようにします。

■「息子がいること」がモチベーション

 ――仕事で結果を出しながら、報われていない面もあるように思います。モチベーション維持の秘訣は。

 パリで暮らす息子がいることですね。あとは、時間的に自分のことを考えている余裕がないので、うまく回っているような気もします。自分に向き合ってしまうと、逆に落ち込んでしまうかもしれませんね。

 パリにいるときは1日12時間以上は仕事をしています。昼休みは大抵ジャーナリストや担当作家とランチをとりながらの打ち合わせ。勤務時間中に本を読むことはないので、家に帰ってからや日本にいるときに本を読み、週末は地方や外国でのブックフェアに参加することも多く、スケジュールはすごくタイトです。

 夫が外交官であり大使であることで、私の職場環境のなかではジェラシーを感じている人たちもかなりいます。こうして忙しい生活をしていることに対して手助けではなく、逆に足かせをはめる人も少なくありません。

■母も祖母も働いていた

フランスの若い女性の就業率は非常に高く9割以上が働いている

 ――これまでに仕事を辞めるという考えはなかったのですか。

 私の母も祖母も働いていたので、仕事をするのは当然のことだと思ってきました。いつも経済的には独立して、自律していたいというのが、いままでの人生のなかでも助けになっています。

 フランスでも60歳以上の女性は家庭に入って、一切仕事をした経験がない人もいますが、いまの若い女性の就業率は非常に高く9割以上が働いています。

 金銭的に余裕のある男性と結婚して完全に家庭に入るフランス女性もいるかもしれませんが、恋愛の末、結婚したとしても明日はどうなるかわからないですよね。そう考えた場合、いままで自分が培ってきたキャリアを手放すべきではないと思います。

 私は大使と気が合うと思っていますが、お互いのどちらかが犠牲になるという生き方はしません。

■実は料理下手

 ――日本では結婚して仕事を辞める人がまだ少なくありません。

 結婚したからといって夫がすべてを運んでくれるわけでもありません。自分のなかでしっかりとしたものを構築していく必要性があるのではないでしょうか。

 もし、料理をして夫が稼いでくるのを待つという生活を私が強いられたら、とても退屈します。実は、私は料理が下手なんです。家族の間で私はパスタすらゆでることができないと言われています。もちろんゆでることはできますが、みんながおいしいとは言ってくれません。

 先日、息子が夜遅くに疲れて帰ってきたので「何か作ろうか」といったら、「中華を食べにいくよ」といわれてしまいました。

 でも、大使は料理が大好き。私は下ごしらえだけはやらせてもらえますが、大使が「こういうふうに切ろ」などと細かい指示を出してきて、嫌になってしまいます(笑)。

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