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村上春樹を旅する 芦屋からギリシャの島まで

2016/10/13

 村上春樹氏は旅をする小説家だ。スコットランドでウイスキーを飲み、香川でうどんを食べ、熊本や福島の被災地に飛ぶ。ヨーロッパやアメリカに長期滞在したこともある。主人公が旅をする小説も多く、作品と旅は深く結びついている。「そう、ある日突然、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。それは旅に出る理由としては理想的であるように僕には思える。シンプルで、説得力を持っている」(「遠い太鼓」)。村上春樹氏の小説を片手に、その世界をめぐる旅に出てみよう。

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■芦屋(兵庫県)~もう猿はいない 「風の歌を聴け」

 海から山に向かって伸びた惨めなほど細長い町だ。川とテニス・コート、ゴルフ・コース、ずらりと並んだ広い屋敷、壁そして壁、幾つかの小綺麗なレストラン、ブティック、古い図書館、月見草の繁った野原、猿の檻のある公園、街はいつも同じだった。(「風の歌を聴け」1979年)

 村上春樹氏のデビュー作「風の歌を聴け」の時代設定は1970年。大学生の主人公が故郷でひと夏を過ごす物語だ。小説に具体的な地名は出てこないが、村上氏が少年時代を過ごした芦屋をモデルにしていることは間違いない。芦屋は富裕層が多く住む静かな高級住宅街で、瀟洒(しょうしゃ)なギャラリーやカフェがさりげなく立ち交じる。山側から海にむかって、阪急、JR、阪神の3本の鉄道が走っている。

 阪神電鉄打出駅から北に数分歩くと「猿の檻(おり)のある公園」、打出公園に至る。大学生の「僕」と友人は泥酔して車を運転し、公園の垣根を突き破って、檻の中の猿をひどく怒らせる。打出公園に猿の檻はまだある。ただし、猿はもういない。芦屋市役所によると「以前はタイワンザルのほかにクジャクやインコもいました。しかし2003年に猿が、10年にクジャクが死に、それ以来檻は空です」(公園緑地課)。檻があることをのぞけば、滑り台などの遊具がある普通の公園だ。時折、近所の子供たちの歓声が響く。

 小説に「人口は7万と少し。この数字は5年後にも殆ど変わることはあるまい」と書かれた芦屋市の人口は現在約9万人強。1995年の阪神・淡路大震災による被害を乗り越えて、増加基調が続いている。

芦屋市の打出公園には猿のいた檻(おり)が残る(芦屋市役所提供)

■早稲田・目白台(東京) お屋敷跡の高台 「ノルウェイの森」

 その寮は都内の見晴しの良い高台にあった。敷地は広く、まわりを高いコンクリートの塀に囲まれていた。門をくぐると正面には巨大なけやきの木がそびえ立っている。樹齢は少くとも百五十年ということだった。(「ノルウェイの森」1987年)

 「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーで1987年に出版された「ノルウェイの森」は爆発的なヒットとなった。描写から主人公が通うのは早稲田大学で、村上氏自身が住んだことのある目白台にある寮がモデルであることが分かる。

 都電荒川線の終点・早稲田駅から、ところどころに印刷会社の交じる静かな住宅地を歩く。神田川を越え、車が通れない狭い「胸突坂」をのぼる。日本や東洋の古美術品の収集で有名な永青文庫や公園のある緑の多い目白台の高台だ。

 「高台の学生寮」は今もこの一角にある。正面の門から大きなけやきが見えるが、奥の建物までは分からないほど敷地は広い。永青文庫を含めた一帯はかつての熊本藩主・細川家の屋敷跡で、寮内には旧細川侯爵邸(不定期に一般公開)が残る。小説の中で寮は毎朝国歌とともに国旗を掲揚する「うさんくさい寮」として描かれる。寮から出てきた男子学生に声をかけると、「いや、国旗は掲げていませんよ」と苦笑された。

老夫婦がゆっくりと坂を下っていく(東京・文京区)

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