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従事する業務がある日、突然、なくなったら……。日立製作所研究開発グループ技師長の矢野和男氏も、そんな事態に直面したことのある一人だ。半導体事業の打ち切りをきっかけに、当時は全く期待もされていなかったビッグデータの研究や汎用人工知能(AI)の開発にいち早く乗り出し、世界的にも注目される研究成果を出した。そんな日立のスーパーエンジニア、矢野氏の原点を探った。

(下)AIで「幸福度」数値化、研究の原点はジャズにあり >>

退路を絶たれた人間は、必死になるものです。2003年、事業再編に伴い、それまで20年間も従事してきた半導体の研究をやめざるを得なくなりました。

積み上げてきた技術や人脈もすべてゼロリセットしなければならなくなり、一時は心の中に、ぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。

ざっくりとした数字ですが、当時の中央研究所に約1000人の研究者がいたとすれば、その3分の1くらいは何らかの形で半導体の研究に関わっていたと思います。その人たちの一部は新会社に移りましたが、私を含め残りは、新しい仕事を見つけなければいけなくなりました。

気を取り直し、残った仲間と再出発したことで、あらゆるものがインターネットにつながるIoTやAIの研究にいち早く着手することができた。今となっては、あの時の経営判断ほどありがたかったものはない、と思っています。

ビッグデータをテーマに選んだのは逆張りだった

信じられないかもしれませんが、当時、ビッグデータの研究プロジェクトを立ち上げるのは一種の逆張りでした。

日立製作所 研究開発グループ技師長 矢野和男氏

日立製作所 研究開発グループ技師長 矢野和男氏

コンピューターやセンサーそのものは他のチームが長年研究をしていました。ならば、自分は違う分野を攻めるしかない。私はもともと理論物理が専門で「多体問題」(互いに相互作用する3体以上からなる系を扱う問題)を扱っていましたから、「個体」よりも、集団としての相互作用に本質があると考えていました。データを使って定量的に人間組織の行動を理解することができたら競合も少ないし、企業内研究所の強みを生かせるとも考えました。

向かう先が「無人島」だったら困りますけれど、もしかすると、ものすごく大きなビジネスに発展するかもしれない。今は辺境のテーマかもしれませんが、いつか花咲く分野を手がけた方がおもしろい。そう考えたのです。

紆余曲折(うよきょくせつ)はありましたが、この大量データを活用する研究がのちにAIの研究へと発展していきました。2011年ごろのことです。しかし、当時のAIは主流どころか、口に出すこともはばかられるタブーでした。

AIという言葉を出しただけで「大ブーイング」

実は2004年に研究構想をまとめた時点で、現在、IoTで議論されているようなビジョンはすべて思い描いていました。現実にある世界から様々なセンサーを使ってデータを集め、それをAIを使って分析し、世の中にフィードバックする。それによって様々なリスクを下げたり、収益を上げたりということも自動的に判断できる絵は、すでに出来上がっていたのです。ただし当時は、それを実現するための手段がありませんでした。スマートフォン(スマホ)もなければ、そこにつながるネットワークインフラもない。

その後、時代とともに、センシングやネットワーク、コンピューティングなどの技術は高度化していきましたが、最後に残ったのは、大量のデータをいかに価値に変えるかです。そこでAIに注目しました。しかし、社内でも社外でも、AIという言葉は一種の禁句でした。

過去にAI研究が盛り上がった際、国が500億円以上にも上る膨大な資金を投じ、各社もこぞってそこへ乗り出した。にもかかわらず、結局はビジネスにならなかったという苦い経験を持った方々が各社にゴロゴロいましたから、AIという言葉が出ただけで「大ブーイング」が起こるような世界。それに近い研究をしている人たちも、あえて「インテリジェント◯◯」とか「スマート◯◯」などと言い換えて、プロジェクトの企画を通していたのです。

私自身はAIという言葉を正面から使い「このAIこそが日立のためになる」「未来の日立を支える事業に発展する」とエビデンスを見せながらスポンサーなどの関係者を説得しました。ある時、自分の持っていた予算枠をすべてAIに投資して社内稟議(りんぎ)を通した。この時の上司のサポートは大変ありがたかったと思っています。

「幸福度=ハピネス」という概念を持ち込んで成功

大きな注目を集めるようになったブレークスルーは、研究に「幸福=ハピネス」という概念を持ち込み、幸福度(あるいは幸福感)を測定することを目指したことにありました。ここで重要なのは、集団の幸福度と売上高や受注率とが相関することを数値で示したこと。AIが人の生産性に役立つことがわかり、事業化に弾みがつきました。

ところで、幸福度は目に見えると言ったら、みなさん驚くでしょうか?

よく「幸せは人ぞれぞれだ」と言いますが、これも、ある意味では間違いです。私たちの研究では、幸福は無意識の体の動きのパターンに現れる。つまり、幸福度は測定できるのです。

幸福度を測るために、私たちは首にかけることができる、加速度センサーを組み込んだ名刺大のウエアラブルセンサーを世界に先駆けて開発しました。独自開発したウエアラブルセンサーを使った実験の結果わかったことは、「幸せな人の身体の動きには意識ではコントロールできない特徴がある」という事実です。もちろん、業務の質によって動きの量は変わってきます。量が多いか、少ないかに関わらず、幸福な気分の日ほど、特徴あるパターンが出やすい、ということです。

幸福な組織ほど生産性も高くなることを発見したのは、あるコールセンターで実験した時のことでした。従業員の幸福度が高い日は、そうでない日に比べて34%も受注率が高かったのです。さらに驚いたのは、受注スキルの高いメンバーが集まればそれだけ全体としての受注率が高くなるかと言えば、決してそうではなかったことでした。では、何が一番、組織全体の受注率と相関関係があったか。意外なことに、それは休憩所での会話の「活発度」でした。

4番バッターだけで強いチームは生まれない

日立製作所の中央研究所(東京都国分寺市)

日立製作所の中央研究所(東京都国分寺市)

強くなるチームにはたいていムードメーカーがいることは、多くの人が経験則的に感じていることだろうと思います。ある野球チームが優勝した際、監督がこんなことを言っていました。

「今年はベンチの雰囲気づくりがとてもうまくいった。控えの選手がピンチの時にもよく声を出してくれて、優勝に貢献してくれた」

このような言葉は一般に、縁の下の力持ちに対するねぎらいのように受け止められがちですが、実はそうではない、と私は思っています。

実際、優れた選手ばかりを集めても、チームは決して強くならないことがコールセンターの大量の実験で確かめられています。4番バッターばかり集めたチームが優勝するわけではない。チームのパフォーマンスは、多様な人材の組み合わせや集団的な活性度で決まります。個人の能力の足し算ではありません。

組織の幸福度と集団としての生産性との間に相関関係が見られることを数字で証明できるようになってから、プロジェクトへの引き合いも急速に強くなりました。現在では、13社以上から既に受注をいただいています。もちろん、ここに至るまでには失敗もたくさんしました。

例えば、異なる組織を統合する「PMI(ポスト・マージャー・インテグレーション=合併後の統合)」に関して。これについては、早いうちからおもしろい成果も出ていたのです。人間を赤い玉と青い玉に分け、誰と誰がつながると組織が活性化し、全体として融合していくということを可視化して見せていました。そうすると、思いもよらないメンバーが組織の活性化に役立っていることがわかり、当事者としては気づきも多くなる。

しかし、それだけでは、どうしても研究開発にかけた人件費やコストを回収するには至りませんでした。今ならば、失敗の原因がよくわかります。人間の営みの根幹である経済やお金の価値に関して、研究者としての理解が足りませんでした。

矢野和男氏(やの・かずお)
日立製作所 研究開発グループ技師長 兼 人工知能ラボラトリ長
1959年山形県生まれ。84年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了、日立製作所入社。93年単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功。2004年から先行してビッグデータの収集・活用でけん引。論文の引用件数は2500件、特許出願は350件に上る。著書に『データの見えざる手:ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』(草思社)など。工学博士。米電気電子学会(IEEE)フェロー。東京工業大学連携教授。

(ライター 曲沼美恵)

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