漁を支えたアンマーたち
灼熱の太陽が照りつける漁港の一角。日差しを避けるように何人ものおかぁやおばぁたちの姿が見える。女性たちはアギヤー(追い込み漁)の舟団が帰港する前から、三々五々岸壁周辺に集まってくる。
沖縄の女性たちは働き者だと、私は若い頃から何度も聞かされてきた。かつては朝市や公設市場にもよく出かけたが、そこには中高年の女性たちが大勢いて、方言が飛び交い、ものすごい活気に満ちあふれていたものだった。だが、漁港に集まる女性たちは皆、腰を下ろし動く気配はない。漁協関係者ではないように見えた。
午後2時過ぎ、サバニが入港してきた。アギヤーの舟団が戻ってきたのだ。魚を満載したサバニが岸壁に横付けされると、おかぁやおばぁたちはサバニを覗き込み、ウミンチュたちと大声で話し始めた。
言葉の意味は不明だが、ウミンチュたちと何やら交渉している風だった。あとでわかったことだが、交渉していたウミンチュはご主人とのことである。女性たちはアンマーと呼ばれる、魚の行商人たちであった。
勇壮なアギヤーが糸満で編み出されたのは明治中期頃のことだ。氷や冷凍設備もない当時、豊漁で湧いた喜びも束の間だった。鮮度が落ちるのが早いグルクン(県魚タカサゴ)はみるみる商品価値を失っていく。
そこで登場したのがアンマーたちだった。おとぅやおじぃ、あるいは息子のウミンチュたちからその場で魚を買い、集落へと行商に出かけるのだ。
アギヤーのウミンチュたちが脚光を浴びたその陰で、強烈な炎天下の中を黙々と歩き続けたアンマーたち。数十キロの籠やたらいを頭に乗せて歩くその姿を、私は忘れることはできない。
1945年秋田県昭和町(現・潟上市)生まれ。19歳のときに神奈川県真鶴岬で水中写真を独学で始める。撮影プロダクションを経て31歳でフリーランスとなる。1977年東京湾にはじめて潜り、ヘドロの海で逞しく生きる生きものに感動、以降ライフワークとして取り組む。数々の報道の現場の経験を生かし、新聞、テレビ、ラジオ、講演会と、さまざまなメディアを通して海の魅力や海をめぐる人々の営みを伝えている。主な著書に『全・東京湾』『海中顔面博覧会』、『海中2万7000時間の旅』などがある。主な受賞歴に、第13回木村伊兵衛写真賞、第28回講談社出版文化賞写真賞、第26回土門拳賞、2007年度日本写真協会年度賞など。
(日経ナショナル ジオグラフィック社)
[書籍『遙かなるグルクン』を再構成]
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