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日本マイクロソフト会長の樋口泰行氏。普通のサラリーマンだったという同氏は、米国留学を経て3つの会社の経営トップを経験、プロの経営者の先駆けとなった。外資系のIT(情報技術)企業のほか、再建の渦中にあったダイエーなど流通大手も率いた。激しく経営環境が変化するなか、リーダーには何が求められるのか。樋口氏の連載5回目は「戦略」「戦術」の要諦となる「大局観」について語る。

日本マイクロソフト会長 樋口泰行氏

日本マイクロソフト会長 樋口泰行氏

「ビッグ・ピクチャー」を持っているか

「戦略」「戦術」は定番のビジネス用語だ。戦略なき事業は方向性を見失い、戦術なき事業は成果を生み出せない。

しかし「戦略と戦術」の開示書類とも言うべき各社の「中期経営計画」を見ても、「これが本当に戦略、戦術なのだろうか」と首をかしげたくなることが多い。その違和感の理由は、「大局観」の有無にある。

戦略などの前提として示されている時代認識や自分たちがめざすべき世界が、自分たちの生きてきた生態系だけを前提にしており、広がりを感じられないケースが多いのだ。

自分たちの事業は、「グローバルに展開可能か」「歴史的に見て持続性はあるか」など、世界の状況に対する自問自答の結果、それは文明観と言ってもいいもので、それが表明されずに戦略と言われてもちょっと納得しがたいのである。

大局観はつまり、大所高所から俯瞰(ふかん)した「ビッグ・ピクチャー(全体俯瞰図)」でもある。ビジネススクールでは、「君の意見は、3000フィートの高さから景色を見て描かれたビッグ・ピクチャーなのか」などと、しつこいぐらいに指摘を受ける。競争環境や社会環境などを大所高所から俯瞰した戦略でなければ精度の高い意思決定はできないし、戦略の有効性も低下する。

コンピューターが将棋や囲碁でプロに勝てるようになった。コンピューターは先の手数を読むことは得意中の得意だ。しかし、コンピューターが全勝しているわけではない。それはプロが、「盤上がこのような景色の場合は、この手の方がよい」と大局観を直感できるからで、それはコンピューターはまだまだ弱い。

これを仕事の現場に例えてみれば、若い人ほど問題意識を背景に多くの手数を示せるかもしれない。しかし経営リーダーにはある事柄の関係性や影響度を大局的に見る能力があり、それは百日ぐらいの長がある。優れた経営者ともなれば、一目見て景色を大局的に判断できるし、そこで示される判断には大きな判断と細やかな実行可能性が十分すぎるほどに盛り込まれている。つまり戦略と戦術が見事に描かれているのである。

正解のない根幹を常に問い続ける

教科書風になるが、戦略とは事業のあり方をどのように考え、どのような方向を目指すべきかを示しているものだ。一方戦術は、戦略をいかに実行するかの策である。

私の経験から考えると、戦略をつくり、実行するには3つの「胆」がある。1つ目が、「会社はなんのために存在するのか」という根幹を常に考えること。2つ目が、「実行可能性を担保すること」。3つ目が「やりきる力」だ。

「会社はなんのために存在するのか」と問われれば、答は経営者や経営リーダーによって異なっている。「従業員に生きがいを与えたい」「社会に貢献したい」「株主が一番」等々。さまざまな意見がある。この根っこの部分がどのようものであるかによって戦略は大きく変わる。つまり戦略には確定した1つの回答、正解はないのだ。極論すれば「ブラック企業がブラック企業として生きながらえる戦略」もあるのである。

正解がないからこそ根幹部分が大事であり、これを意識し、そこから戦略を見いだしていく。まずはここから始める。自分自身に同じ質問を問うてみてほしい。あなたはなんと答えるだろうか。それを確信を持って答えられるならば、そこからあなた自身の戦略の基本的な方向性はおのずと定まってくる。

実は、この根幹を常に問う作業は、大局観を育てることにもつながっている。根幹部分は多様であり、そして一言で示せるようにするには、根幹部分がどのようなもので、どのように醸成されてきたものなのかを突き詰めていかなければならない。小難しく言えばより上位の概念へとさかのぼることができれば、目先の事柄ではない大きな視点、つまり大局観をつかむことになるのである。

今ある力を集中すれば、新しい力として発揮される

戦略には「実行可能性」が担保されていなければならない。理論的には高度で緻密で言葉が美しくても、それが実行できなければただの「理想の戦略」で終わってしまう。今現在の会社にある人材、資金、技術などのリソースで実行できるものでなければ戦略は絵に描いた餅になる。

簡単に言ってしまえば、戦略が現場に示されたときに、「なるほど、自分の力をそういう方向で使えばうまくいくのですね」と腹落ちできる戦略でなければならないということ。戦略を実現するために、従業員全員が3年間も研修を受け続けてレベルアップしなければならないような戦略は実行性を欠く。

今ある力を、どのような点に集中していけばまったく新しい力として発揮されるかを示し、実感させられる。これが実行可能性を担保するということだ。

最後の「やりきる力」は私が深く実感し、自説としているものである。やりきる力が戦略を戦略たらしめているのではないかと考えるほどだ。

会社のリソースを評価しながら実行可能性を担保していく。しかしそのことが、100%の実現可能性を保証している訳ではないのである。現在、しっかりとした戦略を持って成功している経営リーダーには、戦略の有効性だけでなく、戦略をやり遂げる力で成功を手にしている人が多い。経営リーダーだけでなく企業の社風としてのやりきれる力も問われている。

「なぜ」と繰り返し、考え続けろ

よく若い人から「戦略思考を身につけるにはどうすればよいですか」といった相談を受ける。しかしこれと言った具体的な処方はない。「会社はなんのためにあるのか」といった根幹部分への問いを重ねて上位概念を突き詰めていくのも一つの訓練ではあるが、コンサルタントでもない限りは日常の業務でそこまで問い詰めの作業を繰り返すことは少ないだろう(姿勢としては絶対に大事だが)。

経験から思うのは、ポジティブに多くのもを吸収することを忘れず、多くの体験に飛び込み、逆境に遭遇するような経験を重ねることだ。

この逆境経験ほど戦略思考を育てる絶好の機会はない。なぜかと言えば、根幹部分の話にも通じるのだが、「骨太の一番大事なところはなにか」を考え尽くさなければ逆境からは抜け出せないからだ。戦略思考は、苦しみ抜く経験をとおして身につくものであるとも言えるのだ。

もちろん戦略策定の各種のフレームワークを学ぶのも有効だろう。アドバンテージマトリックスやSWOT分析、VSPROモデルなどたくさんある。これらのフレームワークは、先人たちが現状分析の精度を高め、戦略の有効性を確保するために苦労を重ねて生み出してきたものだ。これらを体系的に学べば、確かに戦略思考は身についてくる。

もちろんフレームワークだけですべてを考えようとするのはご法度である。経営リーダーは学校の先生をめざしているわけではないからだ。

とにかく「なぜ」「なぜ」と繰り返し考え続けなければならない。例えば「イノベーターとはどのような人か」というテーマがあれば、その資質、性格、ビジネスのであるべき姿など、あらゆる視点から調べ、問い、自分自身の回答として練り上げていく。そうした作業を繰り返すからこそ上位概念が姿を現し始め、骨太の戦略になる。

コンサルティング会社では、「戦略づくりの要諦はなにを選ぶかではなく、なにを捨てるかにある」と教えられる。それは、なぜを繰り返すことによって研ぎ澄まされてくる分析の結果、優先すべきもの、後回しにしてよいもの、そして捨ててよいものがおのずと見えてくるからである。その上でビッグ・ピクチャーが姿を現す。

樋口泰行氏(ひぐち・やすゆき)
1980年阪大工卒、松下電器産業(現パナソニック)入社。91年米ハーバード大学経営大学院修了。2003年に日本ヒューレット・パッカード社長。ダイエー社長を経て、08年日本マイクロソフト社長に。15年より現職。

(撮影:有光浩治)

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著者 : 樋口 泰行
出版 : 日本経済新聞出版社
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