「ぼろ」に和む 森山直太朗、曲に重ねるシンパシー
著名人が、お気に入りのモノについて語る連載「私のモノ語り」。今回の語り手は、「さくら(独唱)」や「夏の終わり」などタイムレスな名曲を紡ぐシンガーソングライターの森山直太朗さん。今年でデビュー15周年を迎えますが、節目を迎える前に「小休止」として約半年間は音楽活動から離れた時期も。その時に縁あって「山小屋」を手に入れたことから、近年は美術的な価値やファッション性が再評価されているという「ぼろ(BORO)」と出会いました。歴史が感じられる古布に、森山さんはどんなシンパシーを感じ取ったのでしょうか。
憧れだけで手に入れても持て余すのではと思っていたけど
主に東北地方などで、何世代にもわたって、布きれを幾重にもつなぎ合わせて使い続けてきた布のことで、野良着や肌着、寝具まで用途は幅広い。近年は無作為につなぎ合わされた様子がデザインとして優れているとして、ヨーロッパをはじめとする世界中のアーティストやファッション関係者からも「BORO」として注目を集めている。「襤褸」とも書く。
最初に「ぼろ」を手に入れたのは去年の秋の初めごろ、骨董市でした。それから市に通っては、少しずつ買い足しています。本当はどれも愛着があるので全部持ってきたかったんですが、スタッフに「そんなに持ってこられても……」って冷たい目で見られるのが怖くて踏みとどまりました(笑)。
藍などで染めた布きれを幾重にもつなぎ合わせた古布である「ぼろ」は5、6年前から気になっていました。HOLLYWOOD RANCH MARKETやOKURAなどを展開する聖林公司さんをはじめ、僕が日ごろからお世話になっているファッションブランドがあるんですが、店舗では季節ごとにディスプレーをしますよね。そこで「ぼろ」を使っているのを見る度に言葉にならないシンパシーを感じていました。
ただモノって必要、必然性が生まれて初めてつながりができます。もう40歳だし、憧れだけで購入しても持て余してしまうだろうと思って手を伸ばさずにいたんです。
ですが、思いがけなく(スタッフからの提案で)去年の秋から「小休止」に入ることになり、そのときにかねてより探していた山荘を手に入れることになりました。中古物件だったんですが、部屋の中に大きなケヤキの一枚板のテーブルがどんと鎮座していて、その存在感がとても大きかったんです。
ケヤキのテーブルは、山荘のオーナーさん自らが地元の材木屋を巡って手に入れたこだわりのテーブルだと聞いていましたし、それを取り外してソファを入れるのはなんか違うなと。それって、トラディショナルな名曲のカバーを聴いたときに似てるなと思いましたね。個々の感覚だから一概に言えませんが、時折「どうしてこうしちゃったのかなぁ」ってなんとも言えない気持ちになることもあります。オーナーこだわりが詰まったケヤキのものを取り外してまで、僕はその山小屋を手に入れる意味はないなと思ったんですね。
……すみません、なかなか「ぼろ」の話に行き着かなくて(苦笑)。でも、このくだりがないと僕と「ぼろ」の出会いも無意味なものになってしまうので、もう少しだけお付き合いください。
で、そのケヤキの一枚板の大きなテーブルを残すと決めたのですが、主張がとても強く、その卓のせいでいかんせん和風に見えてしまう。どうしたら僕らしくアレンジできるだろうかと思いあぐねていた時に、ふと浮かんだのが「ぼろ」でした。
モノの意味はその人にとってどれだけの価値があるか
「ぼろ」はもともと東北や四国の貧しい山村で、3代も4代も使い継がれてきたものもある古い布です。だから和のテイストはもちろん、染料の藍はデニムのインディゴですからログハウスの雰囲気にも合うだろうと。僕と山小屋をつなぐ、いい役目を果たしてくれるに違いないと思いました。
それでネットで検索したら、骨董市で手に入るらしいと分かった。当時は時間もたっぷりありましたから(笑)、久しぶりに行くことにしたら、心躍りましたね。学生時代はサッカーが好きだったので、70年代から80年代のブラジルとフランス代表のユニホームを集めたりしていたんですよ。骨董市をぶらぶらしていると、音楽そっちのけで(笑)「こういうのが好きだったな」というシンプルな感覚を思い出すことができました。
骨董市ではいろんなモノにあふれていますが、どれもが誰かにとって無価値になったモノだったりします。その一方で、僕みたいな誰かが新しい価値を見いだしていく場所です。そうやって、モノに宿る可能性や、モノ自体が持つ普遍性が語り継がれていくことなんだろうなと思うんですね。
時間もお金も費やして手に入れた「ぼろ」を見て、「こんなホコリ臭い布がそんなに高いの?」と驚く人もいます。今日持ってきたものは数万円ですが、高いものでは50万円以上するものもあるそうです。結局、モノってその人にとってどれくらいの価値があるかどうかなんでしょうね。不思議そうな顔をした人にとっての「ぼろ」もきっとあるんだろうなと思うんですよ。
懐かしくてポップで、だけど初めて
さて、僕は「ぼろ」の見た目のかっこよさから入ったので、あまり歴史を知らなかったんですが、編集者で「ぼろ」の取材もされている都築響一さんと出会ったことで、その奥深さにますます引かれるようになりました。
パッチワーク模様のように見える継ぎ目はデザインではなく、厚みがあるほど暖をとれるから価値が高くなります。貧しい生活をする人たちの歴史そのものでもある「ぼろ」は、地方の山村の蔵の奥に追いやられてひっそりと眠っていました。都築さんいわく、「ぼろは貧困の象徴。人様に見せたくないものだから表に出すこともなかった」と。
それが最近になって、「アミューズミュージアム」の常設展として展示されたり著書も出版された。海外、特に欧米のハイセンスな人たちには、「クール」だと評価されて一気に見直されるようになりました。切実な理由で使い継がれてきた「ぼろ」が、時を経て違う形でライトをあてられ、新たな価値を見いだされていることにワクワクします。
「ぼろ」を見ていると、これはこじつけかもしれないけど……、布と布の縫い目やつなぎ目に、僕の活動へのシンパシーすら感じるんです。懐かしくてポップで、だけど初めて。自分の曲作りもそこを目指しているところがありますね。僕がもしこの先死んでも、曲として残ってまた誰かに必要なものであってほしいですから。初めて見たときに直感的にシンパシーを感じたのも、今になってみるとなるほどなってふに落ちます。
さすがに僕は、「ぼろ」で寒さはしのいでいませんが(笑)、眺めたり、むしろそばにあるだけで落ち着ける。心が和む一品になっています。
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次回(森山直太朗 世界に一つの「ギターにもぼろ」)は、シンガーソングライターである森山さんの活動に欠かせないアイテムへのこだわりについてお話しいただきます。ユーモアを交えながらも、鋭い着眼点や視点はさすがです。
1976年4月23日生まれ、東京都出身。少年時代はサッカーに夢中だったが、大学時代よりギターを手に持ち、楽曲制作を始める。ストリートライブなどを重ね、2001年に直太朗名義でインディーズでデビューし、翌2002年にメジャーデビュー。2003年の「さくら(独唱)」が大ヒット。「夏の終わり」「生きてることが辛いなら」など、色あせないヒット曲を多数放つ。心に染み入るような透明感あふれる歌声とどこか懐かしい旋律で、世代を問わず多くの人の心に寄り添う歌を贈り続けている。デビュー15周年を記念して「さくら(独唱)」や「夏の終わり」などのヒット曲を網羅したオールタイムベスト・アルバム「大傑作撰」をリリース。2017年1月からは全国ツアー「15thアニバーサリーツアー『絶対、大丈夫』」を開催する。
(文 橘川有子/写真 稲垣純也)
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