玄米がくれた芸の道 清水ミチコさん
食の履歴書
「まあ、おいしいわね」。自宅に黒柳徹子さんを招き、夕食を振る舞った日のこと。仕事で世話になったお礼にと、心を込めて料理を作った。しゃべりっぱなし、食べっぱなし。気がつくと7時間が過ぎていた。夢のような時間だった。
主菜のアワビのステーキに添えたのは玄米ご飯。「プチプチして香りが強いから嫌う人もいるけれど、私はすごい好き」。大事なゲストへのもてなしにしては地味に思える茶色いご飯だが、実は思い入れがある一品。将来の道が開けたアルバイト先で出合ったからだ。
実家は岐阜県高山市でジャズ喫茶を経営していた。短大入学を機に上京。ケーキ屋でバイトをしながら、サブカルチャー誌やラジオ番組にコントなどを作っては投稿していた。
採用される回数が増え、雑誌や番組の常連に。東京の生活が楽しくて、短大を卒業後、すぐ帰郷する気にはなれなかった。とはいえ、常連投稿者というだけでは生活できない。「テリーヌやパテ。高山にないものを覚えて帰るのもいいかな」。ケーキ屋の知り合いに聞き、洋風総菜店「パテ屋」(東京・世田谷)でフリーターとして働き始めた。
バイト先で毎日
店のまかない料理が玄米ご飯だった。仕事の合間に、焼いたニシンや野菜、豆腐など、健康的なおかずと一緒に玄米を毎日食べた。店主らと圧力鍋で玄米を炊き、魚をさばいた。
上京したときから東京の食べ物に憧れて、片っ端から挑戦。はやりのスイーツはもちろん、脂っぽいものや肉が特に好きで、故郷にいたころより体重が増えていた。それが、玄米のまかないを食べるようになり、気づくと10キロ落ちていた。「滋養が違うっていうか。みるみる健康になった」
次第に運も向いてきた。店主の親戚が週1回のラジオ番組の構成作家を探していた。「自分が作ったものを人に見てもらえるチャンス」が到来した。書くだけでなく、黒柳さんや桃井かおりさんのものまねをし、作り込んだコントで出演すると「面白い」というリスナーの声が届くように。「書くだけより出演する方が楽しいと、どんどん出しゃばりになっていった」
26歳のとき、渋谷のライブハウス「ジャンジャン」で初めて、観客を前に芸を披露した。ピアノ曲の「猫踏んじゃった」をバッハが弾いたらどうなるか。いや、モーツァルトだったら?ユーミン(松任谷由実)や中島みゆきさんが歌ったらどうか。得意のピアノによる音楽芸を見せた。観客の笑いをとり、拍手をもらう快感を味わった。
それからは早かった。ステージをタレントの故・永六輔さんが見に来ていた。「お辞儀の仕方が悪い。君は芸はプロだけど、生き方がアマチュアだ」。そう怒られたが、たぶん見込んでくれたのだろう。自分のライブに出演させてくれたり、知り合いのディレクターを紹介してくれたりした。翌年の1987年には「笑っていいとも!」のレギュラーになった。
それまでは生活のためパテ屋での仕事も続けていた。両立は難しいと感じ「テレビ番組のレギュラーが決まったので辞めます」と伝えた。ところが店主は「いつ何があるか分からない。少しずつ減らしたら?」。今でも「いつでも戻ってきていい」と言われている。
自炊が「快感」に
店で得たものは、未来へのチャンスだけではない。健康的な食事の大切さを教わり、自炊の習慣がついた。仕事でぐったりして帰宅しても、昆布や豆を水に浸したり、野菜を刻んだり。「作るの大好き。潤いを得るというか、快感ホルモンが出る気がする」。何か一手間、台所仕事をしてから眠る。
料理好きの素地は子どもの頃からあった。「料理を作ろうか」。ジャズ喫茶を始めるまで外で働いていた母は、休みの水曜日に台所に誘ってくれた。春巻きやギョーザ、プリン。キャッキャッと2人で話しながら作るのは楽しかった。「子どもの自分でも作れるのに驚いたし、食べるのっていいなと思った」
もてなしの野菜料理、作る快感
黒柳さんに限らず、来客を玄米ご飯や野菜料理でもてなす。子どもの頃、親戚の農家の家で囲んだ食事が、忘れられないからかもしれない。明日葉やタラの芽、フキノトウなどの春野菜のてんぷら、こんにゃく、豆腐……。食卓いっぱいに並ぶ素朴な田舎料理は「すごいごちそうだった」。
作るのも好き。食べるのも好き。それでも食欲がなくなるときがある。初ライブの後はうれしすぎて、何も食べられなかった。憧れの女優・桃井かおりさんと食事をしたときは、緊張と幸福感で箸が進まなかった。シンガーソングライター、矢野顕子さんのライブへ行った後もビールだけ。「『すごい良かった』という興奮が勝っちゃって、食事が入らない」
その人になりたくて、と始めたものまねは100超。今年はデビュー30周年公演で全国15カ所を回る。「道の駅とかで売っている、おばあさんが作った芋の煮っ転がしとか大好き」。素朴で滋味に富んだ食との出合いを楽しみにしている。
囲炉裏で「原始焼き」
半年に一度ぐらい足を運ぶのは東京・世田谷の「酒肴みうら」(電話03・6805・2177)。囲炉裏があり、コの字形のカウンター席に座ると目の前で炭火焼きにしてくれる。
その囲炉裏で食材を立てて焼く原始焼がお薦め。野菜の原始焼盛り合わせ(1080円)や黒ムツ(2590円)などがある。「お客さんが飽きないように、日本酒は食事の邪魔にならない辛口を中心に1本なくなると入れ替える」と店長兼料理長の奈良弘樹さん。今は風の森(910円)がおすすめという。土日は予約したほうがいい。
併設する下北沢三浦鮮魚店はショーケースにテークアウトの総菜が並ぶ。「ポテトサラダとか、ひものとか塩からとか、お土産にしやすい」(清水さん)。ジャガイモやベーコン、ゆで卵を桜のチップでいぶした燻製ポテトサラダ(490円)は人気の一つだ。
最後の晩餐
そばがすごい好き。そば店巡りをしています。ぜいたくしても、つけとろぐらいで、そばそのものの味が好き。いつもは大盛りが多いけれど、大盛りじゃないな。東京・麻布十番にある「総本家更科堀井」のそばを、甘口と辛口のつゆを自分で混ぜて味わって食べるのが好きだから、最後はそれを。
(畑中麻里)
〔日経プラスワン2016年8月27日付〕
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