由紀さおりさん ヒット曲に新解釈で挑む
歌謡曲からジャズ、童謡・唱歌までジャンルを超えて活躍する歌手の由紀さおりさん。海外でも日本語の歌をヒットさせる一方、姉の安田祥子さんと共に童謡を歌い続けて今年で30周年を迎える。異色のキャリアを築いてきた由紀さんは今年7月、亡きテレサ・テンさんの曲をカバーしたアルバム「あなたと共に生きてゆく~由紀さおりテレサ・テンを歌う~」を出した。テレサさんのヒット曲にどんな世界観を見いだし、歌い上げたのか。日本語の歌謡曲の魅力について聞いた。
「テレサさんの歌はずっと歌いたいと思っていた」という由紀さん。昨年までに1960~70年代の歌謡曲の名曲をカバーしたアルバムを2枚出していたことから、今回のテレサ・テンさんの歌をカバーするオファーが舞い込んだ。「時の流れに身を任せ」「別れの予感」などテレサさんの歌にはさまざまな女性の心もようが描かれている。「歌の中の情景をどう表現するか、歌の中の女性の気持ちをどう伝えるか、というところに表現者としてのおもしろみがある」と名曲をカバーする醍醐味を説明してくれた。
由紀さんがテレサさんの歌に魅了されるもうひとつの理由は「日本語の魅力を最大限に引き出した歌謡曲」だからだ。「試行錯誤の末に生み出された、このシーンにはこの言葉しかない、というような珠玉の一言をどう歌うか。美しい言葉を大切に歌うことに向き合う機会をいただいた」

由紀さんの語感へのこだわりを示す一例が「鼻濁音」だ。「おがわ」「ふゆげしき」といった言葉のカ行の濁音を、鼻に抜けるように発音すれば、日本語にリエゾンするようなやさしい響きが生まれる。由紀さんがその違いを歌うのを聴き比べることができた。ふっと力が抜けるような鼻濁音が挟まると、言葉とメロディーの一体感が強まるように感じた。
2011年に由紀さんが米国のジャズオーケストラ、ピンク・マルティーニとコラボしたアルバム「1969」がジャズチャートで1位になるなど世界中でヒットした。ほとんどの曲を日本語で歌っているが「日本語の響きがとてもやさしい、とたくさんの方に言われた」。由紀さんは、日本語のゆったりとした語感を心地よく感じてもらえると知って、きれいな日本語の歌をカバーしたいと思うようになったという。

ところが、今はテンポの速いリズムの時代。「人気の楽曲はアクセントを逆にしたりして、本来日本語が持っているなめらかさを打ち消すことで、新しさを感じさせているのだと思う。それを否定するわけではないけれど、本来の日本語の響きはこんなに美しいということを知ってもらいたい」
1969年のデビュー曲「夜明けのスキャット」が大ヒットして以来、歌謡曲の世界で活動を続ける中で、由紀さんの音楽の根底にずっとあるのは小さい頃から歌ってきた童謡・唱歌だ。
「私自身の世界観にどっぷりつかって歌うことが許される歌謡曲と違って、童謡はどちらかといえば楽曲が主役。シンプルなメロディーをきちっと表現するのは別の難しさがある。脈々と歌い継がれてきた童謡・唱歌は、この国に暮らす全ての人の財産だと思う。だから聴く方が自分の中にある情景を思い起こすことができるように、私たちの思いを塗りこめずに客観的に歌うこと、余白を残すことが大切だと思っている」

由紀さんが今後も歌い、伝えていきたいのは、どんな歌なのか。「歌謡曲と童謡は、私のアイデンティティーの両輪であり続けると思う。ただ、歌謡曲の歌い手として由紀さおりになったので、やっぱり最後まで歌謡曲にチャレンジし続けたい」と意気込む。
「今の音楽は映像も一緒に全部見せてくれるけれど、我々の世代にとってあれは大きなお世話なの。メロディーを聴いて、歌詞を聴いて、その行間を読むとか、言葉の裏側を察するとか、っていうのが本来の日本の文化なんですよ。今はメールにしても短い言葉のやりとりが多いから、自分の気持ちを説明したり、相手の気持ちを読んだりすることが少ない。『痛い』『やばい』『ささる』で、感動したことも、つらいこともすべて表現できてしまうけど、それではつまらない」
「心のひだ、なんて昔は言ったけれど、目に見えない心の動きを表現するのが歌の世界の魅力であるし、それを次の世代の人にも感じてもらえるように歌っていきたい」。そう語る由紀さんが歌い継ぐことを通じて、人々が改めて素晴らしさを認識する名曲はまだまだたくさんありそうだ。
(映像報道部 槍田真希子)
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