平安の色恋 ラテン的超訳
紫式部、こじらせ女子のごとし
紫式部は夫と死別後、中宮彰子の女房として宮仕えをする。同僚には『栄花物語』の作者とされる赤染衛門、歌人として有名な和泉式部などもいて、右を見ても左を見ても国語の試験に出てきそうな女たちがうようよしている環境にいた。
そんな華麗なる文化サロンで、『源氏物語』という不朽の名作を著した紫はスーパースターのような存在だったと思われがちだが、実はそうでもなかった。サロンの華となる"パーティガール"の素質がなかったため、宮殿での生活はゴージャスどころか苦悩ばかり。気難しい紫の素顔は『紫式部日記』によく表れている。
日記は2つの巻で構成され、その大半は中宮彰子の出産までの出来事と、無事に生まれた敦成親王の誕生を祝う数々のイベントの描写が中心。当時の出産はどれだけ命懸けだったかがうかがえる点でも、歴史的価値が高い作品だ。豪華な祝い事のエピソードの合間に親しい人に宛てた手紙の体裁で、天敵の清少納言バッシングが書かれていることでも有名だ。
この日記、読み進めるにつれ、行間から作者のマイナス思考と自己評価の低さが伝わってくる。私の頭をふとよぎる、最近流行(は)やりの「こじらせ女子」という言葉。まさか、紫に限って!?
と思いつつ、ネットに転がっている「こじらせ度」の診断テストを紫の言葉で答えてみると、妙にしっくり来るではないか。
《原文》
「内裏わたりはなほいとけはひことなりけり。里にては今は寝なましものを、さもいざとき沓のしげさかな」と色めかしく言ひゐたるを聞く。年暮れてわが世更け行く風の音に心の中のすさまじきかなとぞ独りごたれし。
イザベラ的超訳
大晦日(おおみそか)の話。殿上人が行き交い、女の部屋に入る靴の音が聞こえる。女性陣が集まってきゃっきゃっするのだが、夜が明けたらまた1つ老けてしまう。それを考えるとへこむわあ、とぼそっと一言。
フェロモン全開にすべき場面なのに、「どうせ私なんか…」とロマンスのチャンスをつかもうとしない紫。
《原文》
心にまかせつべきことをさへ、ただわが使ふ人の目にはばかり、心につつむ。
イザベラ的超訳
好き勝手やっていいようなときですら、自分の召し使いの目でさえ気になり、ストレスがたまってくたくた。
《原文》
(中略)とぞ、みな侍はべるに、恥ずかしく(後略)
イザベラ的超訳
(鼻持ちならない女だと思っていたのに意外とおっとりしているね)と、同僚たちに褒(ほ)められて、恥ずかしくなっちゃう…。
◇ ◇
この段には、「恥」という文字が5回も現れて、紫のパニック状態がありありと伝わる。全3問該当でこじらせ度100%という見事な結果!
だが、浮いた話がほとんどない紫が、こじらせながらも宮廷で自分の居場所をしっかり見つけ、女子たちが夢見るルックス抜群なダメンズの原型を自ら創造。『源氏物語』という世界が絶賛する超大作を生み出したのは見事という他ない。
抜きんでた才能を持つ者はいつの時代だって孤独だ。『紫式部日記』はきらびやかな衣装では隠し切れない、1人の女性の等身大の不安や葛藤を見せてくれる。
◇ ◇
「枕草子」はデキ女ブログ?
教養もセンスも世界トップレベルだった"平安女子"たちは鮮烈に胸の内をつづっている。禁断の恋に燃えた男女の息づかいが迫ってくるのは和泉式部の『和泉式部日記』。「ハラハラドキドキ、危険な恋のドラマの世界に浸りたい人には迷わずお薦めする」とイザベラさん。
清少納言の『枕草子』は、前向きな女子力で日常の美しいことに目を留め、書き留めた傑作。イザベラさんは「最後まで自分らしく生きたであろう先輩の凜(りん)とした姿が浮かぶ」と語る。逆に、読むとやけどしそうなのは藤原道綱母の『蜻蛉日記』。ドロドロの嫉妬劇で「誰もが心の中に隠し持つであろう醜い部分を、恥じることなくすべてさらけ出してしまっているところに引かれる」と言う。
(「日経おとなのOFF」9月号の記事を抜粋・再構成。イラスト・加藤大)
[日本経済新聞夕刊2016年8月20日付]
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