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キャリアの原点

常識外れの経営でも増収増益 「ほぼ日」の篠田さん 東京糸井重里事務所 取締役CFO 篠田真貴子氏(上)

2016/8/18

 出世街道をまっしぐらの女性が、コピーライターの糸井重里氏が手がける人気ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」に入ったらどうなるのか――。運営会社、東京糸井重里事務所(東京・港)の最高財務責任者(CFO)、篠田真貴子さんは帰国子女で元マッキンゼー、外資系企業の幹部と華々しいキャリアを歩んできた。その篠田さんが遭遇した摩訶不思議(まかふしぎ)な世界とは?

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 人生のある時点まで、「大きいことはいいことだ」とばかり思っていました。規模拡大を目指すのは当たり前。利益は大きければ大きいほどいいんだという世界で、より高いポジションを目指すことが「出世」なんだ、と思い込んでいました。

 本当にそうなのかという問いを突きつけられたのは、東京糸井重里事務所に来てからです。それまで所属していた外資系大企業とはまったく違う組織文化に触れ、利益とは本来、人間にとっての体温や血圧みたいなものだったんだ、と気づかされました。

 健康のために体温や血圧を知ることは重要ですが、それを意識しながら生きていくのは、どこか不自然ですよね?

 だから、今ではこう理解しています。人間(会社)としてあるべき健全な生活を送ることができていたら、結果として財務も正常に保たれるのだ、と。

■ガツガツしていないのに超優良企業だった「ほぼ日」

東京糸井重里事務所 取締役CFO 篠田真貴子氏

 みなさん、「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」はご存じですか。広告のコピーライターだった糸井重里が1998年に開設したウェブサイトで、月間訪問者数は現在140万人ほど。私がCFOを務める東京糸井重里事務所は、この「ほぼ日」を運営している会社です。

 従業員数約60人と規模としては小さいのですが、売上高約30億円で約4億円の利益を出しています。記事はすべて無料で、広告は一切掲載していません。それでどうやってこれだけの利益をあげているのかと言えば、オリジナル商品の企画・販売です。直販比率が65%と非常に高い。

 それまで勤めていた外資系企業から2008年にこの会社に移って来て、何に一番驚いたかと言えば、その数字がロジカルにたたき出されているようには、とても見えなかったことでした。

 例えばこんなことがありました。会社に入ったら、個人用のパソコンとメールアドレスをもらいますね。「はい、これでセットアップできました」と言われてメールを開けたら、いきなりどどーっと大量のメールが届いているんです。

 初日ですよ、初日!

 驚いて「どうしてこんなにいっぱいあるの!?」って聞いたら、「ほぼ日」の公式アドレスに届くメールがすべてCC(カーボンコピー)で送られてきていたのです。また、「誰それさんからお電話がありました。折り返しお願いします」と伝言メールがあったとしますと、それが当人だけではなくて、CCで全社員に送られてきていました。

 加えて、こんなこともありました。

 これも初日か2日目の出来事ですが、倉庫のような小部屋が通用口の横にあり、簡易な棚に売れ残った商品が置いてあるのが見えました。

 過去に私がいた食品会社では在庫管理はとても厳しく、サンプルを渡すのも、ものすごく気を使わなくてはならない世界でした。ですから、私にとっては売れ残りがポンと棚に並んでいただけでも十分に驚きだったわけですが、「ほぼ日」の人たちは当時「お土産」と称し、打ち合わせに来るお客様などに、わりとカジュアルに商品サンプルを渡していたんです。

 心配になって、思わずこう聞きました。

 「ねえ、これ台帳付けてる?」

 そしたら、「台帳ってなんですか?」くらいの反応が返ってくるわけです。

 ちょうど基幹商品の手帳が売れ始める時期でもあったため、前年同月比の数字を調べようと思い、社内システムの速報値を見てみました。そしたら下がっていた。これも心配になって、「下がってるけど、要因はわかる?」と担当者に聞きましたが、返ってくるのは「えっ、下がっていましたか?」という言葉だけ。

 「もしかして、ぜんぜん数字を見ていないの~!?」って、のけぞりそうになりました。

 数日かけて確認したところ、速報値には反映されていない受注があり、実際は下がっていないこともわかったのですが……。

■「予算とはそもそも何か」からひもとき説明

 私が入社した2008年秋の時点で、売り上げはもうじき20億円に届くという規模。従業員も40人強に上っていました。家賃と給料は滞りなく支払わなければなりませんし、そのためにはたとえ、なんとなくでも「予算」は立てなくてはなりません。

 ところが、糸井さんに「予算つくりましょうか?」と聞いても、「どうかな……」と言われてしまう。だいたい、何を聞いても最初は「どうかな」なんです(笑)。これを突破するためには「そもそも予算とは何であり、何のためにあるのか」の根本からひもといて説明しないといけませんでした。

 一応、ウェブサイトを運営している会社ですから、IT(情報技術)のことも少しは知らなければと思い、グーグルに勤務する知人にいろいろと教えてもらいました。「ウェブサイトでの滞在時間は長い方がいいんだ」と言われて「ほぼ日」のデータを見てみたら、どんどん短くなっていた。「いいんですか?」って聞いても、糸井さんは「ああ、それわざとだから」と。理由はさっぱりわからない。要するにロジカルな説明がないんです。でも、糸井さんなりの考え方はある。

 最初のうちはとにかく、このビジネス用語にならない糸井さんの感覚と「ほぼ日」という異文化を理解するのに必死でした。だけど、途中で思ったんですね。「こんなにロジカルじゃないのに増収増益を続けているということは、そこには何か因果関係があるはずだ」と。

 そもそも私が呼ばれたのは、糸井さんというカリスマがいなくても事業を続けていける会社にしたいというビジョンがあったから。そのために糸井さんが掲げたひとつの目標が「上場すること」でした。その期待に応える意味でも、常識外れの経営で利益を生み出し続けている「ほぼ日」を「仕組み化」できたらおもしろいんじゃないか、と思いました。

 なにしろ、こんなにユニークな会社は、ビジネススクールでもマッキンゼーでも聞いたことがありません。だけど、その面白さを友達に伝えようと思っても、ぜんぜん伝わらないわけです。なんとかして、この非ロジカルな世界をロジカルな言葉で説明したいという欲から思いついたのが、「ポーター賞」に応募することでした。

■2012年、大企業に交じりポーター賞を受賞

 米ハーバード・ビジネス・スクール教授、マイケル・ポーター氏の名前を冠したこの賞は、日本企業の競争力を向上させることを目的として、一橋大学大学院国際企業戦略研究科が2001年に創設しました。ポーター氏の「競争戦略論」に基づき、製品、プロセス、経営手腕においてイノベーションを起こし、これを土台として独自性がある戦略を実行し、結果として業界において高い収益率をあげている会社が毎年、表彰されています。

 応募書類をつくるため、糸井さんをはじめ社歴の古いメンバーにインタビューし、会社の歴史を探りました。個々のエピソードやその時々にどういう考えで、何をどう判断してきたのか。聞きながらロジックに落とし込んでいきました。ただ、ポーター氏の理論は競争戦略論ですから、常に他者との比較で考えないといけないわけです。

 「はて、『ほぼ日』の競合ってなんだろう?」と、悩みました。

 探しても、ほかに似たような会社はない。考えてみたら、それこそがまさしくイノベーティブってことじゃないですか?

 がぜん、やる気がわいてきました。

 審査では会社の独自性はどこにあるのか、が問われます。何が首尾一貫しているのか、を私なりに糸井さんの言葉から探っていきました。

 例えば、「ほぼ日」を紹介していただく際に、「年に何回か席替えをする」「給食を一緒に食べる」などの制度がよく取り上げられます。話題にはなりやすいのですが、はたしてそれがいったい、どういう理屈で継続的な高い収益に結びついているのか、は誰もきちんと説明できていませんでした。だけど、よくよく話を聞けば、糸井さんなりの原体験はある。

 かつて彼がゲーム開発に携わっていた際、ゲーム会社に常駐していたことがあったそうです。その時に、クリエーターと経理の担当者が別々のフロアにいて、たばこ部屋くらいしか接点がなかった。そのせいで、お互いがそれぞれの考え方を理解し合えなくなっているんじゃないか、と糸井さんは感じたらしいんです。

 ですから、「もっと交ぜようよ」という考え方がベースにあり、経理の横にたまたまクリエーターの人が座るような環境を、糸井さんはロジカルにではなく、感覚的につくっていた。それが結果として「いいチーム」をつくり出し、ほかにはない「価値」を生み出すことへとつながっていたということが、だんだんとわかってきました。

 2012年、東京糸井重里事務所は電子材料を手がける味の素ファインテクノ(川崎市)やクレディセゾン、旅行情報サイトなどを運営するリクルートライフスタイル(東京・千代田)とともにポーター賞を受賞しました。独自のビジネスモデルに基づき運営していることに加え、2007年から2011年までの投下資本利益率(ROIC)が平均で28.3ポイント、同期間の営業利益率が平均で9.5ポイントと、業界平均を大幅に上回る高い収益率をあげていることが評価されました。

 入社してからここに至るまで約3年半かかりましたが、振り返ると、この3年半は私にとってとても貴重な“異文化”との遭遇でした。

篠田真貴子氏(しのだ・まきこ)
1968年生まれ、東京都出身。小学1年から4年までを米国で過ごす。91年慶応義塾大学経済学部卒、日本長期信用銀行(現新生銀行)に入行。96年から99年にかけて、ペンシルベニア大学ウォートン校で経営学修士(MBA)、米ジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論の修士学位を取得。98年米コンサルティング大手、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、2002年スイス製薬大手のノバルティスファーマに転職。2003年第1子出産。07年、所属事業部が食品世界最大手のネスレ(スイス)に買収されたことにより、ネスレニュートリションに移籍、第2子出産。08年東京糸井重里事務所に入社、09年取締役最高財務責任者(CFO)に。

(ライター 曲沼美恵)

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