さだまさしさん 流行歌と日本の伝統美を語る
シンガーソングライターや小説家として活躍するアーティスト、さだまさしさんが9月、奈良市の春日大社を中心に開かれる「第1回春日野音楽祭」に参加し、飛火野(春日野の別名)でライブを開く。日本語の詩にこだわり、和風のサウンドを追究してきたさださんに、流行歌にも表れる日本の伝統美について聞いた。
春日大社では今年、20年に1度社殿を建て替える神事「式年造替」が執り行われている。これにちなんで市民も参加する祝いの行事として音楽祭が企画された。春日大社とその周辺の飛火野を会場に、さださんをはじめ、様々なジャンルの音楽家が演奏を繰り広げる。
神社で歌うのはどんな気持ちなのか、さださんに聞くと、「全然不思議な場所ではない。僕にとっては遊園地で歌う方がよっぽど不思議な感じがします」と笑う。それもそのはず、さださんが春日大社で演奏するのは今年で5回目。他にも東大寺や伊勢神宮でもコンサートを開いてきた。「本来、音楽は神の言語だと僕は思う。『音楽作品というのは音楽家が自分の命を削って生み出す、音楽の神にささげる供物なんだ。そういう気持ちで歌を作りなさい』と作曲家の服部良一先生に言われた言葉が胸に残っている。そういう気持ちで歌を作ってきた」
西洋音楽の影響を受けた近現代日本の音楽に日本古来の伝統美が反映した例は多い。山田耕筰は長唄をそのまま取り入れて管弦楽と融合した「長唄交響曲『鶴亀』」を作曲した。今年没後20周年の武満徹は雅楽器の笙(しょう)を使った「セレモニアル―秋の歌」、琵琶と尺八を起用した「ノヴェンバー・ステップス」などの作品を世界に問うた。では主に英米の洋楽の影響を受けたポップスとしての現代日本の歌は、いかに日本固有の美を反映させることができるのか。一つには、古語、雅語を含む日本語の詩の美しさに磨きをかけるということになるのだろう。さださんの歌の詩には、古都、奈良に似合う情緒あふれる表現がたくさん出てくる。
「音楽も歌詞も、聴いて気持ちがいい、美しいものが良い。どうも戦後の日本の傾向として、発音も発想も汚いものにすり寄っているように思える。美しいものを探していくと、行き着くのが大和言葉だ。例えば夢を歌う時、それがどういう夢なのかを表現するのに『たまゆらの』とつけるだけで、逃げ水のようなはかない趣が出てくる。そういう言葉の組み合わせを楽しみ始めると、日本語ってもっときれいな言葉がたくさんあるのになあ、と思う時がある」
さださんが1979年に発表した「まほろば」は万葉集の歌をモチーフに、奈良・春日野の風景と男女の心のすれ違いを描いた曲。「すごく人気のある歌だったんですけど、当時、僕のお客さんの中心は中高生だったから、40年前の中高生の読解力ってすごいと思う。よくこんな歌詞を理解して聴いてくれたなって」
さださんの話には、万葉集や古今和歌集など、日本の古典文学の言葉がよく出てくる。それらは決して古くて分かりにくいものではないという。
「日本の古典を読んでいると、気持ちの表現などは今の僕らの生活と温度差がない。建礼門院右京大夫という平安末期の女流歌人が詠んだ、母親の形見分けをしている場面の歌には、いとしいと思う人の残したものというのは、その人の着物の折じわまでいとおしいものなんですね、っていう表現があるんです。誰でも、共感を覚える表現じゃないですか」
一見、趣は違うが、海外でも人気が広がりつつあるJポップにも「これはこれで日本らしさを感じる」という。「子供の頃、読んじゃダメと言われた漫画が、今ではジャパンアニメとして世界を席巻している。同じように今、外国の人たちが見てクールだという日本の文化の多くは、日本の人たちが積み重ね、作り上げてきたものの表層にすぎないということを理解しないといけない。僕たちが積み重ねるのをやめてしまったら、その魅力や価値は薄まってしまうわけで、僕らも何か積んでいかなければならない」
「自分は先輩たちから音楽のバトンを受け取ったつもりでいるので、これを次に走るやつにちゃんと届けないといけない」という責任は感じている。「価値が変わらないのはライブだけ。音楽がこの先どうなるのかはわからないけれど、聴いてもらうための努力は怠ってはいけないと思うし、音楽の面白さをもっと表現したい」。第1回春日野音楽祭の「さだまさし飛火野ライブ」では、万葉集や古今集にも通じる日本の歌の魅力を聴き手に届けるに違いない。
(映像報道部 槍田真希子)
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