生活哲学家、辰巳渚さん 世話好きな母への反発バネ
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は生活哲学家の辰巳渚さんだ。
――生活哲学にお母さんの影響はありますか。
「戦中生まれで戦後育ちの母は地元の洋裁学校を出て見合い結婚。典型的な専業主婦でした。娘には何も冒険してほしくないと望む人です」
――どんなふうに。
「幼少期のこと。母は、ぜんそくでよく寝込んでいた私の世話を焼きました。私は自分で色々やってみたい、過保護はうっとうしいと思っていましたが。小学2年の時、病院で母が私の病状を説明したところ、医師が『お母さんは黙ってて』と遮りました。私もしゃべっていいんだ、とその時気がつきました。その後『あなたは突然変わった』と何度も言われました。昔は女の子らしかったのに頑固になった、自立心ができたと」
「小学校6年生で父が突然他界した時、母は現実を受け入れられませんでした。追い詰めてはいけないと自分の反抗心にブレーキを掛けつつ、母を突き放していた気がします。学費は出してもらってはいたのですが」
――社会人になって、関係に変化はありましたか。
「仕事で夜中に帰宅し、朝早く出かけるたび、『何であんな会社に入ったの』『どうしてそんなに働かないといけないの』と言うのです。私が何をやってもよしとせず、常にマイナス要素を探し出す。本人は子供を否定しているつもりはないようですが、私はいつも否定されているかのように感じていました」
「独立後に関わりは減りましたが、出産後に働く私を手助けしようとする母とは、よくけんかしました。私は洗濯だけは自分でしないと気が済まないのですが、母がしてしまうんです。何度説明し、泣いて頼んでも『だって、してもらった方が楽でしょ』の一点張りでした」
――すれ違いはなぜ起きたと思われますか。
「母は恋愛結婚や就職に憧れるも、親の反対であきらめ、家庭での役割を負わされた世代です。激変した子世代の生き方についていけなかったのでしょう。私にこうなってほしいという理想像もありませんでした。自分の意志を持たず、物事を突き詰めて考えようとしないんですよね。そんなところに反発を覚えたからでしょうか」
――お母さんから得たものもあるのでは。
「多様性や共生という考え方ですね。自分で気付かない限り人は変わらないし、『あなたはあなた』と思わない限り、他の人とは生きていけないということ。母の元にいると窮屈で死んでしまうと思ったこともありますが、これまでの母との関わりが私の原動力になっていると感じます。自分の子どもに対しては、意志や判断する力など、何かに立ち向かうときの基準となるものが身につくよう、自分なりの親の役目を追求しています」
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