国谷裕子さん 「自分へのリベンジと、残したいこと」
WOMAN EXPO TOKYO 2016
2016年5月21日、22日の2日間にわたって、東京ミッドタウン(東京・港区)で開催された「WOMAN EXPO TOKYO 2016」。その締めくくりの5月22日の最後のセッションに登壇したのは国谷裕子さん。23年間、NHK『クローズアップ現代』のキャスターを務めてきました。「女性が社会で輝くために、私が伝えてきたこと、これから伝えていきたいこと」と題したセッションで、会場内を埋め尽くす女性たちに発せられた国谷さんのメッセージとは?
国谷さんの最初のキャリアは、「化粧石鹸を売ること」だったそうです。若き女性にも責任ある仕事を担当させようという会社側の戦略だったと今なら理解できることも、当時は「責任が重い」「自分には向かない」と感じて1年半で退社。バックパックを背負い、世界一周のチケットを買って自分探しの旅に出ます。
帰国後、NHKの英語ニュースサービスが始まります。当時NHKは、原稿を素早く英訳する人材を探していました。国谷さんはNHKの試験に合格、この2016年3月まで続いたNHKでのキャリアのスタートになりました。
しかし、その仕事からもいったん退き、アメリカ・ワシントンに留学するパートナーと結婚。現地の博物館でボランティアをしたり、大学の講義を受けたりしていたそうです。その後、ニューヨークに移住。そして、NHKの衛星波の試験放送が始まる際、ニューヨーク発のキャスター出演のオファーを受けました。
当時は衛星放送のアンテナを持つ家庭は多くありませんでした。「大丈夫。誰も見ていないから」と言われて受けたテレビ出演でした。
国際派のキャスターに抜てき……そして挫折、リベンジ
「放送は朝の早い時間でテレビを見ている人もいないし、やってみます」。国谷さんのキャスター人生はニューヨークのスタジオでひっそりと始まりました。今度はNHK総合の国際担当キャスターへ抜てきされます。「これで日本に帰れる」と軽い気持ちで、そのまま引き受けました。
しかし、毎日毎日ニュースが入ってきて、準備ができない。オンエアされると自信のなさ、おどおどとした振る舞いが全部伝わってしまいます。毎晩、数百万人が見ている番組に出て、期待されていたのに期待に応えられない……。半年で国谷さんはキャスターを降板します。
国内にもまだ"誰も見ていない"BS放送があり、ここが国谷さんの次の挑戦となります。「本当に悔しさと悲しさと、このままじゃ顔を上げて生きていけない。ここで、絶対に認められるキャスターになりたいと思うようになりました」(国谷さん)
天安門事件が起き、ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦まで消えてなくなった激動の世界各国と中継で結んで、何の準備もできないまま、インタビューをすることも日常。睡眠時間が3時間という日は当たり前。そんな中でも、「絶対に休みたくないし、ほかの人にも代わりたくない」とこの仕事に強い思いを持ち始めます。
大きな転機となったのが、1993年。総合テレビのプロデューサーからの「毎日1テーマの報道番組を作るからキャスターをやってくれないか」という、2016年3月まで23年間担当し続けた「クローズアップ現代」へのオファーでした。
「これでようやく自分へのリベンジができる」とそのオファーを受けた国谷さん。「大きなチャンスは自分の準備ができていないときにやってくる」と振り返ります。
「自分がこういうふうになりたいんだ! というものが見えると、人間は強くなれます。私の土台はここで出来上がりました」(国谷さん)
「悪いロールモデル」からの脱却
国谷さんがこの数年こだわってきたのが、「女性・経済・働き方」というテーマです。雇用が不安定になり、高齢化・少子化も進んでいる中、「もっとイノベーションを打ち出さなくてはならないのですが、なかなかいい答えがないまま、時が流れていってしまっている」と警鐘を鳴らします。
国谷さんの生き方を変えたのは、新宿に世界中の女性が集まった7年前の国際会議でした。それまでの国谷さんはワークライフを全く考えず、あの人みたいには働けない、なりたくないという「悪いロールモデル」として存在していたそうです。その会議では女性たちがネットワークを作り、話し合いをできる場がありました。けれど男性社会であるNHKには同じような場が存在しません。
国谷さんは、外部の会議や様々な場で自分が女性として知りえたテーマを積極的に提案するようになりました。周りを巻き込んでいくなかで、NHKにも変化が。女性のワークライフバランス推進室がようやく3年前にでき、NHKの中で孤立し、バラバラに働いていた女性たちが部署を超えて連携するようになったのです。「私たちが意識を変えられる」と、管理職を目指す人も出てきているそうです。
法律ができても女性の労働環境は厳しい現実
日本女子大学の大沢真知子教授による調査によると、日本の女性の労働に対する現状は、短大・専門学校以上を卒業した労働意欲意識の高い女性ほど、離職しているという残念な結果が出ていると言います。その理由は、企業が男性と同じように女性が活躍できる場を与えていないからだと分析されています。「大きなチャンスが女性には与えられなかったり、決定権を持つ役職が男性ばかりで構成されていたりすると、結婚・出産といったライフステージの変化の前に、能力の高い、やる気のある女性たちが自分たちの殻に閉じこもってしまう危険がある」と国谷さんは指摘しました。
女性の社会進出の先進国であるアメリカでさえも、同様の問題を抱えていることがFacebookのCOOであるシェリル・サンドバーグさんへのインタビューで分かったそうです。
「先進的なアメリカでさえこういう事態が起きているのであれば、日本では、女性を意識的にチャレンジングな仕事につけて励まし、若いころから育てなければ一歩踏み出そうという人たちが生まれないのではないか?」と国谷さんは考えます。
「自分も含めて日本の女性たちを振り返ると、『手を挙げない』『自分の能力を低く見る傾向がある』『自己肯定感が男性より低い』――そうした女性たち特有の意識も理解したうえで、企業や組織は女性を育成していかなればならないのではないでしょうか。
私は男性のように働くのを否定しているのではなく、男性と同じように働く時期があってもいいと思っています。でも、あとに続く女性たちを育てるためには、後押しする環境が必要だと思います。活躍している女性たちの層をどんどん厚くしていかないと、状況は変わっていかない。悪いロールモデルの後ろには、振り返っても誰もついてきていません」(国谷さん)
最後は「自分を信じること」 失敗も良き経験に
国谷さんはフリーの立場で、ずっと契約を更新しながらキャスターを務めてきた自分を振り返り、モチベーションを保つための秘訣を教えてくださいました。
「すばらしい仲間がすばらしい番組を作ってきた。最後にそのバトンを受け取って、クローズアップ現代という場に放送する。私はどういう付加価値を付けられるのだろうか? 私を通して出してよかったと思ってもらえるにはどうすればいいだろうかと、ずっと考えてきました。覚悟が生まれることによって仕事に向かう土台もできましたし、仕事への貪欲さも出てきました。最後はやるだけやったので大丈夫だと言い聞かせていました」(国谷さん)
チャンスはリスクを伴います。どんなことも準備万端ということはない。でも、自分はやったと自分を信じてやったとき、失敗が最も良き経験であったと思えるようになるのではないかというメッセージで熱いセッションは大きな拍手とともに幕を閉じました。
(ライター 北本祐子、写真 木村輝)
[nikkei WOMAN Online 2016年6月16日付記事を再構成]
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