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 七転び八起きのベンチャー経営者と言えば、宇野康秀氏が思い浮かぶ。父が抱えた800億円もの借金を返済しながら事業を正常化させ、音楽配信のUSENを上場へと導いたかと思えば、2年間で1100億円もの損失を計上。代表権のない会長に退き、300人の社員を引き連れて動画配信の新会社、U-NEXTを立ち上げると、わずか1年半で黒字化し、2014年12月には東証マザーズへ上場させた。そんな生来の起業家が語る「原点」とは?

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順調一筋の人生ではないですね、残念ながら。USENだってもともと継ぐつもりはなかったですし、オヤジから「会社を引き受けてくれ」と言われた時だって、はじめは断ったんです。

でも、まあ、「こんな悲しい時に、息子にも見捨てられるのか」って母に泣きつかれたりして。ほかにやれそうな人間もいなかったですし。にしても、「なんでオレに言ってくるんだよ」とは思いましたけれど。

あんまりその、関係がなかったんですよ。親子関係が。人材サービス会社のインテリジェンスを起業して以来、父とはほぼ、絶縁状態だったものですから。

ずっと「父のようにはなりたくない」と思っていた

U-NEXT社長・USEN会長 宇野康秀氏

U-NEXT社長・USEN会長 宇野康秀氏

生まれたのは大阪随一の繁華街、道頓堀です。親戚も含めて、周りはみんな商売人という環境で育ちました。

小さい頃は、飯食ってるとそれこそ、「誰それが首が回らない」とか、「どこどこの店が潰れた」など、生々しい会話が聞こえてきていたんです。「首が回らない」は「お金がない」という意味だというのは、なんとなくわかっていました。いずれは事業を起こし、自力で生きていくんだと思う気持ちは、子供の頃から強かったと思います。

小学校3年生の時に、「鉄道会社をやりたい」と作文に書いたんです。自分は経営者になりたいんだと自覚したのも、その時でした。

中高校生の頃はよく、父の本棚にある本を読んでいました。松下幸之助さんの本は自分でも買ってよく読みましたし、日本マクドナルド創業者の藤田田さんが書いた『ユダヤの商法』。あれは、おもしろかった。読みながら、自分だったらどうするかを考えていました。

父・元忠はUSENの前身、大阪有線放送を立ち上げた人です。家庭を顧みない人でしたから、ずっと「父のようにはなりたくない」と思っていました。遊んでもらった記憶もありません。

印象に残っていることと言えば、正月に帰省した時のこと。たしか1996年ごろのことだったと思います。父はもともと本を読むのが好きで、休みになると、本屋に行ってたくさんの本を買い込んできていたんです。その時も父が買ってきた中に、慶応義塾大学の村井純先生が書いたインターネットに関する本がありました。

その本を手にしながら、父が熱心にこう話していたらしいんですよ。私にではなく、周りの人たちに、ですね。

「おい、インターネットって知ってるか?」「こいつはすごいぞ」「すごいもんが来て、世の中が変わるぞ」

父はパソコンを触ったこともなかったですし、ましてや、インターネットなんてどこまで理解できていたかはわかりません。周りの人はチンプンカンプンだったでしょう。「おっさんがまた、ヘンなことを言っているな」くらいの感じで聞いていたと思います。

その頃、私はすでにインテリジェンスを立ち上げて社長になっていましたし、ちょうど仕事でインターネットを使えないだろうかと考え始めていた時期でもありましたから、帰省してその話を聞いた時には、不思議に思いました。「うちのオヤジが、どうして本を読んだだけでそんなことがわかるんだろうか?」と。

父も夢見たインターネット

同じ頃、私は村井ゼミ出身の社員を通じ、直接、先生とお話させていただく機会を得ました。その時、先生から「有線放送のネットワークを使って日本でインターネットを広げられないだろうか」という話も出たんです。「どうして有線なんですか?」って聞いたら、こんな話を教えてくれました。

なんでも、村井先生が慶大の湘南藤沢キャンパス(SFC)の近くに事務所をつくった。「電話回線を引きたい」とNTTに電話をしたら、いろいろあって2、3週間かかってしまったそうなんです。一方で、音楽好きな村井先生が有線を引こうと思って有線に電話をしたら、その日のうちに工事をしてつなげてくれた。「だから僕は、日本でインターネットを広めるのはこういう会社だと直感的に思ったんだ」と、おっしゃって。

その頃の大阪有線放送はコンプライアンス(法令順守)的に言うと、完全にアウトの会社でした。有線放送のケーブルを張るために、電柱を無断で使用するなどしていましたから。けれど、先生は「それくらいやんちゃな会社じゃないと、インターネットは広められない」と思ったらしいんです。

父もかなり乗り気でしたけれど、あまりにも障害が多すぎました。ただでさえ役所としょっちゅうもめているのに、第1種電気通信事業者の免許を取ってインターネット事業に乗り出すなんていうのは、いくら考えても無理な話でした。

病床で「会社を引き受けてくれ」と頼まれる

ワンマンだった父が病に倒れたのは、1998年夏のこと。余命いくばくもない父に、枕元で「会社を引き受けてくれ」と頼まれました。

「どうして今さら」と思いましたよ。「インテリジェンスの経営もあるから無理だ」と断ろうとしたら、「こっちはたいして仕事があるわけじゃないし、判子を押すだけでいいから」と言う。

ワンマンでしたが、会社のことはすごく愛している人でしたから、ここで放り出すわけにはいかない、誰かに継いでもらって、なんとかしたいとは思っていたんでしょう。だけど、何に驚いたかって、800億円の有利子負債を抱え込んでいたことです。しかも、そのすべてに個人保証が付いていた。

母が言うには「会社の面倒を見てもらいたいと思って、お父ちゃんはあっちこっち知り合いに頼んで回ったんだよ。だけど全部、断られて。いよいよ頼む相手がいなくなったから、こうしてお前に頼んでいるんだ。なんとかしてやってちょうだい」と。

「個人で800億円の借金なんて返せるのかよ」と思いながら、話を聞いていました。ここで断ったら確実に会社は潰れるだろうな、とも思いましたね。

父に対しては反発の気持ちも大きかったんですけれど、普通にランドセルを背負って学校に通い、大学にも行かせてもらえたのは事業のおかげだし、父の会社で働く人たちがいたからでしょう。だったら、なんとかして会社を立ち直らせる責任もまた自分にあるのかなと最終的には思ったんですよね。

それと、自分で創業したインテリジェンスがたまたま上場するタイミングでしたから、当時の時価総額で自分の持ち分を計算したら、最悪の場合でも、有利子負債分くらいは返せるかなという判断もありました。

大阪有線放送の社長に就任して、まず、取り組んだのは支店の統廃合。それと、事業の正常化です。各支店に担当者を置き、無断で使用していた電柱を1本ずつ正確に数えさせ、地図に落とし込んでいきました。全部で約720万本ありました。

過去に遡った分も含めて、電力会社に支払わなくてはならない未払い金は約350億円。先の個人連帯保証金800億円と合わせると、合計で1100億円以上の"借金"を背負っていたことになります。

とにかく膨大な作業量でした。社内に対しては「正常化して、社会に認めてもらえる会社になろう」と言い続けていましたが、正常化しても社会的に認めてもらえる保証はなく、過去のもめごとが尾を引いて、役所に書類を提出しても突き返されるみたいなこともありましたから、不満を持っていた人間も、当然、いたでしょう。

自宅に血のついたわら人形が届く、みたいなこともありましたし。

誰のため、何のためにオレはこんなことをやってんだろうと思いながら、その頃はとにかく、夜な夜な休みもなく働いていました。

宇野康秀氏(うの・やすひで)
1963年大阪府生まれ。88年明治学院大卒、旧リクルートコスモス入社。89年インテリジェンスを設立し、社長就任。98年、父・元忠氏の急逝に伴い、大阪有線放送の2代目社長に。社名を「有線ブロードネットワークス」に変え、2001年ナスダック・ジャパン(現ジャスダック)に上場。05年「USEN」に社名変更、無料のブロードバンド放送事業にも進出。10年USENグループ会長となり、U-NEXTを創業。14年12月東証マザーズ上場、15年12月、東証1部へ市場変更を果たす。

(ライター 曲沼美恵)

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