評価の低いあの人が、なぜ出世するのか?(下)
出世する人は人事評価を気にしない(2)

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◆"働かないオジサン"を生みだした昭和の「職能主義」
あなたの周りにいないだろうか。管理職、ということになっているのだけれど、肩書は参与とか副部長とか具体的に何をしているのかわからない人たちが。
"働かないオジサン"という概念も、要は誰が何に責任を負うのかわからない組織と人事の仕組みが原因だったりする。なぜそうなっているのか、と言えば実は、今やすでに定年退職ずみの団塊の世代が大きな原因の一つになっている。
団塊の世代が就職して会社で管理職になりはじめる1980年前後に、企業側では大きな問題が生じた。ポストの数が足りないのだ。なぜなら新卒として採用した団塊の世代は人数がとても多い。課長のポストは5つしかないのに、候補者は10人以上もいる。しかし会社は伸びているし仕事は増えていた(大半の理由は人口ボーナスのおかげだったのだけれど)。だから、課長になれない5人にもやってもらう仕事はあるし、モチベーションを高く持って頑張り続けてほしい。そのために、管理職ではないけれども、"管理職相当"の給与を払って頑張ってもらう仕組みが必要だった。
それが、「職能主義」であり、職能資格制度だ。当時の日本では常識的ですらあった仕組みだ。誰もその仕組みに疑問は持っていなかったし、経営者だけでなく、多くの従業員にとっても素晴らしい仕組みだった。今なお、職能資格制度を採用している会社は多い。それは、「この人はこれくらいの仕事ができるはずだ」という性善説に近い考え方で人を処遇する仕組みだからだ。
◆海外に進出した日本企業が「職務主義」にスライドする理由
では今、なぜ職能主義に変わって、職務主義が浸透しはじめているのか。職能主義が性善説だからといって、職務主義が性悪説というわけではない。また、職務主義=職務等級制度はもともと欧米の概念なので、単純に欧米を真似ているのか、というとそうでもない。人事コンサルタントに指摘されるまでもなく、海外に進出した多くの日本企業が、自発的に職務主義を採用している。
職務主義が浸透しはじめている理由は、ビジネスにおける国境という垣根が低くなっているからだ。それをグローバル化と一言で言ったりもするけれど、グローバルという単語はなんだかあやふやでわかりづらい。国境という垣根が低くなった、という説明もわかりづらいかもしれないが、人やお金や商品が国境を越えて行き来することが増えているということだ。後進国が成長して商売相手になるようになった、とか、先進国内の市場が飽和して伸びなくなった、とか、事情を説明すると長くなるが、要はそういうことだ。
◆昨日と同じルールでは競えない時代
その影響を受けて、ビジネスのルールが変化している。それがグローバル化の意味であり、より具体的にはこんな影響を指す。
・昨日のビジネスモデルと、明日のビジネスモデルが違う
・昨日の顧客と、明日の顧客が違う
競争相手もビジネスモデルも顧客も、過去の日本では、国境という垣根で守られていて、何十年にもわたって大きな変化がなかった。しかし国境の垣根が低くなると、まず競争相手が変わる。規制緩和の後押しもあって日本国内の競争関係も変化したし、新たな市場を求めて海外へ進出する日本企業もあたりまえになっている。
競争相手が変われば、ビジネスモデルが変わる。業界一律で確保してきた利益率だって、根本的に発想が異なる相手と競争するなら維持することが難しくなる。それがビジネスモデルの変化だ。
そして顧客も変わる。顧客である人々、企業はより幅広い多様な情報を簡単に入手できるようになったからだ。今まで使っていた商品、今までの取引先よりもさらによい商品や取引先があれば、簡単に相手を選びかえることができる。
◆出世するほど頭も体力も使わなければいけない
グローバル化とはビジネスが国境を越えやすくなったことであり、その影響は、ビジネスそのものが大きな変化を当然とするようになったということだ。
変化が当然であれば、先見の明と意思決定が極めて重要になる。そこであいまいだった課長や部長、取締役などの役職の内容をより明確に定めて、グローバル化による大きな変化に対応できる組織力を手に入れなければいけなくなった。明日のビジネスが昨日の延長線上になくなり、課長や部長の段階で、明確な意思決定をスピーディに行わなければいけなくなった。
それが、職務主義=職務等級制度が普及してきている大きな要因だ。そうして職務をはっきりさせてみると、人生ゲームにおける「あがり」としての出世の仕組みを維持できないことがわかったのだ。
言い換えるなら、出世するほど頭も体力も使わなければいけなくなった、ということだ。
業界ごと既得権益で守られてきた時代は過ぎた。
では、究極的に出世した経営者に求められる職務とはなんだろう。
◆「使われる側」で評価されるスキルと「使う側」に必要な能力は全くの別物
私は新卒で外資系コンサルティングファームに就職した。本社がシカゴにあり、世界中に数十万人のコンサルタントを抱えるその会社は、1990年代当時の日本では数少ない、真のグローバル企業だった。
最近、そこで長年パートナー(共同経営者)として活躍してきた、業界でも著名な某氏と久々に話をする機会があった。
「あの会社の本質ってなんだか気づいていた?」
そう言われて私はすぐに答えようとした。しかし、彼は私をさえぎった。
「シンクグローバル/アクトローカル。シンクストレート/トークストレート。ワークハード/エンジョイライフ。いろいろなメッセージがあったけれど、本質はなんだと思う?」
それらがまさに答えだと思っていた私に対して、彼は口の端を上げた。
「全部ウソだよ。上司に従順な部下をつくること。生活も何もかもなげうって働ける優秀なパーツをつくり上げること。それがあの会社の教育の本質だ。少なくとも、まだ日本に数名のコンサルタントしかいなかった時代に、アメリカ本社で学んだのはそういうことだった。だから私たち初期のパートナーたちは、そのことを君たちに徹底してきたんだ。グローバル企業というのはそういうものだよ。そしてグローバル企業で経営者になれる基準はまったく違う。優秀なパーツであり続けることが、出世の条件じゃない」
そうなのだ。もちろん会社の方針がそうだったというわけではないだろうが、彼のように考えていたパートナーがいたことは、私に一つの真実を気づかせてくれた。
課長に代表される管理職までは、経営層に使われる側の立場で出世競争が行われるということだ。
課長までの昇進であれば、人事評価の際に使われるさまざまな基準が出世のものさしになる。それは例えばこんな基準だ。
仕事は正確にできているか。
会議の場で発言できているか。
時間通りに行動できているか。
部下や後輩を教育できているか。
率先して行動し、主張できているか。
チームワークとか責任感とかいわれているさまざまなスキルを身につけ発揮することは、すべて「使われる側」の基準なのだ。組織という機械におけるパーツとしての優秀さ。あるいはそれらのパーツを使いこなす、管理職としての優秀さが評価基準としてあらわれている。
だからこそ、ノウハウを獲得すれば評価されやすく昇進しやすくなる、と言い換えてもいい。
ただし、これらはすべて、「使う側」には求められない基準なのだ。変化の激しい時代だからこそ、使う側は、使われる側とは違う、別の仕事をしなくてはならないのだ。
◆なぜ一流の経営者の多くが理想的リーダー像に当てはまらないのか
もしあなたがグローバル企業か、あるいは現在成長し続けている会社にいるのなら、経営層の行動を思い出してみてほしい。
協調性があるだろうか?(経営層同士のコミュニケーションは円滑か?)
いつも率先して行動しているだろうか?(行き過ぎた権限移譲はないか?)
部下や同僚を教育できているだろうか?(パワハラをしていないか?)
おそらく、このうちの一部は当てはまっているだろう。けれども、すべてを満たしている人はまずいない。むしろ、わがままで、独善的で、いいとこどりで、パワハラボスな人だって多い。いろいろなところで示される「理想的なリーダー像」を満たしている経営層は驚くほど少ない。
でも、彼らは優秀な経営層なのだ。
もちろん、彼らは「やろうと思えば優秀なパーツとして行動できる」だろう。
でも、トップに立った今、そうすることが彼らの職務ではない。だからそうしない。理想的なマネジャー像を満たしている人が、優秀な経営層として活躍できるわけではないのだ。
◆「パーツとして優秀な人」の限界
多くの人があこがれる、オーナー系カリスマ経営層たちを見るともっとわかりやすい。例えば自社を成長させたのち他社の劇的な企業再生まで成し遂げた某経営者や、巨大企業集団をつくりあげたカリスマ経営者、数々のM&Aを成功させながら企業価値を高め続けている経営者などを思い出してみよう。私は仕事上、そんな会社の人事担当役員や人事部長と話す機会が多いが、そこで見聞きするスーパー経営者の話にはとんでもないものもある。彼らの行動は、常識の範囲ではとても括れない。「素晴らしい社長なんですが、生まれ変わった後ももう一度一緒に仕事をしたいか、と聞かれると言葉につまりますね」という、役員や部長たちの言葉がすべてを物語っている。
経営者たちも、優秀なパーツとしての行動をとっていた時期はある。オーナー経営者であったとしても、立ち上げたての頃は零細企業の社長だからだ。零細企業の社長であれば"なんでも屋"で、取引先には頭を下げるし、細かい作業も自分の手で行う。そこで彼らは優秀なパーツとしての結果も出すことができていた。しかし、今では決してそういう行動はとらなくなっている。
ビジネスという仕組みの中のパーツとして優秀であり続けたとしても、経営層になれる可能性はとても低い。
経営層に出世する人とは、パーツとして優秀な人ではない。経営層としての職務を果たすことができる。少なくともそう期待される人が出世する。それは、パーツをつくりあげ、パーツに意味を与える職務だ。それは、その企業がなぜ存在しているのか、という存在意義を問う本質的な職務にほかならない。
だから、若いころの評価が高い人が出世するわけではなくなってしまう。
◆会社が決して教えない、人事評価の本当の意味
人事の現場では、この事実を理解しないまま、幹部候補生を育てようとする企業も多い。「優秀な管理職から」のみ次世代の経営層を選ぼうとする企業だ。部長を優秀な課長から選び、取締役を優秀な部長から選ぼうとする企業だ。でも、そうして選んだ経営層が意外に結果を出せないことも多い。
その失敗は、管理職と経営層とで職務が違うのに、それを理解しないまま、出世させてしまっていることにある。
また、そもそも、経営層はそんなに大勢いらない。
一つの時代、一つの組織に数名いれば十分だ。規模が大きくなれば数十名になるだろうけれど、それでも組織全体の人数の百分の一から千分の一以下でいい。
しかし、優秀な管理職だけれども経営層の職務を担うには不十分な人に対して、「あなたは経営層になれる可能性が低い」と伝えてしまってはやる気をそいでしまう。だから優秀な経営層は、そのことに気づかれないように、毎年の昇給や、賞与の増減でもって、パーツとしての優秀さを求め続ける。
その仕組みに乗ったままで人事評価を重要視することは決して不幸な道ではないが、気づけばさらに上に行けるのに、もったいない。
では、課長からの出世を目指すあなたは、何を指針にして行動すればいいのだろう。
[日経Bizアカデミー2014年12月16日付]
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セレクションアンドバリエーション代表取締役、人事コンサルタント
1969年大阪生まれ。早稲田大学大学院ファイナンス研究科MBA取得。アクセンチュア、日本総合研究所をへて、2012年より現職。大企業から中小企業まで130社以上の人事評価制度改革に携わる。大阪市特別参与(人事)。著書に『7日で作る新・人事考課』『うっかり一生年収300万円の会社に入ってしまった君へ』がある。