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私を変えたMBA

改めて現代に響く高祖父渋沢栄一の言葉 渋沢健・コモンズ投信会長に聞く(下)

2016/5/30

 米ビジネススクールへの留学をきっかけに金融の世界に進んだ、コモンズ投信の渋沢健会長(55)のキャリアストーリー。物語の後半は、外資系金融機関を経て独立、そしてソーシャルビジネスの育成事業へと話が進む。その過程で、渋沢栄一との“出会い”も明らかに。

■ビジネススクール卒業と同時にファースト・ボストン証券(現クレディ・スイス)に就職。その後、外資系金融機関を渡り歩いた。

米系投資銀行はビジネススクールの学生の間で非常に人気がありましたが、彼らも日本で商圏を拡大しようと血眼になっていたので、日本人の私にとっては比較的広き門でした。結局、東京配属ながらニューヨークの本社採用をオファーしてくれたファースト・ボストン証券に入社。日本企業相手に外債を売る仕事を担当しました。

 ところが入社後間もない1987年10月、米国でブラックマンデーが起き、市場環境が激変。それを機に、サマーインターンでお世話になったJPモルガン銀行の東京支店に転職しました。「伝説的トレーダー」の藤巻健史さんが直属の上司でした。1994年には、今度はゴールドマン・サックス証券に移り、2年後には、ヘッジファンドの米ムーア・キャピタル・マネジメントに転職しました。

 日本のバブル経済が崩壊して以降は、日本の金融機関がどんどん海外に進出していたそれまでとは打って変わり、逆に米系ヘッジファンドなどの存在感が日本市場でも強まってきました。彼らから見ると日本の金融市場は謎だらけ。時価総額が大きい、流動性が高い割には、まるで新興国のように値動きが激しい。変な規制があるので、彼らのロジック通りに相場が動かない。日本の市場の特徴を一つ一つ丁寧に彼らに説明することも、私の仕事でした。その意味では、ビジネスを通じて日米の懸け橋になるという私の当初の目標は、達成できたのではないかと思います。

■2001年、40歳で独立し、自身でファンドを立ち上げた。

 ヘッジファンドで働いてみたら、ヘッジファンドはベンチャー企業だということに気付きました。それまでは、金融業界でインパクトのある仕事をするには大企業に勤めないと無理だと勝手に思い込んでいましたが、どうやら違った。だったら、自分で旗を立てることも面白いかもしれない。幸い、外資系で死ぬほど働いてきたので、数年間ぐらいは収入がなくても食べていけるだけの蓄えがありました。区切りのいい40歳の時に、「オルタナティブ投資」のアドバイザリー会社を立ち上げました。

 ところが半年後、大事件が起きました。9月11日に米国を襲った同時テロです。ちょうど出張でシアトルにいましたが、飛行機が飛ばず、1週間現地で足止め。ビジネスは完全に停止状態に陥りました。実は、その2年前に結婚し、翌年には子どもが生まれていましたが、その家族とも連絡が取れず、途方に暮れました。

 その日を境に、自分の世界観に目覚まし時計がなりました。平和や持続性は、普段は意識しない空気のような存在ですが、それが一瞬でなくなる大変なこともありえるということを思い知らされました。同時に、それまで仕事ではメーク・マネーに専心してきましたが、それだけでは十分ではない。これからは、自分の家族や会社のためにも、どうやったら平和で持続性のある世の中を作ることができるか、どうやったら豊かさを未来につなげることができるかも考えながらビジネスをしていくべきではないか。そんな考えが頭の中を巡りました。

 その発想で2004年に始めたのが、ヘッジファンドの成功報酬の10%を、社会起業家を応援するために使うプロジェクト「SEEDCap」です。実際にこのプロジェクトを使って、創業まもない子育て支援に取り組むNPO法人フローレンスなどを支援してきました。

 ところが、2008年のリーマンショックで、それまで築いてきたビジネスが行き詰まりました。ただ、同じタイミングで、個人投資家の長期投資を促すコモンズ投信を仲間たちと設立したので、「コモンズSEEDCap」として現在も社会起業家の応援は続いています。

■最近は、渋沢栄一に関する著作も多い。

 栄一について研究を始めたのは、会社を立ち上げた40歳ぐらいの時です。それ以前は、小学生のころに栄一に関する本を読んだぐらいで、私にとっては歴史上の人物の一人でしかありませんでした。改めて栄一の言葉を読んでみると、現代でも思想として通用するものがたくさんあることに気付き、もっと勉強してみようと思ったわけです。

 例えば、コモンズ投信で手掛けているSEEDCapや社会起業家フォーラムなどのプログラムを通じたプロフィット(営利)とノンプロフィット(非営利)の架け橋となる活動は、栄一の言葉を借りれば、道徳と経済の関係を表した「論語と算盤」です。国が富むためには、論語か算盤、どちらが大切かではなく、両方を合わせる「と」の力だと栄一は言っているわけです。私は、その両方がうまくかみ合った時に、子どもたちの未来につながる持続性のある経済や社会をつくり出すことができると考えています。

 私がビジネススクールで学んだ当時は、ソーシャルビジネスという発想自体ほとんどなく、ビジネススクールにもそうしたことを教える授業はありませんでした。しかし最近は、ビジネススクールでも、ソーシャルビジネスを取り上げるところが増えているようです。MBAも時代の変化に合わせて進化しているのだと思います。

インタビュー/構成 猪瀬聖(ライター)

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