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私を変えたMBA

渋沢栄一の玄孫がMBAでつかんだ2つの大切なこと 渋沢健・コモンズ投信会長に聞く(上)

2016/5/24

 貧困や地域おこしなど社会的課題の解決にビジネスの手法で取り組むソーシャルビジネス。その担い手の育成に尽力するのが、コモンズ投信の渋沢健会長(55)だ。もともとビジネスとは無縁だったが、経営学修士(MBA)の取得を機に金融の世界へ。それが社会起業家の育成事業へと発展した。目指すは、日本の資本主義の父と言われた高祖、渋沢栄一の唱えた「倫理と利益の両立」だ。

■25歳の時、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のビジネススクールにMBA留学した。

 父親の転勤で、小学2年から大学卒業まで米国で過ごしました。自分はこのままずっと米国で暮らすのだろうなと何となく思っていたのですが、大学4年の時に米国人の友人たちと日本を旅行したら、日本をもっと知りたいという衝動に駆られ、就職先も決めずに帰国しました。日本が元気だった時代です。

 帰国後、母方の叔父が設立した財団法人日本国際交流センターにお世話になることになりました。当時は、日本経済や日本企業に対する海外の関心が非常に高く、来日する海外の政治家や学者、ビジネスマンがソニーの盛田昭夫さんなど識者との面会で熱心に耳を傾けていたシーンが印象に残っています。

 日ごろからそうした光景を見ているうちに、ビジネスの世界で、何か日本と米国の懸け橋となるような仕事ができたらいいなと思うようになりました。でも、大学は工学部で、当時、自分がいたのは非営利の世界。ビジネスの世界に入るには、キャリアシフトする必要がある。そのためには、ビジネススクールに行くのがベストの道ではないかと考えたのです。

 ただ当時は、自分がその後、金融の世界に進むなど、夢にも思っていませんでした。MBAを取れば、とりあえずキャリアの選択肢が広がる。その程度の考えでした。UCLAのビジネススクールは昔からファイナンスの授業に定評がありましたが、UCLAを選んだ理由も、べつに金融がやりたかったわけではなく、単に米国の西海岸に住みたかったからです。私はもともとアンチ・エスタブリッシュメントなので、エスタブリッシュメントが多く住む東海岸より、開拓精神にあふれた西海岸のほうが向いている気がしたのです。

■入学して1カ月後、早くも就職活動が始まった。

 ビジネススクールに入ってわかったのは、ビジネススクールというのは2年間かけて就職活動をする場だということです。ほとんどの学生は会社を辞めて来ているので、戻る場所がありません。だからみんな、就職活動は真剣です。

 具体的には、2年に進級する前の夏休みにサマーインターンをしますが、インターン先の企業を、入学して間もなく探し始めます。そのままインターン先から内定をもらって就職する場合も多いので、企業探しはいい加減にはできません。企業側も優秀な学生が欲しいので、リクルートの担当者がひんぱんにキャンパスに来て、説明会を開いたり面接をしたりします。

 当時は、投資銀行が就職先として大変な人気で、投資銀行側も精力的に採用活動をしていました。米国の投資銀行はどこも、日本でのビジネス拡大が急務だったので、日本人でMBAを持っていれば、ウォール街から三顧の礼で迎え入れてもらえました。

 私も、ゴールドマン・サックスやJPモルガンなど投資銀行とのインタビューを数多くこなしました。

 ゴールドマンとのインタビューは、今でもよく覚えています。本社のあるニューヨークでインタビューしたのですが、旅費はすべて向こう持ち。ロサンゼルスからビジネスクラスに乗ってニューヨークまで行き、リッツカールトンに泊り、インタビューは、ウォール街の高級レストランで社員2人とランチをとりながらでした。何でも好きな物を食べていいと言われて喜んだのですが、食事中、息つく暇もなく質問を浴びせてくるので、全然食べる暇がありません。嫌な会社だなぁと思いました(笑)。

■CNN創業者の“読まないスピーチ”から人を動かす術を学んだ。

 授業で記憶に残っているのは、ゲストスピーカーとして呼ばれた米ケーブルテレビ局CNNの創業者、テッド・ターナー氏のスピーチです。

 話の内容は忘れましたが、一度も下を見ないで話し続けた彼の姿は、今でもはっきり覚えています。

 なぜ、原稿も読まず、メモも見ず、延々としゃべり続けることができるのか、その時はとても不思議でした。しかし、自分自身が人前で話す経験を積んでいくうちにわかったことは、人間、自分がパッション(情熱)を持っていることに関しては、メモなど見なくても、延々としゃべり続けることができるということです。

 最高経営責任者(CEO)の仕事は、周りの人間を動かすことです。人前で話す時に原稿なんか読んでいたら、人の心を動かすことはできません。特に米国はそうです。だから米国ではプレゼンのスキルが重視されるのです。当時は、人前で話をすることが最も苦手で、悪夢でした。ターナー氏のスピーチは、現在の自分の講演活動の原点だったのかもしれません。

 授業で学んだことはたくさんありましたが、今振り返ると、どちらかといえば、あの2年間の間に経験した数多くの出会いの方が、はるかに自分の糧になったのではないかという気がします。同級生は、世界中から集まって、世界中に散らばっていく優秀な人たちばかりで、彼らとの交流から、非常に刺激を受けました。ビジネススクールで学ぶということは人との関係なんだなと思いました。

インタビュー/構成 猪瀬聖(ライター)

(下)改めて現代に響く高祖父渋沢栄一の言葉 >>

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