福祉の縮小、リアルに問う 労働者描くローチが本領
カンヌ映画祭リポート2016(2)
「麦の穂をゆらす風」(2006年)でパルムドールを射止めた英国の巨匠ケン・ローチは、カンヌ映画祭の常連中の常連である。来月には80歳。今年のコンペティション部門で最高齢の監督だが、作品は枯れたところがなく、ますます若々しく、みずみずしい。新作「アイ、ダニエル・ブレイク」はローチが一貫して描いてきた英国の労働者階級の現況、とりわけ少子高齢化に伴う福祉政策の縮小に焦点をあてた快作だ。
主人公のダニエル・ブレイクは指物師。イングランド北東部のニューカッスルで暮らす59歳だ。40年も職人として働き続けてきたが、妻を亡くし、仕事を失い、体を壊した今、初めて国の助けを必要としている。
ヘルスケアの相談に行くが、ビジネスライクな担当者と話しているうちにうんざりする。医者には当分仕事を控えるようにと命じられる。失業保険を受け取るために職業安定所に行くが、長いこと待たされたあげく、オンラインで申し込めと言われる。受給者の増加で窓口が混み合い、職員はみな忙しそうだ。パソコンを持っていないし、使ったこともないので、マウスの使い方から教えてもらう。そうやってようやく欄を埋めたのに、送出しようとすると、いつもエラーが出る。なんとか完成させて、職安に行くと、再教育のセミナーを受講しろと言われ、履歴書を書かされる……。
そんな時、ダニエルは職安で門前払いされようとしていたシングルマザーのケイティと出会う。2人の子を抱えたケイティはロンドンのホームレス用のワンルームの宿泊所を出て、まったく知らないニューカッスルの街に来たのだった。職安側の居丈高な態度が気に入らないダニエルは職員たちと言い争った末、ケイティ一家を自分のアパートに引き取る。
ダニエルは寒さをしのぐために窓に気泡の入った梱包材を貼る。窓辺に飾るモビールや本棚も作ってやる。ケイティは荒れ放題の家を掃除し、チラシ配りのアルバイトも始める。4人で一緒に貧しい人たちに食料を提供する「フードバンク」の列にも並ぶ。2人の子のうち姉のデイジーはすっかりダニエルになつく。友達と離れてふさぎ込んでいた弟のディランもダニエルの木工に興味をもち、自分でやすりを使い始める。
それでも貧しい暮らしは変わらない。ダニエルは建築現場をまわってみるが仕事はない。デイジーが破れた靴を学校で笑われたと聞いたケイティはある決意をする……。
少子高齢化が欧州以上に急速に進む日本にとって人ごとではない話だ。映画は英国の新しい福祉、雇用、医療のシステムを社会的弱者の立場から徹底的に批判する。為政者にとっては合理的、効率的なシステムなのだろうが、いかに利用者の視点が欠けているか。しゃくし定規で使いにくいか。人間の尊厳を損なっているか。ダニエルという愚直な男を通して問う。
ローチの作品としては1990年代前半の「リフ・ラフ」(91年)、「レイニング・ストーンズ」(93年)、「レディバード・レディバード」(94年)を思い起こさせる。3作とも労働者階級の暮らしに密着し、その細部を徹底的にリアルに描きこんでいた。サッチャー政権末期からメージャー政権のころで、英国病を脱したものの経済格差は大きく開いた時代だった。
その後のローチは「大地と自由」(95年)、「麦の穂をゆらす風」、「ジミー、野を駆ける伝説」(2014年)のような歴史に題材を取った作品や、「SWEET SIXTEEN」(02年)、「天使の分け前」(12年)など現在を描きながらも青少年に焦点をあてた作品が多かった。移民問題を描いた「この自由な世界で」(07年)や民間軍事会社を批判した「ルート・アイリッシュ」(10年)のようなアクチュアルな社会問題に迫る作品も撮り続けていたが、今回は典型的な英国の労働者階級の生活を描いたという点で、まさにローチの本領発揮といえる。欧州経済全体が曲がり角に来ている今日、貧困や老後の問題はさらに難しくなり、庶民の生活の基盤はますます不安定になった。
映画作家ローチが優れているのは常に弱者の立場に立ちながら、決して情緒に流されず、ドライに現実の細部を描くことに徹する点だ。かわいそうな人々への同情を引くような演出はしない。涙を誘うようなクロースアップはまずないし、扇情的な音楽は決して使わない。あたかもドキュメンタリーのように淡々と撮り、まぎれもなく本物の街と人がうつっている。
ダニエルの家に来たばかりのディランが手持ち無沙汰に階段でボール遊びをするショットの構図が、まるで小津映画のようだった。そういえばこの話、失業した一本気の職人・喜八が子連れで宿無しのシングルマザーを助ける「東京の宿」(1935年)にも似ている。ダニエルは現代の喜八なのかもしれない。
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12日、コンペに最初に登場したのはフランスのアラン・ギロディ監督「ステイング・バーティカル」だった。農村にオオカミを探しに来た映画監督が羊飼いの女と出会い、2人の間に子供が生まれる。女は産後ウツになって出奔。残された赤ん坊を抱えた監督が、様々な出会いを重ねながら、脚本を書いていくという物語だ。
いきなり主人公を誘惑する女羊飼いをはじめ、ピンク・フロイドを大音量でかけるゲイの老人、オオカミを撃つために赤ん坊をおとりにする羊飼い、森の奥に住む女治療師など、フランスの平凡な農村に奇妙な人物が次々と現れ、主人公に試練を与える。寓話(ぐうわ)的ともいえるし、展開が早いので漫画的でもある。
赤ん坊の出産シーンをはじめ、むき出しの生命がごろりと提示され、さあそこでどう生きる?と問うているような映画だ。頭でっかちの主人公がいや応なしに身体性に目覚める話でもある。タイトルは「垂直に立っている」という意味で、オオカミの目から見た人間の姿なのだという。
同じくコンペで上映されたルーマニアのクリスティ・プイウ監督「シェラネヴァダ」も強烈な個性をもつ作品だった。
パリのシャルリー・エブド襲撃事件から3日後、医師のラリーは妻と共に、40日前に亡くなった父を悼むための家族の集まりにでかける。そこで家族問題から時事問題にいたる口論が延々と繰り広げられ、ラリーがいや応なく過去と向きあわされるさまを描き出す。
冒頭のブカレストの街頭の渋滞シーンから、登場人物はいらだち続けている。それを長回しのカメラがとらえ続ける。話されていることの中身より、話し続けている人間たちの異様さが浮かび上がってくるような、世界のいびつさが見えてくるような、そんな映画だった。
(編集委員 古賀重樹)
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