笑い行事、全国でふきだす 民俗調べてガイド本刊行
森下伸也・関西大学教授
とっぷりと日も暮れた午後7時すぎ、白装束の神官17人が整列して、灯一つない境内の暗闇をしずしずと進む。社の前で立ち止まると、おもむろに2人が「おほっ」「おほっ」と笑い声を発し、その後全員が「わーっはっは」と大笑いする――。
毎年5月4日に名古屋市の熱田神宮で行われる「酔笑人(えようど)神事」だ。天武天皇の世、三種の神器の一つ「草薙の剣」が、朝廷から同神宮に戻ったことを祝い始まったとされる。今では観光客にも人気だ。
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会員1000人を誇る
こうした笑いにかかわる全国の民俗行事を調査して約15年になる。私自身が赴いた場所は約40、会長を務める「日本笑い学会」(大阪市)の仲間が訪ねた行事は約100にのぼる。笑い学会は現在、会員約1000人、各地に学者や医師を派遣して講演会を開いている。
本職は宗教社会学の研究者だ。研究対象としての「笑い」に出合ったのは30年ほど前。ナルシシズムについて研究中、自己愛から自己を解放する手段として、宗教のほかユーモアが伝統的に活用されてきた事実に関心を持った。米国の社会学者、ピーター・バーガー氏の著作「癒(いや)しとしての笑い」の翻訳を手掛けたことも契機となった。
ユーモアと社会学に関する私の著書や翻訳書が、初代笑い学会会長、井上宏氏の目に留まり、1998年に入会。そこでの私の初期の研究は、理論的な色彩が強かった。
民俗行事に興味を持ったのは、名古屋の金城学院大学にいた2000年ごろだ。愛知県小牧市の田縣(たがた)神社には毎年3月、巨大な男性器をかたどったみこしが登場する「豊年祭」がある。行くと見物客がみなゲラゲラ笑いながら歓声を上げている。多くの外国人が観光バスで訪れているのにも驚いた。
以後、名古屋周辺を皮切りに、探し歩くようになった。家族には相手にされないのでいつも1人。交通の便が悪い場所も多いが、車の免許を持たないのでタクシー代がかさむことも。少々寂しくなり、せっかく笑い学会があるのだからと、仲間に声をかけ活動範囲を広げることにした。
学会として最初に出かけたのは05年12月、山口県防府市の小俣八幡宮に伝わる「笑い講」だった。21人の講員が集まって朝から酒を飲み、酔ったところで宮司のたたく太鼓に合わせて「わっはっは」と大声で笑う。赤ら顔の男たちが力みながら大笑いする様が可笑(おか)しい。井上会長だけ講員として特別参加を許され、他のメンバーは羨ましく見学した。
豊作を祈って嫌なことを笑い飛ばす。1199年に始まったという笑い講は、全国にある同様の神事の起源ともされる。
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男性演者が早乙女姿に
最も見応えがあったのは高知県室戸市の御田(おんだ)八幡宮で隔年5月に行われる「吉良川の御田祭り」だ。年間の農耕行事を15の場面に分け、境内で約3時間かけて演じる芸能だ。演者は全員男性。牛の格好をして田んぼをすく者、早乙女姿で歌に合わせて田植え踊りをする者。子供が生まれたり、戦が起きたりと、笑いどころ、見どころがてんこ盛りだ。
800年の歴史があるとされる。室戸岬はかつての海運の要衝。随所に三番叟(さんばそう)に由来する「三番(さんば)神(しん)」や「翁(おきな)」が登場することから、上方や江戸から伝わった能や狂言の要素が、もともとあった田植えの祭りに加わっていったと考察している。
今年3月に行った山形県鶴岡市の「安丹神楽」は、私が調べた最北の行事。獅子舞を軸に、道化役が出てきて見物客にちょっかいを出すのが面白い。子供は獅子を怖がって大泣きするが、道化役は早口の地元言葉でまくしたてるので、会場は大きな笑いに包まれる。
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「純系」「芸能系」……
12年に笑い学会の2代目会長に就き、学会創立20周年を迎えた14年には、これまでの調査をまとめる活動に着手。その際、笑いの民俗行事を5つに分類した。動作としての笑いそのものを奉納する「純系」、万歳や歌謡で笑いを志向する「芸能系」、性的要素が濃くて笑える「性神事系」、意図せざる笑いが起きる「派生系」と「その他」だ。
全体から40を厳選してこの2月、やっと「笑いの民俗行事ガイドブック」を刊行できた。それぞれの由来や笑いどころをまとめ、アクセスや見学マナーの注意点も詳しく記した。まだまだ全国には知られざる笑いの民俗行事があるはずだ。調査を続け、ガイドブックの続編を出したいと思っている。
(もりした・しんや=関西大学教授)
[日本経済新聞朝刊2016年4月21日付]
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