大山猫の物語 クロード・レヴィ=ストロース著
構造主義の神話研究の集大成
神話研究の道なき道を拓(ひら)き、二○○九年に亡くなった著者の集大成が、翻訳出版された。大著『神話論理』全四巻に続き、『仮面の道』『やきもち焼きの土器つくり』と三部作をなす。北米太平洋岸のインディアンの神話の数々を、構造主義の手法で鮮やかに分析している。
レヴィ=ストロースは、マルクス主義/精神分析/地質学、の三つが構造主義の源泉とかつてのべた。前二者は、言われたことの背後に、隠されたリアルな層を暴き出す。後者は地表の下に過去のダイナミズムを発見する。だが神話分析の秘密は、語りの背後にどんなリアルな層も想定しない点にある。著者は神話的思考に同調し、ある神話と別な神話の変換の関係をたどるだけ。そうして明らかになるのは、人間精神の底に潜む普遍の代数学的な「構造」だ。
よぼよぼで皮膚病の大山猫の杖(つえ)を借りて体を掻(か)いた娘が妊娠した。コヨーテと村人は、大山猫と娘を置き去りにした。大山猫は入浴すると美しい若者となり、獲物が多く取れた。霧のせいで村人は飢えた。村人は村に戻り大山猫と和解した。こんな神話が隣の部族ではどう変形するか、順に追いかけていく。
大山猫とコヨーテは昔、双子のように似ていた。そのあと大山猫は顔が凹(へこ)み尻尾が短く、コヨーテは顔と足が長くなった。双子を忌避し対立を設定する神話も見つかる。分析の手がかりは、比例式のように神話と神話を関連づける「基本公式」。神話群の全体が、一連の変換と対立のもとに整理されていく。
レヴィ=ストロースは若い頃南米で、原住民の親族研究に従事。のちナチスに追われてアメリカに亡命し、同じユダヤ人の人類学者ボアズの世話になる。ボアズは北米インディアンの神話を数多く収集していた。この宝の山を活用したのが彼の神話研究だ。神話は天地創造の物語を含み、創世記よりも一般的。ユダヤキリスト教文明を相対化できる。また神話は物質的基礎から独立で、マルクス主義の限界も越えられる。こうして彼は、西欧中心主義をもっとも深いところで打ち砕き、神話的思考を純粋にとどめていた南北アメリカを舞台に、独自の神話研究を展開し、現代思想の最前線におどり出たのである。
神話分析は、誰でも使いこなせる科学的な手法というより、全人格をかけ自分の頭脳を神話と同調させるアート(技)だ。その達人レヴィ=ストロースが世を去ったあと、残された書物は永遠の光を放っている。
(社会学者 橋爪 大三郎)
[日本経済新聞朝刊2016年4月17日付]
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