ドローンランド トム・ヒレンブラント著
スリリングに監視社会を警告
近未来、21世紀末ごろのヨーロッパ(特にブリュッセル)を舞台にした、壮大な小説。ドイツではミステリ・SF両部門で賞を取っている。
ここで描かれる未来はかなりブラックだ。ドローンによる監視網が張り巡らされ、膨大な量の個人データが当局のデータベースに保存されている。地球上にはいろいろな変化が起こっている。潮位が上がり、オランダは水没。石油エネルギーは枯渇し、アフリカでソーラーエネルギーをめぐる戦争が起こる。アメリカは凋(ちょう)落(らく)、逆に勢いがあるのはポルトガル、ブラジル。韓国についての言及も多い。
主人公のアートは欧州警察の主任警部で、軍人あがり。女性アナリストと組んで犯罪の分析に当たっている。冒頭でいきなり欧州議会の議員が殺され、やっかいな事件に巻き込まれていく。彼らは「スペックス」というメガネを装着していて、そこでデータを送受信できる。録画機能を搭載したメガネは現在でも出回っているが、近未来社会ではほとんどの市民が「スペックス」を付けており、位置情報を提供している。プライバシーはほとんどなく、人権よりも治安の維持が優先する社会。「スペックス」を生産する企業は静かに市場を独占している。
幽体離脱して離れた現場を見にいける「ミラーリング」の技術も登場している。質問を出せば高速でデータ分析して予測値を出してくれるコンピュータもある。ただし、監視網を逃れるため、データの偽造技術もまた発達している。いずれにしても、そうした最先端の技術は人間をあまり幸せにしていないように見える。
本書は殺人事件のスリリングな謎解きにとどまらず、文明の行く末に対して、すでに始まりつつある監視社会と犯罪予防の考え方に対して、鋭い問いを投げかける作品だといえよう。ヨーロッパではつい最近、ブリュッセルでテロが起こったばかり。昨年のフランスでのテロも記憶に新しい。この本で問題にされている犯罪の予防拘禁という思想は、実際に現実味を帯びつつあるのかもしれないが、今後予想されるさまざまな事態に対し、作者はあらかじめ本書を通じて警告を発していると読むこともできる。
このように社会性の高いミステリ小説ではあるが、反骨精神に溢(あふ)れ、タフで勇敢な主人公はとてもかっこいい。恋愛小説の要素もあり、サービス精神豊かな作品だ。予断を許さないストーリーが結末まで続くが、自分はどんな未来を望むのか、読みながら真剣に考えさせられた。
(ドイツ文学者 松永 美穂)
[日本経済新聞朝刊2016年4月17日付]
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